過半数が体罰肯定派。スポーツと暴力の関係を考える
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「暴力に効果はある。でもやめるべき」
暴力に頼ると、どうしても選手の思考が「監督になぐられるかどうか」になってしまいます。
そうなると失敗をおそれ新しいことにチャレンジをしなくなり、選手としての成長が止まります。
僕が良く引用していますが、イチロー選手のこの言葉に尽きると思います。
「やらされる100発より、やる気の1発」
(追記)
Kiuchiさん
「(体罰によって)その結果、忍耐、体力、我慢強さも身につくのでは。」
個人的にスポーツを経験することによるメリットがこれだとは思いません。
一番の利点は、
「目的のためにはどうすれば良いか考え、トライ&エラーを繰り返し、それに意味があったのかどうかが非情なまでにダイレクトにわかること」
だと思います。
挫折と成功の経験を数多くできるからこそ、社会に出ても成功する人が多いのだと思います。体罰も程度による。高校の野球部時代、よく、ノックバットの反対側でコンとやられたが、そのくらいなら許容範囲。ただ殴ったり蹴ったりするのは、暴力以外のなにものでもないので当然NG。
【『教育という病』著者 内田良氏インタビュー(後編)|過半数が体罰肯定派。スポーツと暴力の関係を考える】
この人の感性、ボクは好きです。リアリティを無視した自己満足の理想論ではなくて、現実的な感覚を出発点にして、データが語るものを素直に聴く。
> 僕は体罰のことを「暴力」と言うようにしているのですが、そのうえで「暴力には効果がある」という立場を取っています。実際のアンケートでは「先生に叩かれて、私は立ち直った」と言う人は一定数いて、その事実を否定することはできないからです
> 暴力や体罰反対派の人は、「暴力は百害あって一利なし」とのスタンスを取りますが、暴力には一定の効果があること、だからこそ続いていることは直視すべきです。「暴力に意味はない」と全否定してしまうと、肯定派の人から「いや、意味があるんだ」と反論されて、議論が前に進みません
この感性、ボクのいじめの研究にも僭越ながら通底します――ボクは「いじめをいかになくすか、予防するか」に関する研究は、今まさにいじめられている子には役に立たない、というところから、「どうやったらいじめに遭っている人がそれを周りに打ち明けられて、助けを求められるか」だけにフォーカスしました。為末さんとかともセンスが合いそう。