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【富永京子】社会運動と企業行動のクロスポイントを探る

【富永京子】社会運動と企業行動のクロスポイントを探る

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九龍 ジョー
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社会学者・富永京子の新刊「ビックリハウス」と政治関心の戦後史は、いわゆる「若者の政治離れ」のルーツを、70年代のサブカルチャー雑誌への精緻な研究を通して問い直す一冊だ。

前編では、同書のデータ分析から見えてきた、若者の政治や社会運動への距離感の変化について、富永氏に聞いた。

後編となる今回は、社会運動の現在と、企業がそこにコミットしていく可能性について、話を伺った。気候変動においても、企業の社会的責任がカギになるいま、示唆に富む内容になっているかと。ぜひご一読を。

「自分の頭で考えること」の限界

──前回は、若者たちの政治関心について、70~80年代のサブカル雑誌研究を軸にした著書『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』の話を中心に伺いました。その後、現代に至るまでの流れをどう見ますか。

富永 『ビックリハウス』の読者共同体は、運動や動員など人に流されることを嫌い、民主性・主体性・自発性を尊重した結果、嘲笑や冷笑へと行き着きました。自分の頭で考えることを重視するあまり、政治を忌避してしまったり、選挙にも行かなくなるような流れは、現代にもあるのかなと。

──「自分の頭で考えること」は、一般によいことのようにも思えますが。

富永 たしかにそうです。ただ、個々人で選択を追求するわけですから、自分の個別性や代替不可能性が重視されます。

自分の意見が他者と共有できるかどうかも、わからないわけです。すると、「自分の頭で考える」ことは、コスト判断において、「自分しか頼れるものがない」ということにもつながります。

多様化、個別化したがゆえに、「その人自身の意見を尊重するべき」みたいな議論にもなりがちですよね。そのぶん、当事者性への依拠も強まっている気がしています。

結果、自分の利害を超えた公共や、みんなにとっての善みたいな概念のようなものが追求されにくい状況があるのではないでしょうか。

──言われてみれば、「気候変動問題」も似た構図があるかもしれません。ただ、日本ではこれまで個人レベルではなかなか意識されてこなかったのが、ここにきて、若い世代では切実な問題として、関心が高まっているのも感じます。

富永 じつは社会運動に対する意識にも、その傾向が見られます。若ければ若いほど低くなるものだと思っていたんですが、連合などの調査によれば、30代~40代がボトムで、20代もそんなに変わらないんですが、10代になると上がるんです。

若い世代のほうが政治意識や社会運動への参加意識が高い、という要因について、さまざまな識者とも話してみました。そこで一つ言えるのは、若い世代ほど良くも悪くもライフスタイルに運動が根づいていることがあるかなと。

いまは企業もCSR(企業の社会的責任)やESG(環境・社会・ガバナンス)など、社会や自然環境に配慮した取り組みをいろいろとやっていますよね。そうした流れが消費者サイドにも波及している、ということもあると思います。

労使の対立と心理的安全性

──企業サイドの変化については、どう捉えていますか。

富永 私はわりとポジティブに受け止めています。日本はすでに消費社会ですから、購買行動と運動が結びつくのは、社会参加へのステップとしても重要だと思います。また、規模にかぎらず企業の信頼度も高いですよね。

こういう話をすると、社会運動の成果を企業に簒奪されるのではないか、という危惧の声もありますけど、個人としての政治意識が育つかどうかは、また別の話だと思います。

また、これは連合のものとは異なる調査ですが、ライフスタイルに密接した社会運動に参加する人は、その後、デモへ参加する意欲が高まる、という効果は見られます。その逆はあまりないんですけどね。

なので、社会運動への身近な入り口ができることは、いい流れではないかと思っています。

──富永さんはアカデミアの教育者でもありますが、学生たちの印象はいかがですか。

富永 全般的にエシカルではありますよね。ただ、そのぶん教科書的と言いますか、「いまの表現って、暴力的ではないですか?」みたいなことを言われる局面もあります。

たとえば『ビックリハウス』の研究を3ヵ月ほど学生に手伝ってもらったんですが、その短い期間でも、エシカルな彼らには刺激が強すぎたようで、当時のキツい差別ネタなどに突き当たって、ショックを受けてしまう子もいました。そのあたり、丁寧な配慮が必要にはなりましたね。

──教育機関と同じく、企業の労働現場でも「心理的安全性」への配慮が言われています。

富永 とても、いまどきな概念ですよね。

企業もオープンコミュニケーションが増えてきて、経営層に対して直接なにか言えるようになってきましたと。でも、実際には、そこに権力勾配があるわけです。言える仕組みがあるからと言って、なんでも言えるわけではない。そうした場面で持ち出されるのが、たとえば「心理的安全性」です。

iStock / Getty Images Plus  

ただ、そこで思うのは、「心理的安全性」があれば、本当になんでも言えるのでしょうか。

かつて企業では、労働組合のようなかたちで労使の仮想的な対立構造をつくり、そこでさまざまな「交渉」をしてきました。

いまは労使の対立を忌避して、心理的安全性の名のもと、コミュニケーションを重要視する。それで、はたして労働者の環境や権利は護られるのだろうか、とやや疑問も感じています。

引き継がれる「手法」

──「対立」の話を少し敷衍させてください。たとえば欧米では、あえて社会にコンフリクトを起こす環境保護団体などもありますよね。ああいった戦略についてはどう見ますか。

富永 うーん、難しいところですね。

最近だと「ジャスト・ストップ・オイル」(イギリスの環境運動団体。名画にトマトスープをかけるなどの抗議活動が物議を醸している)のような活動について、ダナ・フィッシャーというアメリカの社会学者が、「意識啓発の手法として認めざるを得ないが、あのような手法で啓発されるような人はすでにその意識を持ちあわせているのではないか」という趣旨の発言をしています。

つまり、手法自体は認めるが、すでに問題が知られている状況であれば、エコーチェンバー以上の効果を持ち得ないんじゃないかと。

逆に言えば、たとえば、わが国では70年代に車イスの障害者がバスに一斉乗り込みするような過激な抗議活動がありましたが、公共の交通機関から障害者が排除されている時代には、とても意義のある運動でした。ですから、過激だという理由だけで運動を否定してしまうわけにもいきません。

──手法と状況の組み合わせで見る必要がありますね。

富永 最近、面白いなと思ったのが、先ほど、若者の意識がエシカルになっている傾向を話しましたが、一方で、意外にも、さまざまな運動の手法が若い世代に受け継がれているケースも見受けられます。

たとえば、いま東京大学をはじめ、いくつかの大学で、学生たちがパレスチナ連帯キャンプのような活動が生まれています。直接的には同時代の海外の活動を参照したのかもしれませんが、見聞きしていると、どうも2000年代の洞爺湖サミットへの抗議キャンプに近い部分があったりするんです。

他にも、やはり2000年代のイラク反戦運動やロスジェネ・ムーブメント、2010年代のSEALDsであるとか、規模の大小はあれど、時代ごとに社会運動を通して蓄積されてきたものがあるなと。

──運動の手法はどのようにして引き継がれているんでしょうか。

富永 先行研究を見ていると、まず人的ネットワークが大きいですね。運動に携わった人の本や記事であるとか、そういった資料が引き継がれて、参照されていることもあるようです。

その反面、運動に関わった人でも、過去の運動を失敗と位置づけたり、黒歴史化してしまう傾向もあります。それこそ『ビックリハウス』の人たちだって、全共闘への反動で、運動へのコミットを忌避した側面があったわけですよね。

iStock / Getty Images Plus  

でも、近いところでは、たとえば2015年、安保法への抗議デモで国会前に20万人が集まったのは事実なわけです。

安保法制は止められなかったかもしれませんが、その後の野党共闘にも、ダイバーシティをめぐるさまざまなアクションにも繋がっている。社会運動って、一見失敗に見えても、かならず未来に何かを残しているんです。

少数で具体的な手触りを軸に

──最後に、企業が社会運動とつながる可能性についても伺えますか。

富永 個人の利害が多様化、個別化してくると、もはや大きな運動や組織だけでは、自分たちの利害が守れないという状況も生まれてきます。

そこで、社会運動論では「アフィニティ・グループ」という言い方をしますが、少人数で集まるところから、自分たちの利害を共有していこう、という草の根の運動もあります。

先日、ある企業に講演で呼ばれたところ、そこでは、80年代の時点で職場内託児所を整備しようとしていたり、育休・産休を男性社員にも拡充しようと頑張っていたり、企業内で「アフィニティ・グループ」的な運動を実践してきた人たちの話を聞くこともできました。

先ほどライフスタイルに密着した活動が社会運動の入り口になりうることを申し上げましたが、企業の場合、商品であったり、場所であったりを通して、言葉や理念だけではないタッチポイントを持てることも大きいのではないかと。

そうした具体的な手触りを軸にすることで、企業の人も、運動の人も、なんなら行政の人も、セクショナリズムに陥らずに、つながっていく回路がもっとあっていいのではないかと思っています。

(取材・構成:九龍ジョー)

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【富永京子】伝説的サブカル雑誌と「政治を遠ざけるマインド」のゆくえ

コメント


注目のコメント

  • 宇野 浩志
    NewsPicks ThinkVertical / Chief Editor

    社会運動はデモやストライキのように「NO(否定)」を突きつけるイメージがある。そのこと自体は心理的安全性と両立するし、環境変化への適応や建設的な議論のためにも必要だと思います。

    前編に書かれていた宝島とビックリハウスのロックの捉え方がわかりやすかったけれど、受け取り方の多様化(個別化)が集合的な政治や運動への冷笑に向かうのだとしたら、なにか新しい回路で外にある「公共」に接続しないと、対立疲れがエコーチェンバーを強化し、それによって外部との対立がますます激しくなるような嫌なループが起こりそうです。

    富永さんが言うようなライフスタイルに根ざした活動やタッチポイントをつくることで、新しい回路を増やせるといいなと思います。


  • 九龍 ジョー
    NewsPicks ThinkVertical / Chief Editor

    富永京子さんへのインタビュー後編を公開。いわゆる「若者の政治離れ」にまつわる前編の話を受け、社会運動の現在と、企業がそこにコミットする可能性について伺いました。

    気候変動においても企業の社会的責任が問われるいま、示唆に富む内容になっているかと。ぜひご一読を。


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