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スノーピークに集う Uターン社員たち

680坪の自宅にヤギも。地方で実現したワークライフバランス

2015/9/14
安倍政権の旗振りもあり、地方創生が注目を集める。都心で活躍していた若手プロフェッショナルが地方に赴き、地方創生の旗手として手腕を発揮しつつある。この連載では10回にわたって、地方の若手イノベーターたちの活躍にフォーカスする。今回は新潟に本社を置くスノーピークにUターンした若手プロフェッショナルたちをリポートする。

キヤノンのデザイナーからスノーピークへ転身

「アイデアの段階から、製造や販売計画まで自分で手がけられるのがスノーピークの何よりの魅力ですね」と話すのは、企画本部開発課マネージャーの小林悠。新潟県出身だが、2年前にキヤノンから転職したUターン組だ。

キヤノン時代、小林は複合機を担当するプロダクトデザイナーとして、東京で勤務していた。複合機はキヤノンの主力商品の1つ。グローバルな大企業で、その主力製品の1つである複合機のデザインに関われることにやりがいはあった。

ただ、もともとアウトドア好きだった小林は、もっと自然の多いところで働きたいという希望が漠然とあった。東北出身の妻も同じような思いを抱えていた。

小林夫妻は、新潟への帰省時、三条市にあるスノーピーク本社に子どもとともに出掛けた。5万坪のキャンプ場の真ん中にある社屋や開発環境、モノづくりの理念に魅かれ、転職するならこの会社しかないと心を決めた。

「キヤノンでは主にハードウェアのデザインが中心でしたので、小型に見えるような造形的な工夫や、置かれたときのたたずまいを追求するなど、外観形状をコントロールする役割が中心でした。部門間の分業が明確だったので、自分だけの力では及ばないことが多く、もどかしさも感じていました。でも、スノーピークなら、これは自分がつくった商品だと自信を持って言えます」

そんな小林の最近の自信作は、スノーピーク初のフォトカテゴリ「KAMAEL(カマエル)」シリーズだ。アウトドアと旅をテーマに、カメラバッグやカメラアクセサリーを開発した。野営で風景や動物の撮影チャンスを狙うためのテントとも連携する。

小林には写真好きだったからこそキヤノンに就職した経緯がある。アウトドアを愛する人に写真好きが多いことも肌感覚としてわかっていた。だから、自分が本当に欲しいと思える商品をつくり込めたという自負がある。

発売に合わせて7月には、野外でのキャンプイベントを開催し、カメラ好きのスノーピークユーザー70組が参加した。小林は開発担当者としてイベントに参加し、たき火を囲み酒を飲みながら、商品への感想や要望を聞く。社長の山井ももちろん参加する。

「直接エンドユーザーと関わりながら商品をつくれる環境はものづくりの理想であるけれど、なかなか大企業ではできないことですよね」

企画本部開発課マネージャー小林悠は、スノーピーク初のカメラグッズ「KAMAEL」シリーズを手がけた

企画本部開発課マネージャー小林悠は、スノーピーク初のカメラグッズ「KAMAEL」シリーズを手がけた

自宅の客間はキャンプスペースのテント

新潟にUターンして、小林はプライベートでも生きがいを見つけた。この夏、680坪の敷地に自宅を新築した。どれだけ大きな邸宅かと思いきや、小林からは意外な言葉が返ってきた。

「家は極力小さいほうがいいと思っていて、ほぼ1部屋だけの造りです」

小林は妻と2人で描いた完成予想図をうれしそうに取り出した。広大な庭にはキャンプスペースがある。家は1部屋だが、庭に張るテントが客間だ。畑はもちろんのこと、石窯をしつらえたガーデンキッチンまである。

680坪ある自宅庭の完成予想図

680坪ある自宅庭の完成予想図

小林夫妻の思いがぎっしり詰まった自宅の構想

小林夫妻の思いがぎっしり詰まった自宅の構想

「雑草はどうするのかと思うでしょ。実は、いずれヤギを飼う予定です。ミルクからチーズもつくれるので楽しみにしています」

苗木を買ってきたり、砂利や木材を運んだり。すでにクルマの1台は軽トラックに買い替えた。妻と2人で少しずつ、これから何年もかけて進めるつもりだ。

本社からはクルマで15分の距離なので、通勤も大変ではない。土地の価格は坪単価1万円ほどだったから、30代前半の小林にも予算の範囲内だった。こんな壮大なマイホーム計画を実現できたのも、都心よりも不動産価格の低い新潟だからこそだ。

新潟出身でUターンの小林にとっては身近な新潟も、東北出身の妻にとっては親戚や友達はいない。これは、Iターンの人の家族みんなに共通しており、見知らぬ土地に引っ越した家族にとってはキツイ。小林はそんな妻やIターン社員の家族のためにも、自宅をみんなが集まれる場所にしたいという思いがある。

「キャンプ場の中にあるオフィスもそうですが、仕事と遊びの境がないのがここの魅力です。遊びの中でアイデアが浮かんでくると思っています」

そう言えば、社長の山井は開発担当者の採用には課題を出すと話していたが、小林にはどんな課題が出されたのだろう。

「それはもう気合いを入れて提出しましたよ。社長からは『それを開発しろ』と採用されました。実際に今、取り組んでますよ、まだ何か内緒ですが」

引っ越し直前は雑草でいっぱい。ヤギを飼って、草刈りの手間を省く計画

引っ越し直前は雑草でいっぱい。ヤギを飼って、草刈りの手間を省く計画

震災を機に楽天からスノーピークへの転職

気合の入りようでは、Uターンで楽天から転職してきた皆川暁洋も負けてはいない。

新卒で300人規模だった楽天に入社し、広告営業やマーケティングを担当していた皆川だが、2011年3月の東日本大震災を機に、自らのキャリアを振り返った。当時、フルタイムの妻と3人の子どもと東京で暮らしていた。

震災を機に、「明日、事故で死ぬかもしれない」と死を意識するようになった。何かあったときに、頼れる人がいるところで暮らすべきではないか。子どもにぜんそくの持病があったこともあり、自然が多く、自分の生まれ故郷でもある新潟への転職、引っ越しを考え始めた。

そうはいっても、面白くない仕事はしたくない。自らキャンプが大好きでスノーピーク製品のユーザーだった皆川が新潟にUターンするには、スノーピークしか選択肢はなかった。問い合わせると、当初、採用予定はないと言われた。それでも、とにかくスノーピークに転職したい一心で、履歴書を送り採用担当者と面談した。

「適当にお茶を濁されそうなのがわかっていたので、『次はいつ会ってくれるんですか』と強引に面談を取り付けましたね」。東京から燕三条のスノーピーク本社に通うこと、5回。期間にして半年以上にも及んだ。

そんな皆川の熱意が通じたのか、スノーピーク側にも変化が訪れた。株式上場準備を進めるタイミングが重なり、楽天のような新興上場企業の成長フェーズを支えた皆川の存在を必要とし始めた。そしてついに、皆川に門戸が開かれることになった。

「こちらに来てから子どもがもう1人増えて4人になりました。東京にいたら、4人目は考えられなかったでしょうね」

新入社員研修は雪上キャンプ

社長の山井が断言するように、スノーピークにはアウトドアが大好きでスノーピークを愛している人でないと採用されるのは難しい。たとえ面接でごまかせたとしても、内定者の最初の研修が2月に行われる氷点下での雪上キャンプというから、生半可なアウトドア好きでは逃げ出してしまうに違いない。

しかし、それだけの情熱を持って集う若手プロフェッショナルを、情熱を持って惹きつけているのがスノーピークだ。とことん面白い仕事と、自然に親しみ家族との時間を大切にする生活は決して相反するものではない。地方ではそれを実践している若手プロフェッショナルが確かに存在しているということを、スノーピークは教えてくれた。(文中敬称略)

(取材、執筆:久川桃子、撮影:北山宏一)

*本連載は毎週火曜日に掲載予定です。次回は、地方の魅力を発信し続ける星野リゾート代表、星野佳路氏へのインタビューを掲載します。

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