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欧州コーチ日記・残留争い編

SVホルン、残留をかけた古巣との決戦

2015/8/2
短いオフが終わり、SVホルンの新シーズンに向けた準備が始まった。オーストリア3部は7月31日に開幕し、SVホルンは2対1で勝利して幸先のいいスタートを切った。今季から本田圭佑のマネジメント事務所『HONDA ESTILO株式会社』がSVホルンの経営権を取得し、日本からの注目も高まっている。新体制の中、モラス雅輝はSVホルンのコーチとして、2部復帰に向けて日々強化に取り組んでいる。その新シーズンに向けた特別企画として、モラスがつづる「欧州コーチ日記」を全4回で公開。昨季、SVホルンは残留をかけた最終節で敗れ、3部に降格してしまった。極限状態で日本人コーチが経験したものとは──。
第1回:【合宿】希望と不安の中で
第2回:【後期開幕】下から2番目の低予算の中で
第3回:【残留争い】重くのしかかる夏の補強戦略の失敗
第4回:【最終節】2部残留をかけた古巣との決戦

2015年5月25日:故郷のクラブと直接対決

最終節の対戦相手は、名門FCヴァッカー・インスブルックだ。僕にとっては古巣であり、リーグ内で最も良く知っているチームである。

以前、このクラブのスカウトを務めていたし、昔の教え子がスタメン選手として活躍している。クラブ内のほとんどの関係者とは旧知の中。僕にとってはこのクラブは、特別な意味を持つ。だからこそ、最終節前に両チームが残留を決めていることを強く願っていたのだが……。

SVホルンが9位、FCヴァッカー・インスブルックが8位。残留をかけた直接対決であり、他会場に関係なく、最終節で勝ったチームが残留し、負けたチームは降格することになる。

運命の最終節は、インスブルックで行われる。

インスブルックは1998年以降、僕の本籍がある街で、いわゆる僕の「オーストリアでの地元」。これも運命なのか。なんというサッカーの神様のいたずらか……。

残留決定戦の地となったインスブルックの「ティヴォリ・シュターディオン」(写真:SVホルン)

残留決定戦の地となったインスブルックの「ティヴォリ・シュターディオン」(写真:SVホルン)

2015年5月27日:メンタルコーチからアドバイス

FCヴァッカー・インスブルック戦に向け、紅白戦でさまざまなMFでの組み合わせを確認する。

練習後、メンタルコーチとやり取り。最終節に向けて、いくつかアドバイスをもらう。このメンタルコーチは、オーストリアU18代表チームのメンタルコーチも担当しており、非常に優秀だ。来シーズンも所属リーグに関係なく一緒に仕事を続けたいものだ。

SVホルンは今シーズンに入ってからまだ1度もFCヴァッカー・インスブルック相手に勝ち点を得たことがない。

確かに、インスブルックのほうが経験と実績がある選手が多いし、特にスタメンに名を連ねる元オーストリアA代表や元スロバキアA代表の中盤選手は強力だ。それに左右の両サイドバックはリーグ内でもトップレベルで、今シーズン終了後には、ともにブンデスリーガのチームへの移籍が決まっている。

強敵だ。それでも勝てない相手ではない。

2015年5月28日:偵察を気にしながら前日練習

朝の8時半にインスブルックに向けて出発。ここ数週間の寝不足の影響か移動のバスの中では熟睡する。

ニュースをチェックすると、ハンブルガーSVやFCバーゼルを率いていたトーステン・フィンクがFKアウストリア・ウィーンの監督に就任すると発表された。

早速祝福のメールを送る。彼はレッドブル・ザルツブルク時代の同僚で、その後も連絡を取りあっていた。彼ならば、バラバラになっているクラブとチームをまとめ上げ、ヨーロッパカップでも良い結果を残せると思う。

それにしてもこの名門クラブの迷走ぶりにはあきれる。シーズン前には「プレッシング&ゲーゲンプレッシングを土台としたサッカーをチームの哲学にする」とレッドブル・ザルツブルク出身の監督を招いたものの、クラブ内での政治力を持つ数人の主力選手の意向もあり、シーズン途中でこの監督は解任された。

まったく実績を残せていない元OBに暫定監督を任せ、新スポーツディレクターを招いたかと思うと、監督候補にバラコフ、マガト、ゾルド、スロムカなどまったくタイプの違う監督が挙がり、マガトに断られてから最終的にフィンクに収まる、という流れ。

あれだけ経営面で成功を収めているクラブなので、現場を含めたクラブの哲学をしっかりと持ち、優れた結果をコンスタントに残せるようになってほしいと強く願う。さもなければ、今後はレッドブル・ザルツブルクどころか、最大のライバルSKラピード・ウィーンとの差も大きくなってしまうだろう。

午後にインスブルックの隣町・ハルにあるホテルに到着。チェックイン後、地元クラブの練習場を借りて軽く練習。多くの地元住民が集まってきており、練習を見学していた。以前、FCヴァッカー・インスブルックで監督をしていた人物もいた。

相手クラブの関係者がスカウティングに来ている可能性があるので、紅白戦ではメンバーをシャッフル。セットプレーの確認も意図的に行わなかった。すでに試合前の戦いが始まっている。

当たり前の事だが、明日の最終戦へ向けての選手達のモチベーションは高く、良い内容の練習ができている。明日のスタジアムには1万3000人以上が集まるらしい(インスブルックの人口は13万人、ということは10人のうち1人がスタジアムを訪れる計算になる)。

観客のほぼ全員がFCヴァッカー・インスブルックを応援するだろう。わが選手達はこのような雰囲気の中でプレーするのは初めてのことかもしれない。プレッシャーを感じず、逆にこの状況を楽しんでもらいたい。

明日がわれわれの決勝戦だ。

試合前に選手に声をかけるモラス雅輝コーチ(写真:SVホルン)

試合前に選手に声をかけるモラス雅輝コーチ(写真:SVホルン)

2015年5月29日:残留をかけた決戦

通常のルーティーン通り、午前に軽い練習を行い、昼食を取ってからチームミーティング。合間にはそれぞれ選手達と打ち合わせ。午後に宿泊ホテルで軽食を取った後、チームバスでインスブルックのスタジアム「ティヴォリ・シュターディオン」に向かった。

数日前に完成させたモチベーションビデオを、スタジアム到着時間から逆計算してチームバス内で上映。

このビデオでは「今日こそ新たな歴史をつくり、クラブ史に名を残すチャンス」という意味合いのメッセージを取り入れた。BGMには、ある浦和レッズの熱狂的なサポーターから教えてもらった日本の曲を使用した。

モチベーションビデオにぴったりの音楽だと思い、長年に渡って自分のPCに保存しておいたのだが、今日が最も適していると思い使用した。浦和レッズのサポーターには心より感謝したい。

チームバスはインスブルックの街中に入り、スタジアムが近づいてくると見慣れた光景が広がってきた。この景色、何百回、いや何千回見たであろうか……。この通りにあるほぼすべての店やレストランを知っている。

チームバスがスタジアムの敷地内に入った。ここは2008年に開催されたEURO(UEFA欧州選手権)で使用され、スペイン代表のグループリーグの試合などが行われた。オーストリアを代表するスタジアムのひとつである。

スタジアムの専用入口の前でチームバスを降りる。目の前には再び見慣れた光景が広がる。スタジアム前のサッカー練習場だ。以前、僕がインスブルックで指導していた際も良く使用していたこの練習場。一体、僕はこの練習場で何百時間以上過ごしてきたのだろうか。

偶然にも到着した際に、昔の教え子が所属するチームが練習していた。彼にフェンス越しで声をかけると満面の笑顔。本当に久しぶりの対面であった。

スタジアム内に入ると再び知り合いに会う。スタジアム内で相手チームをロッカールームに誘導するスタッフで、以前からの顔見知りだ。そこからはあいさつが止まらない。試合前の時間帯にスタジアム内で出会うのは知り合いばかりだ。以前FCヴァッカー・インスブルックでメンタルコーチを務めた友人やクラブの会長、GM、スタジアムの運営係など。

このインスブルックでの知り合いの多さには、さすがにSVホルンの関係者も驚いていた。また、元教え子や旧知の中であるFCヴァッカー・インスブルックの選手数人とピッチの芝生状態のチェックを兼ねてピッチ上で話し込む。

「残留決定戦だけは避けたかった」という気持ちが強く伝わってきた。

名門FCヴァッカー・インスブルックが3部に降格することはあってはならないことだ。われわれSVホルンとは立場がまったく違う。

そもそも、このクラブは本来ならば1部に所属するべきクラブだ。元オランダ代表監督のエルンスト・ハッペルや、現ドイツ代表監督のヨアヒム・レーブが以前このチームを率いたこともあり、21世紀の初めにはブンデスリーガで3連覇を果たしたこともある。オーストリア・サッカー界のためにもこのクラブが本来の姿を取り戻し、1部に復帰することを強く願っている。

とはいっても、今日ばかりは彼らが負けることを強く願うが……。

試合開始が近づいてきた。試合前のウォーミングアップも担当しているため、ピッチ上にマーカーを設置した。

スタンドから僕を呼ぶ声が聞こえる。10年以上前から知り合いの地元クラブのコーチだ。

彼の息子とともに観戦しに来たとのこと。彼の息子(ミヒャエル)は僕が以前、育成部門の統括ディレクターを務めていたインスブルッカーACから、ドイツのブレーメンに移籍し、つい最近まではオーストリアU17代表のキャプテンを任されていた。

ブレーメン内でもU16、U18、セカンドチームとステップアップしていたが、トップでは契約を得ることができなかったため、来シーズンからFCヴァッカー・インスブルックに所属するらしい。

わがチームの選手達がピッチに出てくると、熱狂的なFCヴァッカー・インスブルックのサポーターが強烈なブーイングを浴びせてきた。

僕はここでの雰囲気に慣れているので逆にモチベーションが上がるが、一部の選手達(特にまだ経験が少ない若手)は動揺しているようだ。試合に集中するように、積極的に選手達に声をかけた。

入場の際、ゴール裏では緑色の発煙筒が焚かれた(写真:SVホルン)

入場の際、ゴール裏では緑色の発煙筒が焚かれた(写真:SVホルン)

開始3分で失点

コイントスの結果、前半はわがチームのGKがインスブルックの最も熱狂的なサポーターがいるゴール前で守ることになった。

さすがインスブルックのサポーター。わがチームのGKがゴールマウスに立つと、大量の発煙筒に火をつけ、発生した緑の煙がゴールを包みこんだ。

さらにはGKに対して強烈なブーイングとヤジが飛ばされた。GKはこの状況にのまれてしまい、試合開始3分で失点を許してしまった。

普通ならば問題なくセーブできたシュートだったが、いつもの実力を発揮することができなかった。開始早々に失点したことにより、選手たちが焦り始めた。このままでは降格してしまう……。

インスブルックのスタジアムはさらに盛り上がり、この熱狂的な雰囲気がホームチームを後押しする。前半37分、インスブルックでプレーする教え子の選手が2点目を決めた。選手達が立ち上がれないほどのショックを受けたのが伝わってきた。最終的には0-3で敗戦。降格が決まった。

完全にアウェーの雰囲気に呑まれての完敗であった。降格という現実を受け入れなくてはならない。

試合後、ロッカールームでは多くの選手が泣いていた。まったく動けない選手もいる。トイレに一人でこもって号泣する選手もいた。プライドが高くてなかなか感情を見せないスペイン出身のボランチも泣き崩れていた。皆言葉が出ない。順番にすべての選手に声をかけたが、どのようなことを話したかは思い出せない。

降格が決まって、ショックを受けるホルンの選手達(写真:SVホルン)

降格が決まって、ショックを受けるホルンの選手達(写真:SVホルン)

静まり返った車内

ロッカールームを出ると、インスブルックのセンターバックとして試合に出場している教え子が声をかけてきた。申し訳なさそうにしている。遠く後ろのほうからは、インスブルックの選手たちがビールを片手に大騒ぎしているのが聞こえてくる。だが、彼は僕に対して遠慮してか、残留の喜びをほぼ見せない。

彼とはもう10年以上の付き合いだ。今後のことやプライベートのことで話をしたが、さすがに今日の試合について彼は話しづらそうであった。別れの際に彼は再度「申し訳ない」と伝えてきたが、彼はやるべきことをこなしただけだ。「君がここまで成長してくれて嬉しい、僕は君を本当に誇りに思っている」と返した。

試合後、チームバスでホルンに向かった。バスの中は静まり返っている。途中、レストランやショップが隣接しているガソリンスタンドにて休憩を入れたものの、会話はほぼなかった。降格が決定したショックが大きく、それぞれ自らの将来に関して大きな不安を抱えている。

3部に降格したため、オーストリア・ブンデスリーガ機構が運営するリーグ(1部と2部)からSVホルンは外れるかたちになり、全選手のプロ契約は無効になる。ということは今日の試合で審判が試合終了の笛を吹いた時点から全選手が「無職」になったのだ。

来月から収入がなくなる状況に置かれた選手たち。来シーズンはどのクラブで契約を得られるのか。それともSVホルンに残り、2部への復帰を目指すのか。そもそもクラブから契約延長のオファーを貰えるのか。さまざまなことが頭の中をよぎっては消えていったに違いない。

ホルンに到着したのは夜中の3時半頃。そのまま事実上の解散式になった。

全選手と順番にお別れ。涙を流す選手、感謝の気持ちを伝えにくる選手、力なく握手する選手……。オーストリアU21代表の選手は「あなたから本当に多くのことを学べた、一緒に仕事ができて嬉しかったし、また近い将来同じクラブに所属したい」と話してきた。僕も涙が出そうになった。

各選手がそれぞれの自家用車に乗り、クラブハウスを後にした。順番にクラブハウスの駐車場を去る選手たち。最後の車体が見えなくなるまで見送った。誰もいない駐車場で、星がいっぱいの夜空を眺めた。

終わってしまった──。熱い思いがこみ上げてきた。

2015年5月30日:再出発

まったく力が入らない、気力がない。今日はいったい何をしたのだろう。

午前からいろいろ細かい作業をしていた。昨日の最終節のダイジェストを確認し、念のため他チームの試合もチェック。もちろんシーズンが終了したことによって、クラブハウスの指導者オフィスの片づけを行う。

クラブハウスでチームキャプテンと今後について話し合い、その後クラブの関係者と来シーズンのスケジュールについて打ち合わせをした。あっという間に一日が経った。脱力感を強く感じる。体中からエネルギーが吸い取られた感覚だ。

しかし、いつまでも落ち込んでいられない。明日からは再び活動しなければならない。

このつらい経験を、今後の成功の糧としなければならない。この降格を、将来の成功の肥しにしなければならない。

*本連載は毎週日曜日に掲載する予定です。