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【第5回】あえてアマチュアとして戦う“逸材”

16歳の怪物ボクサー。拳に込める「クレバー」な強さ

2015/7/31

元WBC・WBA世界ストロー級チャンピオン大橋秀行が会長を務める「大橋ボクシングジム」(神奈川・横浜)で待っていると、約束の時間に現れた怪物ボクサーは、『あしたのジョー』の矢吹丈やライバルたちとは正反対、さわやかさが全身から醸し出されてくる、礼儀正しい制服姿の好青年だった。

U-15ボクシング全国大会5連覇を達成し、2020年東京五輪で金メダル獲得が最も期待されている松本圭佑。彼の強さの秘密を尋ねると、ボクシング関係者・マスコミは口をそろえて「クレバーであること」と断言する。

確かに、インタビューでもこちらの意図を十分くみ取り、時折り言葉を選びながらも的確に答え、頭の良さがすぐに伝わってきた。

では、なぜクレバーだと勝てるのか。16歳の高校1年生ボクサーと対話を進めていくと、その理由が透けて見えてきた。

松本圭佑(まつもと・けいすけ) 1999年生まれ、神奈川県出身。小学3年生の時にボクシングを始め、2010年からU-15ボクシング全国大会で5連覇を達成。国内屈指の名門・大橋ジムに所属し、元・東洋太平洋フェザー級王者で現在トレーナーを務める父・好二とともに、2020年東京五輪での金メダルを目指している。同ジム所属の世界王者・井上尚弥が一目置くほどの才能を備える。

松本圭佑(まつもと・けいすけ)
1999年生まれ、神奈川県出身。小学3年生のときにボクシングを始め、2010年からU-15ボクシング全国大会で5連覇を達成。国内屈指の名門・大橋ジムに所属し、元・東洋太平洋フェザー級王者で現在トレーナーを務める父・好二とともに、2020年東京五輪での金メダルを目指している。同ジム所属の世界王者・井上尚弥が一目置くほどの才能を備える

ボクシングにおけるプロとアマの違い

「常にボクシングのことを考えています。イメージトレーニングが好きで、もうクセになっています」と話す松本は、自分が戦うアマチュアボクシングという競技をよく理解している。アマチュアボクシングの神髄に迫っていると言ってもいいだろう。アマチュアボクシングとプロボクシングの違いを、次のように説明してくれた。

「3分3ラウンド(高校生は2分3ラウンド)で戦うアマは短距離走。世界タイトルマッチともなれば、3分12ラウンドのプロは長距離走。アマでは『落ち着いて、相手の出方を見て』なんて言っていられません。相手より先にペースを握らないと、手を出せないまま終わってしまいます」

「それと、プロは磨き抜かれたハードパンチを武器に、敵にいかにダメージを与えられるかの勝負。アマは手数の多さを競います。テンポよくパンチを繰り出して、正確にヒットさせなければならず、ダメージは二の次です。小中学校の頃は闘争心があって、プロボクシングの子ども版でも良かったですけれど、レベルが上がれば、違うボクシングを身につけなければいけません」

今はプロボクサーたちに囲まれながら、パンチの出し方や当て方、ディフェンスなどアマ仕様への切り替えに取り組んでいる。

規則正しい生活が、成功への第一歩

松本にボクシングの魅力を尋ねると、うれしそうに意外な答えを返してきた。

「相手のパンチを外したときの爽快感。もっと言えば、左フックとかをよけたとき、相手が空振りして、その反動でマットに倒れると“ニタッ”としてしまいますね」

高校生レベルでは抜きん出ていると評されるディフェンスを生かし、パンチをくらわなければ負けないことがわかっている。勝利の方程式を持っている選手は強い。

松本は「試合の日に体調や気持ちをピークに合わせることの難しさ」を体験し、その重要性を知っている。それゆえ、規則正しい生活のリズムを大切にする。

毎朝1時間ほどロードワークを行い、月曜日から土曜日まで毎日2時間ジムで練習して、日曜日はオフ。大会は日曜日に行われることが多いが、試合翌日でも「当たり前のように」練習する。試合前日は特に気負うことなく、普段通り過ごすように心がけている。

「調子が悪いからといって練習を休んでいては、調子が悪いときに勝てない選手になる」というトレーナーである父の教えを守り、どんなに調子が悪くても練習は休まない。そうすれば、多少調子が悪くても、悪いなりに戦うことができ、負けない選手になれるからだ。

元・東洋太平洋フェザー級王者の父・好二(左)とともに、将来の世界王者を目指してトレーニングの日々

元・東洋太平洋フェザー級王者の父・好二(左)とともに、将来の世界王者を目指してトレーニングの日々

受験勉強はメンタルトレーニング

面白いことに、彼はこの春、高校に合格したが、その受験勉強もメンタルトレーニングと捉えていた。もともとは父や大橋会長の母校である横浜高校へ進学するつもりだったが、同校のボクシング部が廃部となり、同部のある横浜市立みなと総合高校を受験した。

「ギリギリのラインでしたけれど、半年間、受験勉強らしいことをやって。最後の1週間はジムへの移動時間がもったいないので、家の周りをロードワークするだけにして勉強しました。やり残したことはなく、体調も万全で、受験日にピークを合わせることができたので、何とか滑り込めました。達成感がありましたね。次にボクシングで何か山場があっても、乗り越えられそうです」

世界チャンピオンと同じ環境で練習

大橋ジムには、八重樫東(元WBA世界ミニマム級チャンピオン・元WBC世界フライ級チャンピオン)や井上尚弥(WBC世界ライトフライ級チャンピオン)をはじめ、現役世界ランカーが何人も所属している。

松本は彼らを心から尊敬する。先輩たちの汗が飛び散るところで、戦う姿勢を感じながら練習することができ、何かにつけ相談できる環境をありがたいと感謝するとともに、自らの強さの要因に挙げている。

だが高校在学中、あるいは卒業後、すぐにプロに転向した先輩たちとはあえて同じ道を歩まない選択をした。

今、目指すのはオリンピック金メダリスト。

きっかけは、2012年ロンドンオリンピックで日本ボクシング48年ぶりの金メダルに輝いた村田諒太の活躍だ。

「日本人がボクシングで金メダルなんて獲れないと思っていたので、ビックリしました。村田さんのロンドンでの試合はすべて鮮明に覚えています。日本人でも、やればできるんだということを証明してくれた偉大な人です。村田さんのようになりたいです」

ジムの同僚とスパーリングを行う松本(左)

ジムの同僚とスパーリングを行う松本(左)

「父親の夢をかなえたい」

さらに、松本の気持ちを後押ししたのは、2020年の東京五輪開催だ。松本はオリンピック出場、さらには金メダル獲得を堅く心に誓った。

しかし、村田の存在や東京五輪の開催決定とは別次元で、もともと松本には彼なりの冷静な計算があった。

「自分には井上さんや松本亮さん(東洋太平洋スーパーフライ級チャンピオン)のような体力やパワーがありません。だから、すぐにプロに行ったら通用しないし、プロの小さいグローブで打ち合ったら即ケガをしてしまうでしょう。アマチュアでもっとキャリアを積んでからでも、プロに行くのは遅くないと思います」

「父は3度、世界タイトルマッチに挑戦しながら、あと一歩のところで世界チャンピオンになれませんでした。自分は父が果たせなかった夢をかなえたい。世界チャンピオンになりたい」

「プロの世界チャンピオンには失礼ですけれど、4年に1度、決められた日に持てる力をすべて発揮して優勝する金メダリストの強さは絶対で、それだけの価値があります。自分はオリンピックの夢舞台で金メダルをつかみ、それからプロに転向して、世界チャンピオンを目指したほうが早く、確実になれると考えました」

オリンピック金メダルまでの青写真

松本はロンドン五輪後、プロに転向した村田の動向に注目している。アマチュアボクシングからプロボクシングへ、どう切替えているのか。プロでやっていくためには、アマチュアでやってきたことに何をプラスしなければならないのか。今はそれを学ぶ時期ではないが、気になって仕方がない。

先輩たちにどれだけ憧れても、自分は別。無闇にまねしたりはしない。“アマチュア最強”と評され、チヤホヤされても、自らの力を冷静に判断し、進むべき道を決め、自分なりのやり方で歩み、栄光に近づこうとしている。

「自分は東京五輪を21歳で迎えます。これ以上ない最高のタイミングです。だからこそ、絶対に出たい。金メダリストになりたい。チャンスは1度。それをつかむためには、高校で選抜大会、インターハイ、国体を制し、大学に進んでからも全日本で優勝して日本代表となります」

もうすでに、5年後までの青写真が描かれているようだ。

元東洋太平洋王者で息子を熟知する父は、松本にとって最高のコーチ

元東洋太平洋王者で息子を熟知する父は、松本にとって最高のコーチ

5年後を見据え、「焦りもあったほうがいい」

松本は「ボクシングをやめたいと思ったことや、ボクシングについて悩んだこと、壁にぶち当たったことはない」とハッキリ言った。

「ひとつずつ目標を定め、遠い先のことは考えず、目の前の試合だけに集中しているからだと思います。大切にしているのは、練習でやったことが次の日、生かせているかどうか。その積み重ねです」

壁を感じないのは、大きな壁の前にいきなり立たず、日々、小さな壁を全力で乗り越えているからに違いない。

今年6月、ウズベキスタンで行われたアジア・ジュニア選手権。松本は地元選手に僅差の判定で敗れ、銅メダルに終わった。負けたのは、小学校4年生以来である。

「悔しかったですけれど、海外でトップ選手と戦うことができ、“負けること”ができました。あのまま負け知らずでずっといくより、良かったです。負けて学んだことがあります。負けないとわからないというのはホントでした。課題も見つかりましたし、これからの力になります」

青写真の中には、負けて強くなることも織り込み済みだろうか。

「自分はまだ16年しか生きていないですけど、5年は長いようでアッという間だと思います。正直、焦りもありますが、『まだ5年ある』ではなく、焦りもあったほうがいいかもしれません」

2020年へ向け、松本圭佑への期待は高まるばかりだ。(文中敬称略)

(取材・文:宮崎俊哉、撮影:是枝右恭)

*次回は、松本圭佑の父・好二が「人生は矛盾ばかり」と痛感しながら実践してきた、父としての教育論、トレーナーとしての指導法をお伝えします。

<連載「金メダリストの創り方」概要>
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会の一つだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのか。隔週金曜日にレポートする。