みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.26

安保法制に関する、国会と世論のねじれをどう見る

2015/9/14

安倍政権が今国会での成立をめざす、安全保障法制。集団的自衛権行使を可能とする武力攻撃事態法改正案をはじめとする合わせて10法案の一括改正と、日本国外で他国の軍隊を後方支援する国際平和支援法案から構成されます。

国会での議論も大詰めを迎え、9月27日までの国会会期中に成立するかどうかが焦点となります。一方で、反対デモが国会前をはじめ日本各地で大々的に行なわれていて、最新の日本テレビ世論調査でも「今国会で成立することでよい」とする人はわずか24.5%で、思わない人が65.6%となるなど、少なくともさらなる熟議を求める人が大半のようです。

安保法制に関する、国会内の与党と野党の勢力差と、世論のねじれ。それでもやはり、議会制民主主義においては、国会こそが民意であるとするのが一般的には常識だと思いますが、宮台さんから見て、これは常識?それとも非常識?

脱原発デモが長き原発停止の要因

基本的なことをいえば、デモの盛り上がりに比して野党のふがいなさが非常に目立ちます。実際SEALDsを中心とする若い人たちのデモは、安保法制以外のイシューに関しては、意見はそれぞれあっても構わない、ということで一点に絞ってデモをしているわけです。

こうしたシングルイシューないしワンイシューのポリティクス(政治的行動)は、党派の行動と決定的に違うところです。その点、こうしたデモの背後に共産党がいるんじゃないかと疑ったり言いふらしたりしている政権側は、圧倒的なピンポケぶりを示しています。

実際、先頃の川内原発の本格的再稼働まで四年以上の長きに渡って殆ど完全に原発が停止したのは、フクイチ事故直後の原子力ムラにとっても想定外のことでした。この想定外の事態をもたらした要因の一つが、海外報道もされた圧倒的規模の官邸前デモなのです。

民主党政権が2012年9月14日まとめた革新的エネルギー環境戦略における2030年代原発ゼロ・シナリオは、当時内閣審議官だった下村健一氏も、官邸前デモがあればこそだったと述懐します。確かに既に再稼働したけど、ムラの思い通りに事は進んではいません。

ムラが原発新設を持ち出せないのは、相変わらず再稼働反対世論が多数を占める現状の継続を、現政権が危惧し、新設打出しを控えるからです。政権が怯えるのはデモというよりは継続的世論ですが、世論に怯えるのも再稼働反対デモのイメージが残像するからです。

再稼働反対デモは最大20万人を動員し、程なく鎮静化しました。一過性ですが、ポイントはそこじゃない。この規模のデモはどの国でも続かないからです。この国で党派に動員された訳でもないのにこの規模のデモが起こり得るという実績を残したことが、重大です。

感情の政治は大規模デモを嫌がる

なぜ重大か。アメリカやフランスの大統領であればこう言います。「あなたは私にソレを要求するが、窓の外を見てみろ、私にソレはできない」と言えるために必要だからだと。そこには正統性感覚に基づく規範があります。その意味で成熟した民主政国家があります。

日本にはそうした正統性感覚に基づく規範は政治家の大半に不在です。これからどうなるかも分かりません。それゆえフクイチ直後の僕は、デモが日本の政治に与える影響は小さいと思ってました。でも第2次安倍内閣が誕生してから、違うと思うようになりました。

昨今日本だけでなく先進各国で、グローバル化による中間層分解を背景に、分断され孤立した形でネットに蝟集する人々を、標的とした感情的動員を政権中枢が展開します。感情的動員の流れを作れないことは選挙での敗北につながるので、大規模デモを恐怖します。

かかる恐怖は、正統性感覚に基づく規範とは無関係ですが、だからこそ、それを頼れない日本で「ポピュリズムを背景としたデモ恐怖」を使い尽くすことが重要になります。米仏の政治家には規範と恐怖があり、日本には恐怖しかないのは、残念ですが、仕方ない。

規範の形成には、熟議を前提とした国民投票や住民投票の積み重ねという別の仕方が必要になりますが、それは後で話すとして、野党は再稼働反対デモやSEALs安保法制反対デモに見られるようなワンイシュー化を、今こそ野党が見習うべきではないでしょうか。

どの野党も弱小で、各々の内部統合も怪しく、離合集散も見られる中、ワンイシュー化なくして、安保法制化に有効な対抗はできません。安保法制反対という1点だけを共通項として選挙協力をして、次回参議院とその後の衆議院で一緒に闘うことを宣言するのです。

ワンイシュー化して候補者調整へ

最近の良い例があります。沖縄では前回衆院選で、従来は選挙協力をせず全区に候補者を立てて来た共産党まで含めて、自民党を除く党が保守革新を問わず候補者調整を進めた結果、沖縄に割り当てられた4つの選挙区の全てで辺野古基地反対の候補が当選しました。

これは沖縄の諸党が、辺野古基地新設(この連載で以前述べたように移設ではありません)に、本気の本気で反対だったからこそ、そうしたコミットメントの強さが、従来あり得なかった共産党を含めた諸党の選挙協力とりわけ候補者調整を、実現できたわけです。

とするなら、本気の本気で安保法制に反対するなら、選挙で過半数を制したら安保法制を廃止するという一点で、野党共闘して候補者調整を行い、選挙を戦えばいい。「約束したのは俺だから俺が破るのも勝手」的な解釈改憲も、上書きして「約束に復帰すれば」いい。

安保法制廃止と解釈改憲上書きに成功したら、その他のイシューズでは意見が折り合えないからこそのワンイシュー選挙だったわけだから、すみやかに選挙をやり直す。そのことを事前にアナウンスするのです。国民が本気で反対なら、それを許容せねばなりません。

これは今、アメリカの大統領選挙で、憲法学者のローレンス・レッシグが出馬しようとしている経緯と同じです。彼はThe Citizen Equality Act(ちなみに9月6日に目標の100万ドルを達成した。一人平均100ドルの寄付である。)で選挙に関する公平性を実現するためだけに出馬したいと言っていて、ネットで100万ドルを集めている最中です。

レッシグが言っている選挙に関する公平性とは、詳しくは「投票の自由、一票の格差是正、選挙に関する金銭の関与を減らすこと」ですが、基本的には「平等な投票の実現」のためのパッケージというシングルイシューです。この他のことは、一切言及していません。

レッシグは「もし大統領になってパッケージを実現できたならば、すみやかに辞任する」と公約しています。まさに「たった一点の問題」に絞っているのです。日本もそうしたやり方をした方がいいじゃないでしょうか。ただし、本当に一番いいやり方が他にあります。

以前から述べてきたように住民投票や国民投票、総じてレファレンダムをやるべきです。原発再稼働だろうが安保法制だろうが、個別イシューを取り出せば国民大半が反対なのに押し切られがちな重要問題に、対処するための民主政治の補完装置がレファレンダムです。

レファレンダムは民主制補完装置

幾つか補足します。第一に、景気対策・雇用対策・社会保障政策など他の人気がある政策パッケージと一緒にしてしまえば、本当は再稼働や安保法制に反対でも、背に腹は替えられない国民は再稼働や安保法制を進める党を支持する。議会制民主主義でありがちです。

かくて国民の意思が反映されなくなった個別イシューが、日本国民の命運を左右する重大問題であることがあり得ます。原発再稼働や安保法制の問題はそうした問題の典型です。だからこそ個別イシューで国民投票を行なうのです。ワンイシュー選挙よりもずっと安い。

ところが日本の政治家どもは与野党問わず判で押したように「議会の軽視だ」とほざく。非拘束型(諮問型)のレファレンダムに於いてすらそうです。ちなみにレファレンダムには、議会への法的拘束力があるものと、議会に問われて民意を示すだけのものがあります。

レファレンダムが議会軽視だという愚論が飛び交うのは日本だけです。アメリカでは大統領選のたびに毎回200近い住民投票が各地で行われます。フクイチ事故以来スイスやイタリアでは原発を巡って、先日はギリシャで緊縮策を巡って、国民投票が行われました。

でもレファレンダムが議会軽視なんて話は聞かない。議会制民主主義では政策パッケージに投票するがゆえに国民の意思が反映されなくなった個別イシューが国民の命運を左右する重大なものであり得るので、レファレンダムによる補完を要することが常識なのです。

こうした出鱈目な政治家が、国会や地方議会で、普通選挙の下で多数を占める日本って、確かに民主制(制度としての民主主義)はあるものの、民主政(振舞いとしての民主主義)があると言えるのでしょうか。とどのつまり、日本は本当に先進国と言えるのでしょうか。

レファレンダムに伴う熟議の機能

第二に、レファレンダムを政策人気投票のポピュリズムだと誤解する愚昧が蔓延しています。産経や読売が典型ですが笑止千万です。むしろ議会制民主主義が安倍政権がそうであるようにポピュリズムに堕し易いので、レファレンダムに先立つ熟議を以て抗います。

熟議や討議型世論調査(正しい翻訳は熟議型世論調査)の際しの提唱者として知られるJ・フィシュキンの詳細なリサーチによれば、戦争から同性婚までの全てのイシューに関して、只の世論調査よりも、熟議後に行なった世論調査の方がリベラルな結果になります。

その理由についてC・サンスティーンは、不完全情報下での討議では過激で単純な発言をする連中が場を支配しがちだが──彼は「集団的極端化」と呼ぶ──、熟議を通じて完全情報化に近づくにつれてそうした連中の梯子が外されることが大きいだろうと言います。

フクイチ事故から一年半後の2012年8月末に、討論型世論調査を実施した曽根泰教慶大教授を座長とする政府の実行委員会の報告によれば、熟議を経て原発ゼロ支持者が33%から48%に増大しますが、熟議の参加で専門家任せをやめ自分たちで考える結果だとします。
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繰り返すと、レファレンダムは、産経や読売の言うような政策人気投票のポピュリズムではなく、投票に先立つ数ヶ月の期間に公開討論会やワークショップを重ねることで、声のデカイ奴に場を支配させがちな不完全情報状態を、克服することを目的とするのです。

レファレンダムの共同体再生機能

加えて僕が重視するのは、ネットと違って顔が見える熟議を通じ、偉そうにホザくのがショボい輩である事実や、日本人にもクソ野郎がいる一方で永住外国人にも立派な人がいる事実や、若者よりも柔軟な老人がいる事実や、偏屈な若者がいる事実を目撃できること。

それを通じ、グローバル化による中間層分解を背景に、急速に空洞化する地域の共同性に抗い、昔の長い物に巻かれる的な同調的共同体を克服、再帰的な共同性──新しい「我々」──を構築できること。再帰性とは「選択前提もまた選択されたものだ」という意識です。

レファレンダムは、議会制下で埋もれがちな重大世論の顕在化に加え、①巨大なフィクションの繭の破壊(による極論野郎の梯子外し)と②分断された地域共同体の再統合、という2つの課題を達成して「依存的共同体」を「自立的共同体」へと再建することも目的です。

19世紀前半にA・トクヴィルは、「自立的共同体」が「自立的個人」を支えることで「妥当な民主制」が実現すると考え、戦後に活躍した丸山眞男は、「依存的共同体」が「依存的個人」をもたらすことで「出鱈目な民主制」に帰結すると考えました。アソシエーショニズムと言います。

今も日本では熟議とワンパッケージになったレファレンダムの本質が未だ理解されません。心の習慣が理由です。日本では「引き受けて考える」作法が根付いておらず、「任せてブー埀れる」作法が支配的です。住民投票を議会軽視だとホザく輩の存在が象徴することです。

市民を涵養するデモと熟議と投票

熟議と一体になったレファレンダムの実績を積むことが、民主制と相応しい心の習慣の涵養に繋がります。コンセンサス会議というデンマーク型熟議がありますが、摸擬コンセンサス会議をファシリテイトした経験から、僕にはそのことが実感できます。

心の習慣の涵養という点では報道の問題も大きい。日本では政治と言えば永田町の話。市町村レベルの地域政治の話はあってもスキャンダルだけ。地方新聞も共同通信や時事通信の配信記事に依存。地方局も在京民放に依存。ネットもそうしたマスコミに依存します。

だから昨今話題ですが地方議会が「痴呆議会」と化しています。むろん安倍晋三周辺の臆病な画策で総裁選が無投票になったことに象徴されるように「国会」も酷会と化していますがね。こうした状況を放置して置いて「議会軽視だ」とホザくのは、噴飯物じゃないでしょうか。

欧米では住民投票への中学生の参加もあります。これは投票参加よりも熟議参加にポイントがあります。教育の場で政治的立場の是非を討論するのも良いが、ならば住民投票の熟議に参加させた方が真剣度が上がる。ギリシャ以来の「市民=シチズン」の伝統を引き継ぐものです。

「選挙に通りさえすれば後は好き放題」の類を政治家に許さない──それには「任せてブー埀れる」ならぬ「引き受けて考える」作法が不可欠です。そうした心の習慣を涵養するためにも、デモや熟議や住民投票に関わる経験の蓄積が必要で、それが痴呆議会を抑止します。

イギリスの国民投票を見習うべし

例えばイギリス。2017年までに、EU加盟存続の是非を問う国民投票が行なわれます。今の首相のキャメロンが必死になって加盟存続を訴えています。イギリスにとって、そしてEUにとって、大変重要な政策決定です。日本の安保法制と比べても重要さは劣らない。

しかしイギリスも欧州でも「議会軽視」などという話は全く聞きません。政治とはすなわち自分たちが決めることだという理解が徹底されているからです。政治とは政治家が決めることだと勘違いする馬鹿だらけの国とは違います。レファレンダムの本質がそこにあります。

日本は地方から中央まで「レファレンダム(住民投票・国民投票)は議会軽視」とホザく議員が大半。ならばワンイシューの選挙を使う他ない。費用はかさむが、国民の命運を左右する重大問題だと国民が思う場合だけワンイシュー政権が誕生するのだから、甘受するのです。

日本の場合、沖縄衆院選のようなワンイシュー選挙を通じてレファレンダムに向かうのが現実的でしょう。冒頭に戻りますが、野党が安保法制を本気で止めたいなら、来年の参院選でワンイシュー選挙を戦うべく候補者調整して、民意をリアルに反映する決意が必要です。

でもまあ無理でしょうな。野党のダメっぷりは半端ない。本気で安保法制のことを考えていない。どうせ安倍もあと2年とか思ってるんでしょう。でもその間にアメリカが自衛隊にISIL関連で出動要請して来るかも知れない。泣けてくるというか、涙も出ないぜ。

(構成:東郷正永)

<連載「みなさんの常識は、世界の非常識」概要>
社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景をわかりやすく解説します。本連載は、TBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

■TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」

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