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不動産活用の革命児たち フィル・カンパニー【第4回】

イセザキに再び灯った街の明かり。親から受け継いだ土地を活用

2015/11/12
「駐車場+空中店舗」のビジネスモデルを展開するフィル・カンパニー。連載最終回の今回は、フィル・カンパニーに土地活用を依頼し、リピーターとなった横浜市伊勢佐木町にある本田家(仮名)のストーリーを紹介する。

赤レンガパークと横浜中華街の間にある関内・伊勢佐木町

根岸線関内駅の北口を出て、右方向に進んでいくと、横浜ベイスターズの本拠地、横浜スタジアムがある。試合が開催される日は、遠方からも多くの人が訪れるエリアだ。

一方、関内駅の南口を出て、右手に進んでいくと、約1.4キロの長さを誇るイセザキ・モール(伊勢佐木商店街)の入り口へとたどり着く。かつては「横浜最大の歓楽街」といわれ、いまでも平日・休日を問わず、多くの人でにぎわっている。

今、この地を訪れると、「さびれた町」をイメージさせるものは何もない。

しかし、1980年代の後半から2000年代にかけて、根岸線で一駅都内に近い桜木町周辺のみなとみらい地区の再開発が進み、人の流れは徐々に変わっていった。現在では「横浜」といえば、赤レンガパークや横浜ランドマークタワー、半月状のグランドインターコンチネンタルホテルを思い浮かべる人も多いだろう。

そして、根岸線を一駅下れば、日本最大の中華街、横浜中華街だ。人通りは、どんどん分散し、イセザキ・モールに何軒もの百貨店があった「最盛期」を知る人からすれば、やはり人通りは多少減ったという。

それでも、2010年ごろから伊勢佐木商店街組合などの奮闘もあり活気を取り戻している。しかし、この関内・伊勢佐木町エリアにもつい数年前まで開発されないまま取り残されたエリアがあった。

保守的な父を動かした、土地環境の変化

関内駅北口から左手に向かって徒歩30秒。道路を一本挟んだその先は、かつて、コインパーキングと小さな飲食店が軒を連ねるエリアだった。駅前すぐの場所にもかかわらず、球場とは逆側に位置するため、人通りもすくなくひっそりしていた。

この土地を代々所有する本田家では、保守的な父・達郎氏の意向により、「小さくとも手堅く利益を確保する」ことが絶対優先だった。そんな本田家に変化が訪れたのは、2011年1月。長年、その土地を貸していた大手コインパーキング会社から、賃料30%ダウンの依頼があったのだ。

「周辺環境の変化に伴ってコインパーキングの売り上げが減少していたようです。賃料収入はキープしたい意向だったので、何か策はないかコインパーキング会社に依頼しました。結果として、それがフィル・カンパニーと出会うきっかけになりました」

本田家・長男の吾郎氏は、当時をそう振り返る。フィル・カンパニーを紹介してきたのは、くだんのコインパーキング会社だったという。

「駐車場を残したまま、上部に店舗が入ることによって、駐車場の賃料が下がっても、トータルの収入は大きくなる」という提案だった。

他にも、複数社の駐車場運営会社やデベロッパーに、土地活用の提案を求めたものの、細かな違いはあっても結局は「駐車場」もしくは、膨大な建設費用を伴う「ビル建設」の提案のみだった。

駐車場の手堅い利益を確保しておきたかった本田家にとって、「駐車場+空中店舗+初期テナント誘致保証」による、5年以内の建設費用回収プランは際立っていた。

さらに、企画、デザイン、設計、建築、完成後のメンテナンスなど、通常であれば個々の会社にバラバラに依頼すべきところを、すべてフィル・カンパニー1社との契約ですむのも、大きなメリットだった。

借金を嫌っていた父・達郎氏も入居予定のテナントが確かなことから、フィル・カンパニーとの契約を決意。また、商業テナントが入居することにより人通りができ、生まれ育った伊勢佐木町への人の流入を加速することにもつながるであろうことも決断を後押しした。

事業に必要な資金はすべて銀行からの借り入れでまかなった。銀行との融資交渉もテナントとの契約書を見せると、すんなりと通った。

契約から約半年で『フィル・パーク関内駅前』は完成。本田家が「1号」と呼ぶ物件だ。1階は、10台分のコインパーキングのスペースを残し、新たにコンビニエンスストアを誘致。2、3階にはチェーンの飲食店が入居した。ランニングコストがかかるエレベーターを設置しないのは、フィル・カンパニーの基本スタイルだ。

1号の建設途中、入居予定のテナントのためにフィル・カンパニーが細かい仕様変更に積極的に取り組んでいたことに、吾郎氏は驚いた。

「かっこいいデザインであることはもちろん、テナントの立場で細かいところにまで気を配ってくれる。だからこそ、より高い家賃を払ってくれるテナントとの交渉ができるんだと感じました。完成後は土地の印象ががらりと変わり、父と同じく保守的だった母も非常に喜んでいました。唯一、残念なのは完成を待たずに父が亡くなったことです」と、吾郎氏は話す。

それでも、当初の予想をはるかに超えてにぎわうテナントは、本田家に希望を与えた。代々、伊勢佐木町の商家である本田家には、所有したまま活用しきれていない土地が、もう2カ所あったのだ。

フィル・バーク関内駅前

フィル・バーク関内駅前

「2号」は20年近くシャッターを下ろしていた父の生家

そのうちの1カ所は、伊勢佐木商店街の中にある。そこは父・達郎氏が生まれ育ち、商いを営んでいた場所だった。関内駅すぐの商店街入り口から約600メートル、徒歩約7分のところにある。

「オヤジのリタイア後、もう20年近くシャッターを閉めたままでした。取り壊すでもなく、誰に貸すわけでもなく。家族にとっても思い入れのある場所ですが、手入れも行き届かず外壁もボロボロ。そのままにしておくのは、商店街組合にも申し訳なかったんです」

商店街の中とはいえ、入り口から5分も歩けば、シャッターが閉まった店は今でもちらほらと目につく。歩行者天国の商店街に駐車場は不要のため、こちらは確実かつ最速の回収を意識した2階建て店舗にすることに。30坪に満たないコンパクトな土地である。

「駅前すぐの1号に比べれば、テナント選びはより取り見取りではなかったようですが、それでもすぐにテナント先を見つけてきてくれました。『オリジン東秀』さんに入ってもらい、1階、2階を利用されています」

現在、2号の隣には大手コンビニエンスストアもあり、多くの人が足を止めるエリアになっている。商店街組合からも再び店を開いたことへの感謝の声が届いた。

フィル・バーク イセサキモール

フィル・バーク イセサキモール

最後は、商業ビルの建設へ

残る最後の土地は、1号の隣に位置する駅前の立地である。しかし、ここは駐車場や休眠地ではなく、本田家が祖父の代から賃借契約をしている小さな飲食店が複数軒を連ねていた。

「祖父も父も家賃交渉はほとんど行わず、契約関係もあいまいなまま長年そのままにしていました。これを機に契約関係もきれいにしたいと、一大決心をしました」

ここには関内駅前の好立地という利点を生かし、6階建ての商業ビルを建設することに。容積率で言えば7階以上の建設も可能ではあったが、利回りが最大になるシミュレーションの末に行きついた結果だった。フィル・カンパニーが手掛けた中では、2例目のエレベーター設置事例となった。

「1号と3号が隣接しているこの場所は、本田家が先祖代々受け継いでいる土地です。手放す気はないので、より長期的な投資回収も視野に入れて商業ビルにすることにしました。フィル・カンパニーがテナントをしっかり探してきてくれる信頼があったから、できた決断です。こちらの希望や立地に合わせて、一つひとつ本当に丁寧に対応してくれました」

3号は1~5階までがカラオケ店、6階は飲食店がテナントとなった。1号から3号まで、建築等にかかる費用は全額銀行からの借り入れだ。気になる利回りについて聞いてみたところ、投資利回りはすべて年率20%を超えているそう。なかには年率50%を超え、2年かからず投資回収が完了している物件もあるという。

フィル・バーク関内駅前2

フィル・バーク関内駅前2

テナント撤退のリスクはないのか?

当連載中は、フィル・カンパニーの「初期テナント誘致保証」という文言について、一部ピッカーからもテナント撤退のリスクに関する指摘があった。

吾郎氏にその不安がなかったか聞いたところ、テナントとの契約は、すべて賃貸期間を定めた「定期建物賃貸借契約」で行われているため、突然テナントが抜けてしまうというリスクは基本的にないのだという。追加条項として、“双方の合意があれば延長”“解約の場合は半年前までに通知”などの文言を場合により取り入れている。

「これは私も後で聞いた話ですが、テナントサイドでも内装や設備に億を超える投資を行うこともあるそうです。なので、その投資回収のためテナント・オーナー共に『長く契約したい』というスタンスは同じなんです。本田家は建物の定期メンテナンスでもフィル・カンパニーと付き合いは続いているので、テナントの再誘致なども臨機応変に対応してくれていますよ」

本田家とフィル・カンパニーとは、いまではパートナー的存在だ。フィル・カンパニー創業者の高橋氏からすると本田家は「ビジネスモデルがまだ確立していなかったころから、我々を信じて立て続けに依頼をくれた大切なオーナー」という思いがある。まさに、フィル・カンパニーが目指すWIN-WINな関係が構築されている。

実は、吾郎氏は都内の東証一部上場企業に勤めるサラリーマン。家賃収入だけでも生計が立てられそうだが、会社勤めを続けている。

「これまで本田家の資産活用では完全に成功していますが、それはあくまでも『本田家』の資産。私個人の力ではありません。今は、サラリーマンとして勤務し貯蓄したお金で、新しく土地を買うところから、もう一度フィル・カンパニーと一緒にビジネスがしたい。いつかサラリーマンとは違う人生を自分の力でつかみ取りたいですね」

*文中の土地オーナー氏名は、すべて仮名です。

(取材・バナー写真撮影:玉寄 麻衣、構成:久川桃子)

*本連載は毎週水曜日に掲載予定です。