【井崎英典】世界13位に沈んで気づいた、「優勝に足りない一滴」

2015/8/11
2009年、井崎は大学入学と同時に、父親の紹介で小諸にある丸山珈琲の小諸店で働き始めた。
平日は、学校に通いながらアルバイトをしておカネを貯める。そして金曜の夜から長野に入り、土曜の朝イチから日曜の夕方までバリスタの仕事をするというハードスケジュールを自らに課した。しかも、交通費も滞在費も自費だったから、完全に赤字だったという。
そこまでした理由は、1つ──。
「大学に入って煩悩だらけだったけれど、夢がありましたからね。丸山珈琲は日本では業界のトップで、豆の品ぞろえもクオリティもここほど高いところはほかにありません」
「それに、代表の丸山健太郎のとにかく世界チャンピオンをつくりたいという想いもあって、バリスタチャンピオンシップに力を入れていたんです。日本人が世界で優勝するためには、最高の素材と環境があるここで修行するしかないと思いました」
史上最年少で日本一に
17歳のとき、漠然と「いつか」と思っていた世界一のタイトルは、周囲の誰もが耳を疑った偏差値35からの大学合格を経て、いつしかリアルな目標になっていた。
ところが、この年に出場したジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ(JBC)の順位は8位。勉強に忙しかった予備校時代と同順位だったことに、納得していなかったのだろう。翌年秋から1年間、イギリスのシェフィールドに留学した井崎は、極端な行動に出た。
「僕はこの1年間で国際的な感覚を身に付けなきゃいけないと思っていたから、大学にはまったく行かず、どんどん現地の白人と友達になって、朝から晩まで飲み歩いていました」
その結果、現地で取得した単位はゼロで大学から厳しいおとがめを受けたが、目的通り、わずか1年で流ちょうな英語を身に付けた井崎にとっては、大した問題ではなかった。
帰国後、再び丸山珈琲で研さんを積んだ井崎がJBCに復帰したのは2012年。3年ぶりに臨んだこの大会で、大学4年生の若者が自身も驚く結果を出す──史上最年少優勝。
この快挙に誰もが称賛を惜しまなかったが、井崎の気持ちはすぐに切り替わった。世界54カ国の代表が集うワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(WBC)は翌年5月、オーストラリアのメルボルンで開催される。9月開催のJBCから約9カ月で、世界大会に向けた準備をしなくてはいけない。
WBCは、15分間の制限時間内にエスプレッソ、カプチーノ、オリジナルドリンクを4人の審査員に提供し、味や清潔さ、創造性、技術、プレゼンテーション能力などが評価の対象になる。
コンセプトは「自分の人生の中で一番大事なお客さまをおもてなしする」。豆の選択、熟成具合、焙煎時間などは出場者に委ねられており、さらにプレゼンテーションの構成を考え、完璧に記憶する必要もある。万全を期すため、井崎はWBCに集中した。
初めての世界大会で味わった屈辱
迎えた5月、初めて世界に挑んだ井崎は、唇をきつくかみ締めていた。セミファイナルに進めるのは上位12人。井崎はギリシャの選手と同点の12位だったが、「同点の場合はエスプレッソの点数で評価する」という大会の規定で0.5ポイント劣り、13位となった。
井崎は荒れた。
「13位なんて、最低の順位ですよ。0.5点ってどれくらいの差かというと、カップに一滴の液だれがついているか、いないかくらいの差なんです。WBCでの15分間のために、何十時間もつぎ込んで、いろいろな人の労力を使って、おカネもいっぱい投資して、泣いて、キレて、ケンカして、そんなことをやって臨むわけですね。それで0.5点差で負けて13位。もう死んだほうがいいと思いました」
負けが決まった瞬間は、怒りと悔しさと恥ずかしさと情けなさと申し訳なさで、頭がいっぱいになった。しかし一晩経つと、生来の負けず嫌いがムクムクと起き上がってきた。
「このままじゃ、終われない」
井崎は頭を冷やすために、「何がダメだったのか」を思いつく限り書き出した。それを眺めていて、ふと敗因に気づいた。一番足りなかったものは、「自分」だった。
「大会まで目の前のことで精一杯で、言われたことをこなすだけのイエスマンになっていました。でも、本当に感動するときって、その人が心から素晴らしいと思っていることを聞いたときですよね。その言葉が人の心を揺さぶる。僕にはそれが足りなかった」
世界王者に憧れた17歳の頃から、全力でWBCに懸けてきた。その夢の舞台で、自分らしさを失ったまま敗れ去るのは、耐え難いことだった。
井崎は、覚悟を決めた。
「これからは、自分が腹の底から正しいと思えることだけをやろう。そのためには手段は選ばんぞ。無視もするし、ケンカもするし、誰から嫌われようが構わん。そして、来年のWBCに戻ってきてやる」
惨敗を自問自答し、世界一へ再出発
帰国した井崎は、WBCのことだけを考えて時間を過ごした。自分が表現したいことは、何なのか。それを表現するためには、どうしたら良いのか。根本から自問自答を繰り返し、試行錯誤を重ねながら、バリスタ・井崎英典をイチから再構成していった。
その過程で出場したJBCで、井崎は並み居る強豪を抑えて2連覇を果たす。「タイトルを狙うのではなく、自分が信じたことを精いっぱい表現する」スタイルに確信を深めると、翌年のWBCに向けて、前回とはまったく違う自己流のアプローチで準備を始めた。
「それまでは練習量だけで勝負していたんですけれど、質と量がダントツになれば、ダントツの結果しか出ないじゃないですか。だから質を徹底的に意識して、前年の世界王者、ピート・リカータにコーチを頼んで、彼の言うことしか聞かなかった」
「なぜなら彼は勝ち方を知っているからです。さらに、ベストパフォーマンスを出すためには自分の精神をコントロールする必要があるので、メンタルトレーニングにも力を入れました」
井崎は、丸山珈琲の代表、丸山健太郎氏の助言もことごとく無視した。長年、世界一のバリスタを育て上げることに力を注いできた丸山にとっては、腸(はらわた)が煮えくり返るような思いだっただろう。
しかし、「クビになってもいいから、やりたいことをやる」と決意していた井崎は、「本気でやらせてください」と丸山に頭を下げた。「わかった」と理解を示した丸山はピート・リカータの招聘(しょうへい)や、使用する豆の農場があるコスタリカまで行かせるなど、井崎を全面的にバックアップした。
そうして迎えた2014年6月12日。
イタリアのリミニで開催されたWBCでファイナルまで駆け上がった井崎は、晴れやかな気持ちで決戦に臨んでいた。(文中敬称略)
(撮影:川内イオ)