2024/9/9

いつのまにか一大集積地。なぜコスメ企業は佐賀県に引き寄せられるのか

NewsPicks Brand Design Editor
 佐賀県の名物と言えば何が思い浮かぶだろうか?
 有田焼、佐賀海苔、日本酒、佐賀牛──。
 農林水産業や伝統産業の印象が強い佐賀県だが、近年、新たに盛り上がっている産業がある。
 コスメ産業だ。

 例えば、化粧品大国として知られるフランスでは、シャルトル市を中心とする大規模なコスメティックバレー(コスメ産業集積地)が、研究・開発・製造を支える強力な基盤となっている。
 日本にもそのような美と健康に関するコスメ産業版のシリコンバレーを作ろうとしているのが佐賀県なのだ。
 2030年には市場規模が1000億ドルを超えるとされるコスメ産業は、世界的な成長分野でもある(※)。その中でも、需要の成長幅が大きいのがアジア市場。佐賀県にはそのアジアと日本を繋ぐ玄関口に位置する地の利がある。
 ※財務省「日本の化粧品産業の展望」(「ファイナンス」2023年2月号)より
 佐賀で新たな産業が芽吹いたのは無論、地理的条件だけが理由ではない。10年以上前から「コスメティック構想」を掲げ、関連企業の誘致や産業振興を進めてきた成果だ。  佐賀はいかにして「コスメ県」になったのか。構想の発端から、順を追ってひもといていこう。

コスメ界のキーマンが見た佐賀の好条件

 コスメティック構想のはじまりは、2012年、ある人物が佐賀県唐津市を訪れたことがきっかけだった。
 仏シャルトル市を中心とする世界最大のコスメ産業の集積地、仏コスメティックバレーの前会長(2代目)であり、コスメ界のキーマンであるアルバン・ミュラー氏だ。
アルバン・ミュラー氏。仏コスメティックバレー協会の前会長(2代目)を務めた
 ミュラー氏は、佐賀県がアジア圏に近く輸出入に有利な地理的優位性があること、化粧品の原料素材に適した豊かな自然環境と本物の地域資源があること、小規模ではあるものの、既に唐津市に化粧品製造や、検査・輸入代行、物流などの産業集積地(現・唐津コスメパーク)が生まれていることなどを理由に「佐賀は日本版のコスメティックバレーになる」との可能性を示唆。
唐津湾沿岸の浜崎地区にある唐津コスメパーク。化粧品製造・販売に関する企業が集積している全国的にも珍しい地域(写真提供:唐津市)
 この提案をきっかけに、2013年にはミュラー氏を初代会長として、佐賀県・唐津市・玄海町の3つの自治体、佐賀大学を含む産学官の連携により、ジャパン・コスメティックセンター(以下、JCC)を設立。その後、JCCと仏コスメティックバレーとの間で協力連携協定が結ばれた。
 こうして、佐賀を日本のコスメティックバレーとするために、唐津市・玄海町を中心とする佐賀県および北部九州に、美と健康に関するコスメ産業を集積させるとともに、コスメ産業への自然由来原料の供給地となることを目指すビジョン=コスメティック構想が本格的に始動した。

なぜ県が「コスメティック構想」をリードできるのか

 コスメティック構想では、関連企業をどのように佐賀へと誘致してきたのか。
 JCCと共に、産学官にまたがる多くの関係者のハブとなり、構想の旗振り役を担っているのが佐賀県庁に設置された「コスメティック産業推進室」(以下、コスメ室)だ。
 コスメ産業をサポートする専門部署が置かれている自治体は、全国でも佐賀県のみだという。
 室長の藤井三絵氏によれば、コスメ室の主な役割はマッチング
 ※取材後の24年6月に藤井氏は佐賀県神埼市副市長に就任。24年9月現在の室長は東泰史氏
 佐賀県は、JCCをはじめとした様々なネットワークやリソースを生かし、美容・健康領域で起業を考える国内外のスタートアップに専門家による事業創出のためのメンタリングや県内の協業先の紹介をしている。
 例えば、原料農家と化粧品メーカー、商品開発を検討する県外からの進出企業と地元のOEM企業、原料研究をしたい大学の研究室と試験農園のマッチングなど、自治体やJCCが間に入って調整することで協業がスムーズに運ぶケースも多いという。
「こうした支援活動の成果もあり、構想の開始から現在までに計14社のコスメ関連企業を県内に誘致できています」(藤井氏)
 コスメ関連企業が一つのエリアに集積していることで、どのようなメリットが生まれているのだろうか。
「コスメ産業はそもそも関わる企業の数が多い。生産者、原料メーカー、原料商社、検査・分析、研究、企画、バルク・容器製造、パッケージ印刷、物流など、
 サプライチェーンを支える企業が横つながりで密に集まっていることで、他地域では難しいスムーズなものづくりや流通が可能になっています」(藤井氏)
 海外への流通においても、アジア圏に近いという地理的優位性だけにとどまらないメリットがある。
「コスメ商品の輸出には規定を満たした検査など複雑な手続きが必要。その点、唐津には輸出関連の検査や通関業務を専門とする企業もあるので、スムーズに進めることができます」(藤井氏)
 また、コスメティック構想では、県内のコスメ関連企業やJCCの会員企業に対し、パリで毎年開催される「COSMETIC360」をはじめ、欧州・アジアなどの国際展示会への出展による販路開拓をサポートしてきた。
 アジア市場を目指す経営者向けの輸出支援セミナーなども継続して行っている。
コスメの業界で世界を目指す企業にとっては、ノウハウを持つ地元企業のサポートを受けやすく、JCCを通じた国際的な連携によりチャンスも得やすい、とても有利な環境と言えると思います」(藤井氏)
「COSMETIC360」は仏コスメティックバレーが主催し、毎年開催されるイノベーティブなコスメ商品の国際見本市。大手からスタートアップまで世界各国からコスメ関連企業が数多く参加(写真提供:ジャパン・コスメティックセンター)

最先端のコスメ研究も佐賀県が誘致

 産業の発展にとって、ナレッジの蓄積や先端領域の研究は欠くことのできない柱。佐賀が知の集積地としても真のコスメティックバレーとなるために、そのセンターの役割を担っているのが佐賀大学だ。
 2021年、佐賀大学はコスメ研究の第一人者として知られる徳留嘉寛氏を教授として招聘。化粧品の研究開発と人材育成を目的に「化粧品科学講座」を開設した。
 徳留教授は「医薬品と化粧品は別物だと思われがちだが、人の身体に対して作用するという点では近しく、多くの人のウェルビーイングを支えている社会的に重要な分野」と語る。
「にもかかわらず、コスメは医薬品に比べると嗜好品として見られがち。コスメ研究者の人材育成に正面から取り組む自治体は今までなかった。佐賀県の取り組みを聞き、面白い、貢献したいと二つ返事で移籍を決めました」(徳留教授)
 現在、化粧品科学講座では主に2つの方向性で研究が行われている。
 1つは佐賀県産の農産物・海産物などから得られた有効成分が、皮膚にどのような効果をもたらすかを明らかにするための、皮膚細胞を用いた研究。もう1つが、皮膚のバリア機能を突破して有効成分を皮膚内部にまで届ける方法についての研究だ。
ヒアルロン酸は分子が大きく、従来は肌内部にまで届けられないと考えられていた。徳留氏は塗布のみで皮膚内部に浸透させる技術の開発に成功
 こうした化粧品や皮膚の科学研究分野にとって重要な研究施設が、実は佐賀県内にある。
 佐賀県立九州シンクロトロン光研究センターだ。「シンクロトロン」とは耳慣れない言葉だが、「平たく言うと、非常に強い電磁波を当てて物体の構造を観察するための研究施設」だという。
「例えば、ある化粧品を使った場合に皮膚の角層に並んでいるセラミドの配列にダメージがあるかどうかを、この装置で検証することができます」(徳留教授)
 国内のシンクロトロンを備えた研究施設の多くは国や大学の所属となっており、自治体として所有しているのは佐賀県のみだという。
「この研究施設の存在は佐賀大へ移籍した決め手の一つです。コスメの先端研究を志す人にとっては、制度面だけでなく設備面でも有利な環境と言えますね」(徳留教授)
 近年、韓国産や中国産の格安コスメとの厳しい競争にさらされているジャパニーズコスメ。
 徳留教授は国産コスメが取るべき戦略について、「良い原料を使い、科学的な効果の裏付けをしっかりと取り、品質の高さで勝負していく」ことに尽きると語る。
「佐賀県産の原材料の質はかなり高い。土壌なのか気候なのか、その要因を科学的に追究し、地元企業との共同開発で商品化にまでつなげていきたいですね」(徳留教授)
 こうした研究機関が県内にあるのは非常に魅力的だが、企業との連携はどのように行われているのか。
「極端なことを言えば、コスメ関連の話であればどなたでも大歓迎です。実は『有明海の泥を顔パックとして使えないか』と、県内の高校生が相談に来たこともあるんですよ。
 大学の研究室だからといってハードルなど感じず、まずは気軽に相談に来てください」(徳留教授)

企業が佐賀県を頼りたくなる理由

 コスメブランド「THREE」で知られるACROは、そんな佐賀県産の原料のポテンシャルに着目し、コスメティック構想を通じて佐賀県内の生産者と原材料栽培の協業に取り組む一社だ。
 THREEは精油(エッセンシャルオイル)を中心としたホリスティックケアをコンセプトとするブランド。
 2023年の秋から、佐賀県の唐津市・玄海町を中心に、たばこ産業で使われなくなった耕作放棄地を再利用する形で地元の生産者と共にハーブ原料の共同栽培を開始した。
ACROは24年7月に東京ミッドタウン日比谷内の「THREE HIBIYA」に精油のオープンラボラトリー 「AROMARIUM THREE」を新設
 ACROでエッセンシャルオイルに用いる原料の研究開発などを行っているホリスティック・リサーチセンターの佐井賢太郎氏は、ブランドが自らエッセンシャルオイルの原料開発に乗り出す場合、産地の気候や風土だけでなく、生産者とのマッチングは特に重要だという。
「エッセンシャルオイルはハーブや果実、樹木などに含まれる天然の芳香成分を蒸留して抽出します。取れる精油の量は原料の重量比でわずか0.1〜0.4%、ハーブだと0.03%しか取れないものもある。
 製品化のためには広大な畑が必要ですし、そうした価値や商品の特質を理解しパートナーになってくれる生産者を見つけたいのです」(佐井氏)
 精油原料の場合、食用の農作物の生産者を探すのとは勝手の違う難しさもあり、求める原料を作ってもらえる生産者の連絡先はなかなか入手できず、畑を使わせてもらうことも簡単ではない。
 佐賀コスメティック構想の取り組みを以前から知っていたACROは、県のコスメ室に相談。コスメ室の仲介を得て、唐津市や玄海町など、かつて葉タバコを栽培していた耕作放棄地を中心に、畑と生産者のスムーズなマッチングに成功。
 THREEが培ってきたハーブ栽培のノウハウと土地の風土に精通した生産者の経験を生かしながら、土壌や気象条件に合った原料開発に取り組んでいる。
 このハーブ栽培は佐賀の生産者にとってもメリットが大きい。
「面積単位で他の農作物と比較しても、遜色のない利益が出る水準を維持しています」(佐井氏)
 まさにブランドと生産者がwin-winとなる関係を築いている。
THREEを手に取る顧客は精油のクオリティーだけではなく、その時代の価値観に沿った生産体制や栽培される土地の風土など、商品の背景も含めてブランドの魅力と捉える傾向が強く、消費も含めた好循環を実現している
 佐賀県で現在育てているハーブは樹木系の品種が多く、長いもので収穫が6〜7年先のものもある。
「それだけ長く土地に関わっていくつもりで行っているプロジェクト。いずれはハーブ畑の近くにエッセンシャルオイルの蒸留所を作る計画もある。収穫や蒸留体験といった現地イベントで、新たな体験価値も生み出していきたい」(佐井氏)
 佐賀コスメティック構想による県外企業と県内生産者とのマッチングが、こうした中長期で企業のブランドの軸を作る活動にもつながっている。

「美と健康」に関する新ビジネスの共創相手を募集中

 佐賀コスメティック構想では、美と健康に関するコスメティック産業の推進のために研究開発支援やアクセラレータープログラムを提供している。そして、2024年は新たな試みとして「SAGAn BEAUTYオープンイノベーションプログラム2024」を実施中だ。
プログラムには多様な企業が参加し、新規事業アイデアを練った
 佐賀県内に拠点を持つ、美と健康に関する事業を行う企業の新規事業創出に伴走し、佐賀県内外の企業との共創を実現させる取り組みだ。
「本施策では既に、新たな美と健康の可能性を見いだせる複数の事業アイデアが生まれています。もしこのアイデアを共に実現したいという企業の方がいらっしゃれば、ぜひ佐賀県と一緒に実現しましょう」(藤井氏)