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【第7回】自衛隊体育学校リポート前編

前回はメダル4個獲得。なぜ自衛隊が五輪選手を育てるのか

2015/8/28

2012年ロンドン五輪を沸かせた4人の日本人選手。

日本レスリング男子としては24年ぶりとなる金メダルを獲得した米満達弘(レスリング・フリースタイル66キロ級)。同じく金メダルに輝いた後、「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー2012」を受賞した小原日登美(レスリング・女子48キロ級)。北京大会で銅メダルを獲得した双子の兄に続き、ロンドンで銅メダリストとなった湯元進一(レスリング・フリースタイル55キロ級)。さらには、日本ボクシング44年ぶりのメダルを奪取した清水聡(ボクシング・バンタム級・銅メダル)。

彼らに共通することは何か。答えは所属先。全員が「自衛隊体育学校」のアスリートである。

なぜ、自衛隊員がオリンピックに出場しているのか。自衛隊がオリンピック選手を強化している理由は何か。選手は自衛官として訓練しているのか。そもそも、自衛隊体育学校って何なのか。

3年前、彼らの活躍に声援を送りながらも多くの日本国民が抱いた疑問を解決するため、東京都練馬区にある陸上自衛隊朝霞駐屯地を取材した。

1964年東京五輪の3年前、メンツをかけて設立

自衛隊体育学校の歴史は、1964年に開催された前回の東京五輪前にさかのぼる。

1959年、国際オリンピック委員会(IOC)総会で東京開催が決定したものの、それまで日本はまだ37参加国・地域しかなかった1932年ロサンゼルス五輪で獲得した金メダル7個が最高で、金メダルを2桁獲得したことがなく、アメリカやソ連のようなスポーツ大国とはほど遠い国だった。

「このままでは開催国としてのメンツが保てない」

政府や大会組織委員会の“お偉いさん”は焦った。もはや戦後は終わり、高度経済成長真っただ中とはいえ、オリンピックを“国威発揚”の場とする考えは1936年ナチス・ドイツが開催したベルリン大会と変わっておらず、今以上だったろう。1940年大会を返上した日本が敗戦を経て、焼け野原から立ち直り、アジア・アフリカ初のオリンピック開催国となったという誇りだか、意地もあったろうが。

だが、今日のように国立科学スポーツセンターや味の素ナショナルトレーニングセンターなどない時代。

当時の防衛庁長官・江崎真澄は「諸外国の競技者には軍人が数多く含まれ、活躍している。自衛隊の中に体育専門学校を設置してオリンピック選手を育成し、東京五輪成功に寄与しなければならない」と考えた。そうして1961年、自衛隊体育学校が創設された。

背景を推測すれば、「自衛隊なら、いつも体を鍛えているから、そういうことには慣れているだろう。駐屯地はどこも広いから、練習場くらい造れるだろう」というわけだったのか……。

練習後、日の丸の下でコーチの話に耳をかたむけるレスリング選手たち

練習後、日の丸の下でコーチの話に耳を傾けるレスリング選手たち

1964年東京五輪には21人の自衛官が出場

オリンピックが掲げる目標のひとつである「平和な社会の推進」も、自衛隊の理念、活動と一致していた。

先に設けられた、体育指導官や自衛隊格闘術指導官として必要な知識・技能を修得することを目的とした第1教育課とは別に、翌1962年には「オリンピック選手要員を養成するための課程」として第2教育課が開設される。そうして、「国民に夢と希望を与える」自衛隊体育学校のオリンピックへの取り組みがスタートした。自衛隊体育学校が目指すのは、最初からオリンピックだけだったのだ。

果たして2年後、1964年に開催された東京五輪には21名の自衛官アスリートが出場を果たし、三宅義信が重量挙げフェザー級で金メダル、円谷幸吉がマラソンで銅メダルを獲得する。かろうじて“日本のメンツ”を守ることができた。

室内練習場に張られた横断幕

室内練習場に張られた横断幕

自衛官アスリートは国家公務員

自衛隊体育学校は陸上自衛隊朝霞駐屯地内に設置されているが、陸上・海上・航空自衛隊の共同機関である。「学校」という名称は、文部科学省による、いわゆる学校教育とは関係なく、「特殊技能を研究する・教える教習所や養成所など」という意味で使われている。陸上自衛隊にはほかにも幹部学校、幹部候補生学校、高射学校、航空学校、通信学校、武器学校、需品学校、輸送学校、衛生学校、化学学校などがあるが、そういえば戦前、スパイ養成の中野学校なんていうところもあったか。

自衛隊体育学校でオリンピックを目指す選手は、「自衛官アスリート」あるいは「体育学校生」と呼ばれる。体育特殊技能者として採用され、身分はれっきとした特別職国家公務員だ。

大学院・大学・短大卒業で競技歴において優れた成績を有する者は、体育特別技能者として採用試験に合格後、即入校する。高卒者は基本的に入隊し、自衛官として教育を受けた後に入校。2015年からは高校卒業後、即入校できる「スーパー高校生」制度も近代五種などで実施している。近代五種を行っている高校生は見当たらないため、水泳の有望選手を獲り、入隊後に馬術、射撃、フェンシング、ランニングを鍛えるというわけだ。

スーパー高校生の期間は1年間で、毎年春、全員新たに入校式を迎える。競技成績が良ければ更新となるが、悪ければ1年で部隊に転属される。

自衛隊体育学校の外観

自衛隊体育学校の外観

大卒の初任給は平均以上

週休2日制で、祝日、年末年始および夏期休暇、年次有給休暇あり。退職共済年金、若年定年退職者給付金、傷害共済年金あり。独身者は自衛隊内に宿泊(住居・食費無料)、結婚した場合は官舎を利用する。営外手当、住居手当、扶養手当などあり。自衛官として必要な被服などは無料貸与。待遇は一流企業の正社員並みかそれ以上だ。遊ばなければ給料を使うこともなく、まさに至れり尽くせりと言える。

気になる体育特殊技能者の初任給だが、大学院卒(階級/1等陸曹)22万1300円、大学卒(2等陸曹)21万2700円、高校卒(3等陸曹)18万9600円。悪くない。ちなみに、一般の自衛官候補生は3カ月の基礎的教育期間中は12万5500円、その後は2等陸士となり15万9500円。いわゆるボーナスにあたる期末・勤勉手当は年2回あり、昇給も年1回。階級は競技での成績によって上がっていく(金額は2014年4月現在)。

ロンドン五輪に出場した自衛官アスリート12名の中では、大学卒で、それまでに世界選手権で8回優勝していた小原日登美が最上官で1等陸尉、すでに幹部である(自衛隊の階級は上から将官・佐官・尉官・曹・士。尉官から幹部)。

現在、自衛隊体育学校ではレスリング班、ボクシング班、柔道班、射撃班、アーチェリー班、ウエイトリフティング班、陸上班、水泳班、近代五種班が活動。「班」という名称からも、大日本帝国陸海軍時代の名残が感じられる。

2016年リオデジャネイロ五輪から採用されるラグビー7人制は、女子を第1教育課が担当。2015年度は総勢142名の自衛官アスリートがオリンピックを目指し、日々練習に励んでいる。

米満達弘は2012年ロンドン五輪で金メダル獲得後、現役の自衛官として史上初の紫綬褒章を受賞(アフロスポーツ)

米満達弘は2012年ロンドン五輪で金メダル獲得後、現役の自衛官として史上初の紫綬褒章を受賞(写真:アフロスポーツ)

2020年東京五輪へ強気の目標設定

現地時間2013年9月7日、IOC総会で東京五輪・パラリンピック開催が決定すると、防衛省は早くも10日、「2020年東京五輪・パラリンピック特別行動委員会」を創設。防衛大臣が委員長を務め、各幕僚長など幹部と自衛官アスリートが委員となり、防衛省として東京五輪に貢献していく一方、自衛隊体育学校としては今後さらに選手を育成、強化していく方針を打ち出した。東京五輪において、自衛隊体育学校の目標はこれまでにないメダル9個、全種目での獲得だ。

果たして、金メダル2個、銅メダル2個を記録したロンドン五輪の成績を倍以上、上回ることができるだろうか。

次回は、「日本で一番“敵”に勝つ、“外国”に勝つことを考えている組織」である自衛隊の体育学校ならではの強さの秘密をリポートする。

(取材・文:宮崎俊哉、撮影:中島大輔)

<連載「金メダリストの創り方」概要>
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会の一つだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのか。隔週金曜日にリポートする。