スノーピーク山井太社長 若手を惹きつける経営
東京に本社はいらない。新潟から世界を目指す
2015/9/7
安倍政権の旗振りもあり、地方創生が注目を集める。都心で活躍していた若手プロフェッショナルが地方に赴き、地方創生の旗手として手腕を発揮しつつある。この連載では10回にわたって、地方の若手イノベーターたちの活躍にフォーカスする。今回は地方に本社を置きつつ、都心の若手ビジネスパーソンたちを惹きつける企業、スノーピークの山井太社長にその秘訣を聞いた。
「オートキャンプ」を広げるためにUターン
本社の所在地は新潟県三条市。JR上越新幹線・燕三条駅からクルマで約1時間のところにある。社員約200人のうち、新潟出身者は2割以下。本社に勤務する社員の多くがIターンかUターン。一度は都心で働いていたものの、どうしてもこの会社で働きたいという理由で若手ビジネスパーソンが集まってくる企業。それが、アウトドア用品を製造するスノーピークだ。
楽天の広報マンやキヤノンのデザイナーなど、人がうらやむようなキャリアを持つ若手ビジネスパーソンが、その職を捨ててまで転職していくスノーピークとはどんな企業なのだろう。
社長の山井太自身も、東京の大学を卒業し、外資系商社で勤務した後に父親の創業したヤマコウ(現スノーピーク)に戻ったUターン組だ。当時のヤマコウの社員数は15人。釣り具や登山用品を中心としたメーカーで、業績もまずまず。
子どもの頃から、いつかは自分が継ぐのだろうという思いはあった。しかし山井には、父の会社だからという理由だけで継ぐ気は毛頭なかった。やりたいことが見つかったからこそ、燕三条に戻る決心をした。オートキャンプビジネスへの参入だ。
高品質、永久保証、安売りなし
1980年代半ば、四輪駆動車が空前のブームを迎え、マイカーの1割を占めるようになっていた。ところが、四輪駆動車を持っているのにアウトドアをする人は少数で街乗りがメインの使い方だ。
クルマはその時代の雰囲気を反映するもの。アウトドアに対する潜在的ニーズが必ずあるはずだと考えた山井は、小さい頃からキャンプが大好きだったこともあり、クルマにテントやランタンなどの道具を乗せて、自然の中で豊かな時間を過ごす「オートキャンプ」を思いついた。
日本人は経済的に成功をしたかもしれないが、自然とのふれあいがほとんどない。アウトドアが身近になれば、日本人はもっと豊かになれるのでは。そう考えた山井は、ヤマコウでオートキャンプビジネスに参入しようと考えたのだ。父には「3年間、だまって見ていてほしい」とだけ、宣言した。父もまた、「ダメだとは思うけど頑張れ」と背中を押してくれた。
「燕三条は生産技術が集積している場所。金属、木、プラスティック、どんなものでも加工できるので、キャンプ用品をつくるには夢のような街なんです」
ユーザーとして自分がとことん欲しいと思える高品質な製品をつくる。製造上の欠陥は永久に無償で修理する。品質に妥協しない代わりに、安売りもしない。これがスノーピークのポリシーだ。
このポリシーは、アウトドアファンの心をがっちりとつかんだ。ハイエンドのキャンプ用品という市場を切り開き、売り上げは毎年、ものすごい勢いで伸びた。
1製品には1担当
今でも「ユーザーとしてとことん欲しいと思う製品をつくる」というポリシーは変わらない。1つの製品を開発するにあたって、1人の担当者が最初の発案からデザイン、製造、最後の販売計画までのすべてを担当する。その担当者が本当に欲しいと思えるかどうかがカギで、そうでないと、人の心に刺さるようなとんがった製品は生み出せないというのが山井の持論だ。
「スノーピークはすべての製品が、誰のつくった製品なのかがはっきりしているのです」
1つの製品を生み出すためには、素材メーカーや製造工場などさまざまな協力先が関係する。全部の工程を1人でカバーするため、新入社員でも20~30社くらいの協力先に出向くことになる。燕三条の協力工場のおやじに怒鳴られながら、ステンレスの厚さひとつについても五感に叩き込まれていく。スノーピークの開発担当者には、アウトドア用品のユーザーとしてのスキル、デザインのセンスはもちろんのこと、協力工場に頭を下げて回るといったコミュニケーション力まで求められるわけだ。
それにしても、こんなスキルは採用時にどうやって見極めるのだろうか。
「美大出身のデザイナーには口が重い人が多い。面接だけでは優秀な人材を不採用にしてしまう。だから、課題を出すことにしています」
アウトドア用品とそうでないものと、スノーピークに入社したら開発したいと思うものを提案する課題だ。この課題を出すと、どんなクリエイティビティがあり、スノーピークへの思いがどれくらい強いかはすぐにわかるという。
アップルのデザイナーにもうらやましがられる開発環境
スノーピークは1998年に海外にも進出している。日本国内でアウトドアメーカーとして裾野を広げることよりも、エッジの効いたハイエンドな製品を世界に広げる狙いだ。今では燕三条で生まれた製品が世界18カ国に並ぶ。
あるとき、アップルのiPhoneのデザイナーが6人でスノーピークの本社を訪ねて来たことがある。どうやったらスノーピークのようなエッジの効いた製品が生み出せるのか知りたいという。1人が全行程に責任を持って担当するスノーピークの体制を聞き、理想的な開発環境をうらやんでいたのだとか。
「私自身アップル製品が大好きで、アップルのデザインや経営を尊敬しているので、そのデザイナーたちに『うらやましい』と言ってもらえたのはうれしいですね。確かに、『自分がつくった』と言える製品が世界18カ国に並ぶような職場はなかなかないでしょう」
ロケーションよりも重要なのは何ができるか
2011年、スノーピークはそれまで工場地帯にあった本社を、同じ三条市内の豊かな緑のある5万坪の丘に移した。社屋の周りは、スノーピークが経営する広大なキャンプ場で、文字通りキャンプ場の中に本社がそびえたっている。
開発中の製品はいつでもキャンプフィールドで試すことができるし、いつでもキャンプをすることもできる。実際、山井は仕事の後キャンプをしてテントで泊まり、翌朝テントからそのままオフィスに出社することもしばしば。アウトドアやキャンプが大好きな社員にはたまらない環境だろう。
とはいえ、売上の多くは首都圏。高速道路のインターチェンジや新幹線の駅からクルマで1時間近くもかかるところに本社があるのは不便では。東京に本社を移す計画はないのだろうか。
「30年前なら東京本社のほうが便利だったかもしれません。これだけSNSが発達した今、本当にいいものをつくっていたら、ユーザーさん自身がそれを発信してくれる。雑誌やテレビを通じての情報よりも、もっと正確な情報が届けたい人に届く。ロケーションよりも、何ができるのかが重要です」
スノーピークは昨年12月には東証マザーズへの上場も果たした。上場の目的の1つは知名度を上げることだ。アウトドア好きの人の間では確固たるブランド力を誇るスノーピークだが、「日本にはアウトドア好きのキャンパーは人口の6%程度しかいない」と山井は言う。非キャンパーにも、スノーピークのことを知ってもらいたい、暮らしの中にもっと自然を取り込んでもらいたい。自然志向のライフスタイルは人間性を回復すると信じているからだ。
5年くらいかけて、時代の流れを変えるのが山井の狙いだ。週末のキャンプだけではなく、日常生活にももっと関われる存在になりたい。そのためには、クルマや住宅関連企業など異業種とのアライアンスも視野に入れている。
楽天に9年以上勤めてスノーピークに転職した皆川暁洋に、楽天社長の三木谷浩史と山井は似ているかと聞いてみた。するとこんな答えが返ってきた。
「似てますね。ただ、三木谷さんは仕事が大好きで休みなくずっと仕事をしているイメージ。山井も仕事は大好きだけど、あんまり仕事を詰めすぎると『オレが釣りをする時間がなくなるじゃないか』と怒るところが違いますね(笑)」
キャンプや釣りといったアウトドアをこよなく愛する経営者像は、社員にもしっかりと浸透している。そんな社長が率いるアウトドアメーカーだからこそ、アウトドア好きの若手ビジネスパーソンたちの心をつかみ続けるのだろう。
(文中敬称略)
(取材・執筆:久川桃子、撮影:北山宏一)
*本連載は毎週火曜日に掲載予定です。次回は、都心での仕事・生活を改め、スノーピークに転職した社員にフォーカスします。