「非言語領域」の人工知能プラットフォームをつくる【後編】
人間の「頭の中」を再現する人工知能はつくれるのか
2015/10/20
IBM Watson(ワトソン)のエコパートナーとして、日本で人工知能を活用したサービスを開発している企業がある。言語化しづらい人間の“感性”を人工知能に学習させることで「ユーザーの人格を代弁できる存在」をつくろうとしているのが、ファッション業界で注目を集めるアプリ『SENSY』を提供しているカラフル・ボードだ。自ら研究者として開発をリードしている同社の代表・渡辺祐樹氏に、その活用と展望を聞いた。
人間の頭の中にある思考回路をコンピューター上で再現
──『SENSY』が目指すのは、「人工知能のプラットフォーム化」という壮大な構想ですが、技術的にはどのようなバックグラウンドがあるのですか。
渡辺:僕は慶應大学に在学中から人工知能の研究をしていました。その時の恩師である慶應大学の相吉英太郎先生と、千葉大学の岡本卓先生との3者で『SENSY』の共同開発をしています。
そこに10月から東工大の自然言語処理に強い奥村学先生と、画像解析に強い東京大学の中山英樹先生にも技術顧問に入っていただき、より『SENSY』をパワーアップさせていきます。
われわれはコアの技術として『SENSY』を持っていますが、その周囲の人工知能の関連技術、自然言語処理とか画像解析、こういった分野は外部のリソースや技術をどんどん使っていきたいと思っています。
日本にも優秀な技術を持っている技術者や研究室はたくさんあります。そういったところと連携をしてプラットフォームをつくっていくことを考えています。
──かなり高度なシステムを独自に構築していますが、どのような体制で開発しているのでしょうか。
現在は11名の社員がいて、そのうちエンジニアは7名です。アプリの開発が7割、人工知能の研究開発をしているのが3割くらいという内訳です。研究開発には、僕がリードしながら大学の先生にも協力していただいて、インターンの学生やドクターの方にも入っていただいています。
──根本的な疑問ですが、「感性」という言語化できないものをどうやってデータ化しているのでしょうか。
われわれの分析では、ファッションに関しては、だいたい50くらいの変数で感性が成り立っていると考えています。例えば色とか、柄とか、どういうブランドか、どういうカテゴリーか、どのような価格帯かなど、およそファッションにおいて考えられる要素を自分たちで考えて、詰め込んでいます。
それらが複合的に混ざり合って、それぞれがどういうふうに組み合わさったときに、ユーザーがどういうふうに反応するのかという、頭の中にある思考回路をコンピューター上で再現するということをやっています。
この思考回路は人それぞれ違っていて、価格を重要視する人もいれば、そうでない人もいる。また、バッグでは価格重視だけど、洋服は価格に関係なく特定のブランドにこだわるとか。そういう複雑で、なかなか言葉では自分自身ですら表現しにくい特徴を解析しています。
アプリの『SENSY』では、最初にいくつかのアイテムを提案するので、それに対するユーザーの「好き」「嫌い」という反応を見て、徐々に感性を覚えていきます。
日常の中で『SENSY』が提案するアイテムに対して、ユーザーが反応していくことで、どんどんデータが蓄積し、人工知能がユーザーの感性を覚えていきます。
こうしてジャンルごとに定めたパラメーターと、ニューラルネットワークの構造を記録して、一人の脳の中身の構造を再現しています。
──ファッションアイテム自体の分析や分類はどのように行っているのでしょうか。
変数の多くは、画像解析から得られるデータです。ECサイトでも、色や柄などについてテキストで掲載されていますが、そのデータではなかなかうまくいきませんでした。
理由としては、同じピンクでも、濃いピンクもあれば薄いピンクもあり、人間はかなり細かく色を見分けています。でも、ECサイトの場合は、単純にピンクとしか表現されないことが多いんです。
そのため最初はうまくいかなかったのですが、画像解析で独自に特徴を抽出することを始めてから、精度が上がっていきました。色や柄はECサイトで登録されているメタデータではなく、RGBによる数値としてユーザーがどの辺の色が好きなのか、きちんと見ています。こうした開発を経ながら、精度が向上してきました。
さらに、単体のアイテムだけでなくてコーディネート、アイテムの組み合わせとして、どういう色の組み合わせが好きだとか、どういうテイストの組み合わせが好きだとかといったことを学習する機能を開発しています。
コーディネートを人工知能につくらせるという機能はかなり難しくて、開発に1年くらいかかりました。去年の9月に単体のアイテムでセンスを理解して提案するという機能で特許を出願して、今年の4月にコーディネートとしてどういうふうにセンスを読み取っていくかについても特許を出願しました。
日本の研究者の力を集め「オールジャパンの人工知能」へ
──感性を学習する人工知能の応用例として、最初にファッションを選んだのはどのような理由ですか。
2つ理由があって、ひとつはカラフル・ボードという会社自体が、「アパレル業界を変える」というところからスタートしているんです。以前の職場で、コンサルタントとしてアパレル企業のプロジェクトのリーダーをやったことがあり、その中でアパレル業界が特殊な業界だと知りました。
それは、無駄が多いという点です。物づくりをする上で無駄が多いし、マーケティングのマッチングも難しいため、在庫が多いという問題があります。その結果、多くの売れ残り商品が廃棄され、焼却処分されています。人工知能を使えば、そうした資源の無駄も含めて改善できるんじゃないかと思ったんです。
もうひとつは、アパレル業界は、さまざまな業界の中でもすごく感性が重要なところです。そこで問題を解決できればインパクトが大きいし、市場規模自体も大きいので、最初に取り組みました。
アパレル業界と同じような課題は他の分野でもあります。特に感性、感覚的な好き嫌いが重要視される分野では、似たような問題が起きているはずです。そうしたライフスタイルというドメインへとビジネスを広げていくことを視野に入れて、まずはアパレルに取り組むことにしたわけです。
──素人考えでは、同じく感性が重要視される領域として「料理」が身近です。これはレシピというデータがあるため取り組みやすい印象があります。
料理は、味を数値化しなければならないため、そこが大きなハードルになります。一方、ファッションの場合は、画像というリソースがすでに大量にあります。それを解析することで数値化できるというメリットがファッション分野にはあります。
画像解析の技術は、世の中の最先端でどのくらいまでできるのかを調査した上で、独自に勉強しながらつくっています。画像解析の分野だと、たたみ込みニューラルネットワークというディープラーニングの手法が主流ですが、それを僕たちはファッションに特化をして、チューニングを改善しています。
今やっている研究では、2000枚のファッション画像を人工知能に見せて、100種類くらいのタグを付けさせるという問題を解かせています。このタグの正解率が、現在は82~83%くらいまで上がっています。
これが90%を超えれば、画像を見ただけでこれがどんなファッションなのか、ほぼ人間と同じくらいの精度で判定できることになります。こんなふうに画像解析の技術からファッションに特化して独自につくっているところは、知る限りでは他にありません。
画像解析だけでなく、人工知能の周辺技術にはいろんな分野があって、その分野ごとに有力な研究者がいます。僕自身は大学時代、ニューラルネットワークをどのようにチューニングし、構造決定していくかという、人工知能のベーシックなところの研究をしていました。
『SENSY』の周りにある画像解析の技術は、さきほど言ったように東大の中山先生にも協力していただいています。また、自然言語処理についても東工大の奥村先生に協力していただいています。このように日本にも人工知能には優れた技術が多くあるので、それらを集めて「オールジャパンの人工知能」を実現したいです。
人間が「恋に落ちてしまう」ほどの存在を目指して
──人工知能が人のすべての感性を代弁できるくらいになるにはどのくらいかかりそうですか。
分野ごとに研究開発もやっていかないといけないので、そのステップのスピード感だと思います。今年中にはファッション以外でも、ひとつかふたつくらいの領域で研究開発フェーズに入りたいと思っています。
今の計画では、来年中にさらに4~6くらいの分野を追加する予定です。事業のスピード感や資金調達も絡んできますが、そうやって分野を広げていけば、おそらく3年くらいで、人間にとって重要な分野はある程度カバーできるでしょう。
そこまで行くと、ユーザーの人格を代弁するような人工知能だといえるようになっているかもしれません。
──人工知能の利用がいっそう進んでいった先の社会として、どんなビジョンを持っていますか。
1人1台の人工知能パートナーがいて、朝起きてから夜寝るまでの生活をサポートしてくれる日常。必要な情報を自分がインターネットで探しに行くのではなくて、パートナーが探してきてくれて、人間はより人間がやるべき部分にフォーカスしていける社会です。
『her/世界でひとつの彼女』というSF映画があって、主人公が人工知能に恋をするというストーリーなんですが、実は『SENSY』はそのイメージで開発しています。人間が恋をしてしまうほどの存在をつくっていきたい。
将来的には、モラルとかリスクの問題、亡くなった人の人工知能の権利、また人工知能の暴走やシンギュラリティといった議論も出てくるはずです。そうしたこともケアしていく必要があると思っています。
(取材・構成:青山祐輔、編集:呉 琢磨、撮影:オカムラダイスケ)