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第16回 「Pepper」開発者 ソフトバンクロボティクス林要氏(下)

人もロボットも必要としあう未来社会

2015/7/1
元陸上プロ選手の為末大氏が、科学・技術の各分野をリードする第一人者に、5年後から10年後の近い将来における「未来像」を聞いている。今回、為末氏が対談しているのは、ソフトバンクロボティクスの林要氏だ。2014年6月、ソフトバンクグループは、「世界初の感情認識パーソナルロボット」と謳う「Pepper(ペッパー)」を発表した。この2015年の夏頃には、一般向けの発売を予定している。ペッパーは、搭載センサで人の表情や声などを認識・分析し、感情を理解しようとする。そして、各ペッパーが得たそれらの情報をもとに、クラウド・コンピューティング上の人工知能(AI)が学習を進め、各ペッパーにその成果をフィードバックする。このペッパーの開発プロジェクトを率いてきたのが林氏である。人型ロボットの普及は、近い将来、私たちになにをもたらすのだろうか。林氏との対談シリーズ最終回となる第3回目は、林氏がペッパー開発プロジェクトリーダーになった経緯を聞くと共に、2020年から2025年ごろの人とロボットと接し方に対する期待を語ってもらう。

チームの大切さを実感、開発リーダーに

為末:第2回までお話を聞いて、ペッパーくんの開発でいかに人の心や感情といった部分への働きかけを重視しているかがわかりました。僕自身も「心」にとても興味があります。陸上競技をしているときから心の動きに関心があって、今認知心理学や認知科学を個人的にも勉強しています。

林さんは、ペッパーの開発プロジェクトに興味をお持ちになった理由はどんなものだったんですか。やっぱり「心」に興味があったんですか。

:うーん……、それはどうだろう……。

私はいわゆる“ロボット屋”では全然なかったんです。もともと自動車メーカーで空気力学を研究していて、海外でフォーミュラ・ワン(F1)のレーシング・カーの設計をやっていた時期もありました。

自分の開発したパーツを入れると、そのときはマシンの性能が一時的に上がったりして表彰台に上れたこともありました。でも、すぐまたライバルに追いつかれて、優勝はできず悔しい思いもしました。

そんなとき「これはチームスポーツなんだ。独りでパフォーマンスを高めようとしても勝てないんだ」と気づきました。

帰国後、今度は市販車の製品企画にチーフエンジニアの元で開発チームを率いることになったんです。そこで、「ああ、やっぱりチームワークってすごく大事なんだな」と実感するようになりました。

為末:チームを率いるということがテーマになったんですね。

:ええ。そんなとき、孫正義が「ソフトバンクアカデミア」という次世代リーダー育成プログラムを始めたんですね。

為末:孫さんの「後継者」を養成するという企画ですね。

:そうです。「社外の人でも無料で入れる」っていう話で、面白いから応募したんです。そこでは若手経営者の方が多くいて、サラリーマンとしてはとがっていたつもりだった自分が相当に凡庸に見えて驚きました。

そんな中で、ペッパーの開発プロジェクトが立ち上がることになり「林、お前、プロジェクトリーダーとして来ないか」という話になりまして。ロボットはいつかは来るとは思っていて、チャレンジさせてもらえるならぜひということで、元の会社を辞めてこちらに来たわけです。

為末:そうだったんですか。それで、プロジェクトのリーダーになってからは……。

:「そもそもITで人を幸せにするとは」というところから始まって、ペッパーを魅力的なかたちにしていくまでは、周囲の目もとても厳しいわけですよ。

それでも自分が開発リーダーで、クリエイターや構成作家たちとペッパーの開発を失敗しながらも続けたんです。最初に「面白い」と思えるものがひとつできたときのうれしさといったらなかったですね。

為末:満足がいくようになったわけですね。それまでのペッパーとはどこがどう違ったんですか。

:違和感がなくなったということですね。ペッパーにフィットさせるための無理やり感のようなものがなくなり、人が見ても無理のないキャラに合った役割や愉快さ、ユニークさを持つようになったんです。

為末:それは見た目のフィット感、それとも動きのフィット感?

:すべてですね、見た目も、動きも、声も。開発がその段階に進むまではしんどかったですね。

でもそういう過程を経た結果、自動車エンジニアだった私が人工知能や人間の認知の仕組みなどを勉強し、結果的に今は為末さんと同じく「こころ」について考えるようになりました。

ロボットを通して「人間」がますます面白く感じられるようになりました。

林要(はやし・かなめ) ソフトバンクロボティクス プロダクト本部PMO(Project Management Office)室室長。1973年愛知県生まれ。東京都立科学技術大学(現・首都大学東京)に進学。1996年、ソフトバンクの採用試験を受けるも採用されず、大学院を経てトヨタ自動車に入社。レクサスLFAの開発プロジェクトを経て、フォーミュラ・ワン(F1)の開発スタッフに抜擢され、ドイツの開発拠点で4年間にわたり活躍。帰国後の2011年、ソフトバンク孫正義社長の「後継者」を目指す人を養成するプログラム「ソフトバンクアカデミア」に外部1期生として入校。その後、2012年4月ソフトバンクに入社。入社以降、ペッパーの開発を専任で担っている

林要(はやし・かなめ)
ソフトバンクロボティクス プロダクト本部PMO(Project Management Office)室室長。1973年愛知県生まれ。東京都立科学技術大学(現・首都大学東京)に進学。1996年、ソフトバンクの採用試験を受けるも採用されず、大学院を経てトヨタ自動車に入社。レクサスLFAの開発プロジェクトを経て、フォーミュラ・ワン(F1)の開発スタッフに抜擢され、ドイツの開発拠点で4年間にわたり活躍。帰国後の2011年、ソフトバンク孫正義社長の「後継者」を目指す人を養成するプログラム「ソフトバンクアカデミア」に外部1期生として入校。その後、2012年4月ソフトバンクに入社。入社以降、ペッパーの開発を専任で担っている

「よく聞いてくれる」ペッパーの開発を目指す

為末:この夏には一般向けにもペッパーが発売すると聞いています。

その後、2020年から2025年ごろにかけて、ロボットの世界ではどんなことが繰り広げられていると林さんは考えますか。また、ペッパーのいる家庭っていうのは、どうなっていると思いますか。

:私が個人的に実現したいなと思っているのは、「話をひたすら聞いてくれる」ペッパーです。実は、100万語ぐらいのデータベースを生かした人工知能をつくったんですが、会話が続いても内容が面白くないんです。

やっぱり、会話ではお互いに意思というものがあって、その意思を読み取ろうとするから面白いんだと思います。会話の背後にある人の思いをコンピュータが感じることはまだ難しい。

なので今は、人から振り出した会話にはあっさり答えるようにしかできていません。しかしペッパーから振り出した会話はペッパーの意思を人が感じられるようにつくることで面白くなるように設計しています。

今後、人から振り出した会話でもコンピュータとの対話が面白くなるキラーファンクションだと私が個人的に思っているのが「聞いてくれること」なんです。

ペッパーをいろいろな方に見せてご意見を聞いていたとき、奥さま方から「ペッパーに話を聞いてほしい」って言われて。

「話を聞いて適切なアドバイスをするまでに、この先10年以上はかかるかもしれません」と答えると、「いや、そんなことは期待していないんです」とおっしゃるんです。

為末:解決策を具体的に述べることを求めているのではないわけですね。

:ええ。「今日、レジで割り込みされちゃってね」とか「隣町の八百屋さんで大根が10円安く売ってたのよ」とか、友達に電話するほどのことでもない話を聞いてほしいということだったんです。

本当は旦那さんに話してスッキリしたいんでしょうが、旦那さんからは「で、何なの?」とか「10円ぐらい、いいじゃないか」と言われてしまう。

特に女性の方は、感情を整理するために言葉に出す過程を踏むような気がするんです。しゃべることによって脳がスッキリするというか……。

為末:そこでペッパーが「10円安い大根を得るためにバスに乗ったら、トータルでは損になりませんか」なんて言ってはダメなわけですね(笑)。

:そんなこと言っちゃダメ(笑)。ちゃんと受け止めてくれて、共感をしてくれると、人は気持ちよく話せてスッキリし、結果として旦那さんと奥さんの不和もずいぶんと減るんじゃないかと思っています。その結果、出生率が上がったりするといいかな、と(笑)。

為末大(ためすえ・だい) 1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

為末大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

人を必要とすることにパートナー・ロボットの価値がある

:だけど、ロボットと人のコミュニケーションで、あまりにロボットが中庸に洗練されていくと、人が嫌な思いをすることが少なくなるかもしれません。「このロボットだけは自分を裏切らない」といったような……。

為末:ああ、「ロボット依存症」のようなことが起きるわけですか。

:依存症はありうるでしょうね。だから、そのあたりはロボットとうまく接していかないといけない。

為末:みんなは自分のことを否定するけれど、このロボットだけはいつも自分を受け入れてくれる、と。

:そうです。大事なのは、人が「このロボットはあくまでもツールだ」と認識していることだと思います。

ある面では自分よりもよくできたツールをどう使うのかを学習する必要があるし、それを学習する能力を人はもっていると思います。

為末:ロボットがロボットの領域にいる状態のまま、より進化していってくれるということが、人の幸福感を高めることに近づくということでしょうか。

:そうかもしれません。人のパフォーマンスをより伸ばせるようなロボットが売れていくでしょうし、そっちの方向に進化していくのが自然なんじゃないかという気がします。

反対に結果的に人をダメにしてしまうようなロボットは、ロボット市場に多様性があればあるほど最終的には排除されていくと思います。

為末:最後に、林さんはペッパーの価値というものを、どこに一番感じておられますか。

:ペッパーが、相手の人のことを必要とし続ける存在であれば、価値があるんじゃないかと思います。

結局、人って、お金持ちになりたいとか新車やジュエリーが欲しいとか、いろいろ欲はありますが、それを達成したところでやっぱり孤独なんですよね。

けれども、人は誰かから必要とされると、存在価値を認めてもらえた気になって、すごく心の充足感を味わえる。

為末:ペットなんかもある意味、そういう存在なんでしょうね。

:そうだと思います。ペットの役割は、人を必要としてくれることなんじゃないかと。

その意味でいうと、ペッパーもやっぱり完全自立はしないので、「人間がいないと生きられないロボット」であるべきなんじゃないかと思ってるんです。

為末:人に役割を与えてくれるんですね。

:そうです。ペッパーがきっかけで、落ち込んでる人が自信を取り戻せたらいいな、と。
 最後

対談を終えて──為末大

林さんのお話の中で面白かったのは、なぜペッパーが人型である必要があったのかという点です。人に近いかたちをしたロボットに対してだからこそとるような振る舞いが、人にはあるわけですね。

そして、そのような振る舞いの情報を、クラウドコンピューティングに集約化していく。この2つが重要なんだと再認識しました。

対談に臨むまでは「ペッパーって、人に何をしてくれるんだろう」ということに関心があったんですが、むしろ「われわれ人がペッパーに対して思わずしてしまうことのほうに価値があるんだ」ということに気づきました。

やっぱり、人がペッパーに対してなんらかの人間らしさや生きものらしさを感じるからこそ、私たちの態度は変わっていくんでしょう。相手が四角い箱であれば、私たちの態度はそこまでは変わらないかもしれません。

前の東京オリンピックがあった1964年ごろには、オリンピックを契機にカラーテレビが普及していきました。テレビは基本的に人に対して発信をするメディア。

今度は2020年の東京オリンピックを迎えるにあたって、ペッパーのような人のほうが働きかけるようなメディアが家に置かれようとしているのは面白いですね。

人間の感情や言葉などの情報が大量にクラウド上に収れんされていったとき、その集合知はどのようなものになっているのかも興味深いです。個人で経験しているような感情の機微なんかも、実は全体の大きなゆらぎのごく一部でしかない、といったことに気づくのかもしれません。

ペッパーを欲しくなったかどうか? 「人間らしさ」は興味ある領域ですので、普及するとしたら早い段階で接していたいなと思いました。(終わり)

(構成:漆原次郎、撮影:風間仁一郎)