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人は歴史する、ディズニーランドでも(前篇)

人は歴史する、ディズニーランドでも(前篇)

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松原 宏之
人はいつも歴史している―今日も、あしたも松原 宏之

ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドの業績が好調です。客単価を上げることに成功したとの評。しかし、どうかなという気はしています。ここはひとつ、歴史学で逆張りしてみたいと思います。

東京ディズニーランドに絞って考えてみましょう。1983年に日本開園を果たして以来ながく愛されるこの遊園地の核心には〈歴史する〉があります。ディズニーランドがもたらす没入観は、この遊園地がつむぐ歴史物語に来園者たちが呼応するときに生まれるのです。けれども、両者にズレが生まれたらどうでしょう。ひと遊びしてみましょう。

まずはご案内

ディズニーランドで人は歴史します。この場所で遊ぶとは、ここに張り巡らされた時間軸―文明の歴史―に身を委ねるということですから。まずはディズニーランド研究でよく知られる見立てを使ってご案内しましょう。

正門ゲートをくぐって、ディズニーランドに入国します。東京版では「ワールドバザール」ですが、オリジナル版では「メインストリートUSA」と呼ばれたアーケード街です。創業者ウォルト・ディズニーが幼年期をすごした中西部ミズーリの駅前通りの再現とも言われる、賑やかでありながらどこか郷愁をたたえる商店街に足を踏み入れ、機嫌良く迎えてくれるディズニー・キャラクターやアーケードの向こうに見えるシンデレラ城を眺めれば、別世界に居ることがただちに体感されます。

ディズニーランドの醍醐味が個々のアトラクションというよりも園全体で演出される雰囲気、世界観、ストーリーだとはよく言われること。この一体性の秘密を理解する必要がありましょう。数多くのアトラクション、個性ゆたかな6つのエリア、繰り出されるイベント、これらを全体としてまとめあげるのが歴史の軸です。

ワールドバザールを抜けて、左手から歩き始めましょう。「アドベンチャーランド」、オリジナル版ではフロンティアランドと一括されていた「ウエスタンランド」と「クリッターカントリー」、同じくファンタジーランドが枝分かれした格好で「ファンタジーランド」と「トゥーンタウン」、そして「トゥモローランド」。左手からぐるっと時計回りに進むのがディズニーランドの正しい(!)まわり方です。

いくつかのアトラクションを取り上げてみましょう。

By Гурьева Светлана (zooclub.ru) - Own work, CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons

アドベンチャーランドの看板アトラクション、船頭の案内でボートの旅を楽しむ「ジャングルクルーズ」で追体験するのは、自然であり、野蛮です。コミカルな演出に安心して驚く視線の先には、巨大なカバ、ゴリラ、首狩り族の村があり、ボートに乗ったわれわれは探検隊の一員です。野生動物、蛮族、そして人気アトラクション「カリブの海賊」に登場する海賊まで、それらはいずれも文明世界と対置されるキャラクターです。

文明と未開の切り分けは、アメリカ国内開拓を描くウエスタンランドやクリッターとの対比で明瞭です。「蒸気船マークトゥエイン号」に乗り込むのでも、「トムソーヤ島いかだ」で遊んでも、「ビッグサンダーマウンテン」で鉱物掘りでも結構です。舞台ははっきりとアメリカに移り、西部開拓から資源開発にいたるまで、それらは文明化への途上ゆえの興奮の追体験です。

ビッグサンダーマウンテンでひとはしり

子ども向けアトラクションがそろったファンタジーランドやトゥーンタウンは箸休めということにしておいてください。ファンタジーの世界に安心して羽ばたける変わることのない今日です。お子さんと一緒に、ピーターパンやピノキオと遊んでも、ミッキーマウスと写真に写っても良いでしょう。ファンタジー系お化け屋敷「ホーンテッドマンション」にいたるまで、最後は安心して日常に戻ってこられます。気むずかしい父親との確執をかかえたウォルト・ディズニーは、失われた子ども時代を取りかえすことにことのほか執着したと言われます。

そして最後に、文字通り未来世界を提示するトゥモローランドです。派手なアトラクションが多い人気のエリアですが、先ごろ休止した「スペースマウンテン」を挙げるのがふさわしいでしょう。鉄道、蒸気船、そして車や飛行機は、ディズニー世界が畏敬してやまない文明の利器ですが、その最終形態として登場するのがこのコースター型宇宙船です。

By whity - IMG_6632, CC BY 2.0 via Wikimedia Commons

駆け足でまわって見通しを手にしました。野蛮や未開との対比で保証される絶対的な現状肯定と未来への楽観、これがディズニーランドの世界観です。ロサンゼルス郊外に1955年に開園したディズニーランドは、20世紀半ばに「黄金期」を迎えたアメリカ社会への期待と確信とをその根底に置いています。アメリカ人はこれをおおいに歓迎し、各国からの来園者がこのアメリカの夢をひと目みようと列をなし、東京ディズニーランドでこの世界観を追体験することを日本人もまた楽しんだのでした。

〈歴史する〉とは?

ディズニーランドの構造はわかったけれど、〈歴史する〉って何?アメリカの歴史なんて知らないし、気にしたこともないし、ましてや〈歴史する〉なんて聞いたことも・したことないんだけどとおっしゃいますか。

自覚をかいくぐってくるのが〈歴史する〉のひとつの特徴です。するともなしに、やってしまうのが歴史実践という行為。ふたつのことを確認しましょう。

①過去にすでに起きてしまって今から変えるわけにはいかないはずの歴史は自明の前提に繰り込まれがちです。1776年に独立宣言が発されたことは事実なので、ハイそうねとしか言いようがないし、なんの判断もアクションもないでしょ、と人は思います。

②ところが、それもまた受容というひとつの行為なのです。うんそうだね、そんなこともあったねという承認で、人は参加します。うむ、アメリカ合衆国の起点は1776年だねと確認することで、その人は「アメリカ人」になります。1776年は大事な年だぞと気にする「日本人」はあまりいないことと対比すると、ここに1776年を選び取るというアクションがひっそりと生じていることにお気づきいただけるはずです。人は〈歴史する〉のです。ただの過去情報(歴史)という名詞に思えていたものが、動詞になって〈歴史する〉です。

〈歴史する〉と言っても、お勉強をするわけではありません。研究するわけでもありません。それでも人は、いまを見定め、未来を考えるときに、ほとんど自覚すらしないほどの速さで過去を召喚して、それとの関係でストーリーを組み立てます。

10年後あたしはどうしているかしらとふと思うときに、知り合いたちのライフコースという歴史を参照せずには、見当はつけがたいものがあります。子どもたちをどう育てようかという問いは、たとえどんなに大雑把なものでも、その親なりの近現代史との対話を必要とします。未来に希望をいだくときも、不安をおぼえるときも、わたしたちが思案の足場にするのは今日ここまでの来し方しかありません。

もちろんこのとき、あぁわたしは歴史を参照しているなと自覚する方は少数派でしょう。考えているのは未来についてであって、過去は所与の事実に繰り込まれるからです。爺さん、かあさん、学校の先輩がどんなコースを辿ったかは知るともなく知っています。勢いのある業種はあれかなぁと思うときに産業構造の変遷史をみなが吟味するとは言いませんが、ぼんやりとは似たようなことをイメージしています。日本人はとか、われら静岡県民がとか語るときにすかさず歴史書を手に取るのはだいぶお好きな方でしょうが、いかなる傾向論も将来談義も過去の想起なしには成立しません。見るともなしに歴史を参照してはじめて、だいたいこんな感じかなと腑に落ちます。よぉし、こっち行ってみようと決めたりもします。

たいてい自覚はありませんが、われわれは日々歴史を召喚して、ほいとアクションします。これを〈歴史する―doing history〉と呼ばずになんとしましょう。

ディズニーランドで〈歴史する〉

さぁディズニーランドです。

チリひとつない(落ちているとキャストのみなさんがササッとやって来てキレイにしてくれる)ディズニーランドに感激したときにすら、人は歴史しています。

創業者ウォルト・ディズニーが子ども時代を過ごしたのはアメリカ中西部ミズーリ州の農村地帯でした。農場経営者として一旗あげようとして結局は失敗する父イライアスをはじめ農民たちにとって、そしてその苦難を間近に(父との確執とともに)見ていた少年ウォルトにとって、アメリカど真ん中の自然は決して優しくはありませんでした。過酷な寒暖とともに、いまいましきは泥とホコリ。行く手を阻んで止まない泥と連日の砂嵐との戦いが中西部農民の日常であり、この自然の克服こそがかれらの宿願でした。この願いを共有したウォルトが夢の国をつくろうとしたとき、その夢の中心に清潔さがあり、徹底した人工性の優位があったことを、来園者はいまも確認できるはずです。いやぁキレイだな、イイねと喜ぶとき、来園者はディズニーが提示する歴史の行く末・あるべき社会像に賛同の意を表します。

ウォルトの個人史なんて知りませんという方も、ウォルトの文明化への信頼をすでに満喫したのでした。ジャングルクルーズでカバに驚いたとき(大仰に驚いてくれる船長さんのリードをニコニコと楽しむとき)、われわれは船に乗り込んだ探検隊の一員であり、文明の側から世界を見ます。不気味な海賊たちの世界から帰還してホッとしたとき、われわれはアトラクションをただ見物したというよりも、うむ秩序あるこの世界は良いなと自らの立場を明らかにします。鉱山を走る列車型コースターに乗って西部開拓者の一員を気取ったとき、われわれは開拓で追い出された先住民の立場には気づかないという選択を(主観的にはそんなつもりもなく)しています。そしてスペースマウンテンの青い光に未来を感じて、ほぉほぉ時代がずいぶん進むわけねと得心したとき、ディズニーが思い描く世界の方向に好いんじゃないのとOKを出します。

人は、ディズニーが提示した20世紀アメリカの夢のビジョンに賛同し、そこに身を委ねるという歴史実践をするのです。ただ見物しているようでいて、イイねと承認し、その来し方・行く末にビジョンに乗るという行為―〈歴史する〉、です。

われわれは、ディズニーランドで〈歴史する〉のです。

(ちなみに、きわめてアメリカ的なこのビジョンをどうして日本のお客さんもが受容できたのかは興味深い問いです。すでによく論じられたものではありますが、ときどき棚卸しをしておかねばなりません。雪かきみたいなものではありますが、機会があれば書きます。)

長くなりました。「逆張り」のお話は次回後篇で。参考文献もそちらにまわします。表紙写真はGetty Images。


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注目のコメント

  • 松原 宏之
    立教大学 教授・歴史学

    後篇は次の週末にあげます。


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