公共心、それとも自己承認欲求? 出たがり上司の本性
NewsPicks +d編集部
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能力のある部下を使いこなす上司の条件とは?
古代から日本にはそのロールモデルがあります。それは「細かいことは優秀な部下に任せ、自分は人格的魅力で組織を率いる」というかたち。
古代ならば天皇と、たとえば藤原不比等のような優秀なテクノクラートタイプの貴族がコンビとなる。武士でも、アバウトだが器の大きい足利尊氏と、優秀な実務家の足利直義の名コンビがいました。
新選組の近藤勇と土方歳三の組み合わせもその匂いがしますし、明治期の西郷従道と山本権兵衛、東郷平八郎と参謀の秋山好古といった組み合わせなどは、もろにそのかたちだと感じます。
すでにお感じかと思いますが、昭和期に機能した、政治家と実務家キャリア官僚との組み合わせも、このモデルを踏襲していたのでしょう。
ヴィジョンだけ提示して「責任は俺がとる」とどっしりと構えていてくれたら、優秀な部下ほどパフォーマンスを発揮できる。しかもやりがいもある。ただかんたんなようで難しいのは、上司が中途半端に優秀な場合、このモデルは機能しづらい。
中途半端な人だと、あれこれつい口を出してしまって、部下はかえって仕事がやりづらくなる。理想は「優秀な部下を抜擢し、思い切って任せてしまう」なのですが、これができるのはやはり「ずば抜けて優秀な上司」ということになるのでしょう。
もちろん上司サイドとしては「思い切って任せられる部下がいなんだよ……」とボヤきたくものなるものですが、そういう人に限ってというか、そこは「お互い様」のところもあるでしょう。
島津久光も優秀な人ではあったのですが、彼についていった部下は、あまり幸せにならなかった人が多いと感じます。