2024/8/22

【坂口恭平】社会問題をめぐる「葛藤」の正体とは

NewsPicks ThinkVertical / Chief Editor
建築家、作家、画家、音楽家、新政府総理──さまざまな顔を持つ坂口恭平。近刊のタイトルが『生きのびるための事務』であるように、多彩な活動の原点は、「生きのびること」の探求と実践にある。

まさに人類にとっての生きのびるための技術ともいえる「脱炭素」を入り口に、社会や経済のあり方について、その考えを聞いた。
INDEX
  • 統計データとのつきあい方
  • 問題をめぐる「葛藤」の正体
  • 「寂しさ」へのアプローチ
  • 経済の意義に立ち返る
  • 孫正義氏への手紙

統計データとのつきあい方

──気候変動について、率直に思うところを聞かせてください。
坂口 実際問題、影響は感じますよね。
 異常気象も多いし、細かいところでは寿司ネタなんかも変わってきている。
 ただし、この危機には原因があるわけですよね?
──IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書では、「気候変動が人為的影響によることは疑いようがない」と指摘されています。
坂口 でも、世界中すべての人間が悪いという問題でもないですよね。
──温室効果ガスについて言えば、先進国が多く排出する一方、その影響を強く被るのは途上国であるとか、将来世代にツケを回しているとか、責任の格差が言われています。
坂口 その話にも象徴されるように、脱炭素の言説ってそれ自体はいいことだとしても、自己否定をともなう葛藤がつきまとう感じがする。
 しかも、地球という視点に立てば、いいも悪いもないわけです。だからといって、ただ放っておくのも、それはそれでまずいわけで。
 僕はこの問題の専門家ではありませんが、ここには、いまの社会を考える上での大きなポイントがあると思うんです。
 それは、「葛藤」が問題の本質を遠ざけているのではないか、ということです。
 むしろ「葛藤」が商売になっていて、ビジネスの観点に立つと「葛藤を克服されては困る」というムードすら感じます。
 ですが、その「葛藤」を乗り越えた先にしか、社会的イシューは立ち上がらないと思うんです。
──葛藤を乗り越えるためには、何が必要だと考えますか。
坂口 そもそも脱炭素の究極の目的は、人類が生きのびることですよね。
 その上で考えたいのは、厚労省が日本の若い世代(15~39歳)の死因ランキングを発表しています。1位はなんだと思いますか?
「自殺」です。
 ただ、僕は社会問題における統計データは、自分の感覚を補う程度で捉えておいたほうがいいとも思っています。それよりも、実際に周りの人間の動きをよく観察してみることが大事です。
 みなさん、どうですか? 家族や親戚、友人、会社の同僚ぐらいまで観測範囲を広げると、自殺までいかなくても、引きこもったり、心を病んでしまったりした方がチラホラいるんじゃないでしょうか。
 対症療法的ではあるのですが、僕は2012年から、「死にたくなったらいつでも電話してください」とプライベートの電話番号を公開する「いのっちの電話」という活動をしています。
 この活動で、これまで約6万人の電話を受けてきました。相談者のうち、自殺してしまった方はひとりだけです。
 精神科医の斎藤環さんは、専門のカウンセラーでもありえないほどの有効性を示す数字だと言ってくれました。
 そして、先ほど自殺に関する統計データはあまり参考にならないと言いましたが、6万人の電話を受けたことで、僕自身に蓄積された重要なデータがあります。それは、「声」です。
──相談者の「声」ですね。
坂口 自殺を考えるに至った事情は、人それぞれです。たとえば会社の人間関係であったり、兄弟との遺産相続であったり、多重債務であったり。
 しかし僕が聞くのは、そういった事情ではありません。その人の声なんです。そこに自殺にまつわる情報が詰まっているんです。
 声というのは不思議で、以前、『徘徊タクシー』という小説にも書いたんですが、認知症の老人も、昔聴いた歌は覚えているんです。
 ここでいう「歌」とは、人間の声がメロディに乗っているものです。子どもの頃に聴いた歌でも、一生忘れない。
 また、太古の昔は、長い物語が口承文学として口伝てに受け継がれてきたという話もある。文字を持たない民族にとって、歌は歴史や伝統の記憶装置でもあった。
 つまり、声というのは個人の情報でもあり、集団のビッグデータでもあります。
 僕はかつて、「0円ハウス」で生活する路上生活者の方たちに話を聞いていましたが、彼らの多くは、お金がなくても問題のない「声」をしていました。
 でも、僕に電話をかけてくる6万人の相談者の声は、すべて悲哀の歌のように聞こえるんです。
 6万人の声を聞いた結果、僕の実感では、死にたくなる原因はほぼひとつに特定されつつあります。

問題をめぐる「葛藤」の正体

──自殺の要因をひとつに絞ることができる?
坂口 ええ、社会的な状況がトリガーではありますが、行き着く先はだいたい同じ。「私みたいな無価値な人間は死んでいい」という思考回路です。何なら、「私なんて……」は死にたい人の口グセと言ってもいい。
 なので、まず僕は、相手がここにハマっていないかどうかを声で判断します。
 たとえ借金が1億円あろうと、劣悪な環境から抜け出せない状態であろうと、この思考回路にハマっていなければ、死ぬところまではいかずにやっていける。
 もちろん、「キツい!」とか「苦しい!」とかはありますよ。でも、「助けて!」と言えているうちはいいんです。問題は、「助けて!」が言えずに、「私なんて……」となってしまうことです。
 では、「助けて!」と「私なんて……」の違いとは何なのか。ここには重要な概念が潜んでいます。
 それは、「寂しさ」です。
「寂しさ」は、お金の有無と関係ありません。
 とはいっても、お金に困っている場合、「とりあえず10万円を渡せば、人は死なない」という経験則もあるにはあるんです。たしかコロナ禍での一時給付金が10万円でしたよね。あの額面設定は、僕の実感としてもよくわかる。
 ただ、根底に「寂しさ」を抱えている場合、それは対症療法にしかなりません。
先日まで岡山で『さびしさ』と題した個展を開催した坂口。そこで展示されたパステル画の一枚。

「寂しさ」へのアプローチ

──相談者の「寂しさ」には、どうプローチするんですか。
坂口 まず、手前にある「死にたい」という感情が間違っていることを伝えます。そのために、いったん「死にたい」と思っている人格を分離します。
 こんな感じです──。
「いま、目の前に、死にたいぐらいキツい状態で苦しんでいる人がいます。この人に向かって、あなたは『死ね』と言いますか?」
 すると、ほぼ万人が、「言いません」と答えます。
「ですよね。生きる道が閉ざされかけている人に向かって、『死ね』とは言いませんよね。では、あなたが自分に対して『死んだほがいい』と思うのも、おかしくないですか?」
 今度は、ほとんどの人が、「でも……」と返してきます。「でも、私みたいな価値のない人間は、生きていてもしょうがないじゃないですか」と。
 そしたら、最初に戻るんです。
「ちょっと待ってください。生きる価値がないと思い込んでいる人がいるとして、あなたはその人に向かって、『死ね』と言うんですか?」
「言いません」
 これを繰り返していきます。
──「死にたい」という人格を切り離し、客観視させると。
坂口 なぜなら、この思考回路の人たちは他者否定をしません。自己否定だけをするんです。
 どうして他者ではなく、自己へと否定が向かってしまうのか? ここを掘っていくと、多くの人が幼少期の体験を語りはじめます。
 たとえば、「寂しさ」を誰からもケアしてもらえなかった。その苦しさを誰にも打ち明けられなかった。
 そして、これは現在も同じなんです。根底にある自分の「寂しさ」に気づかないまま、ケアもされない、相談もできないという状況で、ますます「寂しさ」が醸成されていく。まるで、寂しさ醸成工場です。
 この「寂しさ」をなんらかの依存で埋め合わせる人も少なくありません。
 薬物中毒みたいなわかりやすいものから、アルコール依存、セックス依存、不倫がやめられない、摂食障害、それから、ワーカホリックだってそう。
 これらが、最初に言った「葛藤」です。人は問題から目をそらすために、延々と葛藤を続けてしまうことがある。
 ですが、問題の本質的な解決のためには、「寂しさ」と向き合うしかないんです。
 葛藤が起きている部屋には押し入れがあり、なかで小さな子どもが泣いています。なのに、押し入れの存在すら気づかずに、「私はなんてダメな人間なんだ……」と葛藤している――。
 ハタから見れば、「とっとと押し入れの扉を開けて、子どもの話を聞いてやれよ!」ってことじゃないですか。
 ……まあ、エラそうに言ってますけど、これは僕自身の体験談でもあるんです。
『躁鬱大学』という本にも書きましたが、僕も、鬱状態のときは「死にたい」という希死念慮にとりつかれてしまう。自分の「寂しさ」を認められるようになったのも、比較的、最近のことです。
 そして、一見関係ないようですが、「脱炭素」においても、これと似たような構造があると思うんです。

経済の意義に立ち返る

──「葛藤」と「問題の本質」の関係ですね。
坂口 ええ、そもそも自分自身との向き合い方が分かっている人ならば、地球環境が悲鳴を上げている声が聞こえると思うんです。
 これは喩えでもなんでもなくて、昔からある「経済」の話にすぎません。
 だってスティーブ・ジョブズは、フリーモントの工場で、こうやって(机に指を滑らせながら)ホコリがあるかどうかチェックしていたわけでしょう? それは、たんに「いいプロダクトができればいいや」ということではなく、経済を見ていたからだと思います。
 そのプロダクトが人類のエコシステムにおいて果たすであろう役割までを見据えているからこそ、工場のチリやホコリ一つまで気になってしまう。そこまで気を配るからこそ、経済が回る。
 エコノミクスのルーツであるギリシアの「オイコス・ノモス」も、中国の「経世済民」も、つまりは、世の役に立ち、人を助けるための考え方じゃないですか。
──それこそが「経済」であると。
坂口 ギリシアといえば、ソクラテスの言葉で「汝自身を知れ」というのがありますよね。
 これなんかまさに「自分自身との向き合い方」を啓発する言葉です。
 ただ、この言葉は、フーコーによれば、「自己への配慮」であると同時に、自分を救ったあとは、賢者のように山に籠もるのではなく、公衆の面前に立って、どうやって自らを助けたのかということを高らかに声で説明しなさい、という教えでもあるそうです。
 だから、僕がビジネスパーソンの皆さんに言いたいのは、脱炭素もいいけど、その前にきちんと「エコノミー」の感覚を持とう、ということです。
「会社」という単語をひっくり返してみるといいです。極小の「社会」が現れる。自ずとすべきことがわかってくるはずです。
 ただ、ここでも同じ問題が浮上してきます。
 僕が見るところ、会社や組織のリーダーである人が「寂しさ」を克服できていないというケースが、意外と多いんです。
 いちメンバーはいいんですよ。でも、経営者やリーダークラスは、自らの「寂しさ」と向き合い、克服できていなければならない。
 ギリシアばかり例に出してしまいますが、古代ギリシア社会では、リーダーは自己統御や自己配慮の能力によって選別されていました。さらに弁論術や真実表明術なども必要です。
 リーダーがこうした技術や資質を持ち合わせていない組織は、脱炭素は言うに及ばず、「会社」という社会を運営していくことも難しいのではないでしょうか。

孫正義氏への手紙

──坂口さんは、かつて「日本の自殺者をゼロにする」ための企画を、手紙の形式で孫正義さんに提言(*)したことがあるそうですね。
坂口 返事はありませんでしたけどね(笑)。
 でも、想像してほしいんです。たとえば日本が国を挙げて自殺者ゼロ経済に向かった場合、何が起こるかを。
 そのための投資として企画書には20億円という数字を書きましたが、孫さんのファンド規模からすれば、現実離れした話ではないはずです。
 そこで生まれる声や、社会のポテンシャルを思えば、貧困問題の解決だって、カーボン・ニュートラルだって、ぐっと可能性が高まると思うんですよ。
 まあ、孫さんや誰かをアテにせず、まずは自分ひとりで練習を始めてみるのもアリかと。
──練習、ですか?
坂口 「寂しさ」と向き合い、自分で自分に声をかけてみる練習です。
 すると、自分がたったひとりでも、じつはひとりきりではないことがわかる。自分のなかの内省の声と、実際の声とが、親子関係を結ぶような感覚が持てるようになります。
 僕はいま、この自分の内なる声との関係性にしか、「家族」を感じていません。逆に言えば、ここにだけは「家族」の可能性が残っている。
 そして、この声の起源を辿ると、そこに歌がある。僕たちがどこから来たか、どこへ行くのか。それを知っている歌こそが、大自然なんです。
 脱炭素しようが、緑を増やそうが、歌を失えば、共同体は終わりです。
 だから、統計データもいいけど、その時代を生きる人たちの「声」を聴くことも同じくらい重要なんです。歌を感じ、リズムを感じることが。
 だって地球の胎動とのハーモニー抜きで気候変動について考えることなんて、はたしてできるのでしょうか。
 こういう話を、いかにスピリチュアルにならずに伝えるかが、僕の使命のひとつである気がしています。具体的に、目の前でやっていくだけなんですけどね。