ロッカールームを映像で追体験
こんなミーティングが楽しい監督はいない。湘南・曺監督の言葉力
2015/9/23
サッカーの試合当日、ロッカールームはメディアが立ち入ることができない聖域だ。だが、そこにカメラを設置し、監督のスピーチをDVDにまとめて発売したクラブがある。今季、J1に昇格した湘南ベルマーレだ。126分の映像によって、曺貴裁監督のマネジメントがすべてさらけ出されている。この大胆な作品を実現させたのは、名広報による「隠しカメラ設置」だった。(文・二宮寿朗)
カネはなくとも、チカラは出せる。
「親会社を持たない、小さなクラブ」湘南ベルマーレが2季ぶりに復帰したJ1で健闘している。中位を維持しながら1つでも上の順位を、という前向きな姿勢がうかがえる。
それもこれも曺貴裁(チョウ・キジェ)監督の手腕によるところが大きい。
走り負けない、闘い負けない、とまらない。高額の年俸を必要とするタレントはいなくても、フィジカル、メンタルの両面で鍛え上げられた選手たち全員が奏でるノンストップサッカーは観ている者の心に訴えてくるものがある。
全員が一糸乱れぬために。
共感、共鳴、共有。
いかにしてスタメン11人、いや選手全員を「共」で結びつけているのか。その答えが今年1月に発売された「湘南ベルマーレ イヤーDVD ノンストップフットボールの真実 第1章~2014 J2優勝」にあった。
名言が生まれる瞬間を記録
J2でブッチギリの優勝を果たした昨シーズンを追ったドキュメント。だが、内容は単に試合映像&インタビューにとどまらない。試合当日、ロッカールームに定点カメラが設置され、選手たちに向けて曺が語っている様子が映し出されているのだ。
「下手でもいい。自分が力になろうと思う奴とサッカーがしたい」
「アウェイでこれだけ大きな声で応援してくれるのは初めてだ」
(DVDのパッケージより紹介)
選手からもれてきた「面白い」という声
京都出身の曺は日立製作所から柏レイソル、浦和レッズなどでプレー。引退後はJクラブで指導者のキャリアを積み、叩き上げの指揮官である。日本サッカーを熟知するとともに欧州のサッカーに精通する勉強家で、2012年より湘南の監督を務めている。
ときに熱く、ときに淡々と。なるほど、その抑揚をつけた曺の言葉が、ベルマーレの「共」をつくり出していることがよく理解できた。
ん? ちょっと待てよ。
それにしても、「ロッカールームを撮影しよう」などと、よくもまあ、そんなアイデアを考えたものだ。定点カメラにすることでチームに迷惑をかけないという配慮がある一方で、監督が何を語るかのみに狙いを定めていた。つまり「監督の言葉を伝えたい」という制作者の明確な意図があったわけだ。
監督に内緒でプロジェクトをスタート
このアイデアを持ち込んだのは、湘南ベルマーレのスタッフたちであった。
「以前から監督の言葉が面白いというのは、強化担当者からも聞いていました。『ミーティングで人生の勉強をさせてもらっています』、『今までミーティングがこんなに楽しいと思ったことはない』と言っていた選手もいたほどで、私たちも実際に部屋の外で壁に耳を当てて聞いてみたら、本当にいい言葉だなって。これをクラブの記録として残せたらいいなとみんな思っていました」
こう語るのは、経営企画室の遠藤さちえ広報チーフである。大倉智GM(現社長)や湘南スタッフの働きかけによって、すぐさま実行に移された。商品化というよりも、まずはチームの記録として。迅速に決まり、迅速に行動に移せるというのは、小さなクラブゆえの利点だろうか。
現場の曺監督にはそのことを伝えなかった。リアルな記録を残したかったからだ。
タオルをかけてカモフラージュ
“実行部隊”となる遠藤広報たちの苦闘がここから始まる。
人でいっぱいになるロッカーでカメラを露骨に置いてしまえば、たちまちバレてしまう。指揮官の怒りだって買うかもしれない。
奥まった場所に置いてみた。バレなかった。不自然に思われないようにタオルをかけたこともあった。これなら大丈夫と、タオル路線を続けてみた。
ただ、わかってしまうのは時間の問題という結論になり、曺監督に「定点カメラを置かせてもらっています」と報告。ただ指揮官の反応は「あっ、そうなの?」と実にあっさりしたものだったそうだ。
一応、監督からお墨付きを得たことで、カメラの設置も大胆になっていく。
「同じ場所に置くというのもどうかと思いまして」とは遠藤広報。
試合ごとに角度をあちこちと変えたカメラが身振り手振りで語る指揮官の様子を捉えている。スタッフたちも後でその映像を確認することが楽しみになっていった。
ベンチ外のメンバーもロッカールームに集合
曺監督はベンチ入りしたメンバーだけに語ったわけではなかった。
試合後はベンチに入れなかったメンバーもすべて狭いロッカーの中に引き入れて、語っている。顔を上げて聞く者、うつむきながらも拳に力を入れて聞く者……。全員がその言葉に耳を傾けている──。
遠藤広報はこう言葉を続ける。
「監督は『誰一人欠けることなく全員で成長をしていく』という考え方です。全員をロッカーに入れるというのも、そういう意味があるのだと思います。
昨年は外から見れば順調に勝っていったイメージがあるかもしれませんが、決してそうではありません。大差で勝っていても監督が怒ったこともありました。一人ひとりの成長を促し、チームの成長を促していこうとした記録でもあると思っています」
「頭」ではなく「心」を打てば、選手は変わる
DVDで紹介されているものはあくまで一部に過ぎない。カットされた映像の中には、監督が言葉をかけながら涙を見せたシーンもあるという。
曺の言葉をつづった記録でありながら、これは選手たちの成長の記録であるとも言える。
監督と言葉。
2010年南アフリカワールドカップで日本代表をベスト16に導いた岡田武史監督がこう言っていたのを思い出す。
「言葉というのは、言霊というように、力がある。言葉をどう使うかで、選手の頭を打つのか、心を打つのか、が違ってくる。心を打たれた選手は変わるが、頭を打たれても変わらない。(何を言うかは)相当考えるし言葉使いも考える」
曺貴裁は今、Jリーグ全体に広げても「言葉力」を感じさせる一人だ。
定点カメラは今季も継続して置かれているという。ぜひ“ノーカット版”を一度、見てみたいものである。