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ファイティングポーズの安倍首相、談話に盛り込まれる「本音」とは

安倍政権:続く「一強」 リスクはらむ国会会期の大幅延長

2015/6/27
安倍晋三政権の「一強」状況は依然として続いているが、自民党内からはベテラン組に加え、若手からも「なんだかおかしい」と異議を唱える声がようやく聞こえ始めた。派閥の存在感が失われた現在、安倍政権の基盤を反安倍勢力が揺るがすまでには至っていない。しかし、マスコミ各社の世論調査に表れた内閣支持率の動向はもっと注目していい。

内閣支持率と軌を一にする自民党支持率

毎日新聞社の5月末の調査では、内閣支持率は2ポイント下落し45%だった。不支持率は逆に3ポイント上昇し36%に達した。朝日新聞社の6月下旬の調査でも、支持率は前回の45%から39%に下落。不支持率は5ポイント上昇し、37%となった。同時期の共同通信社調査も、支持率は前回より2.5ポイント下落して47.4%に。不支持は5ポイント増え43%となった。いずれも支持が不支持を上回っているとはいえ、僅差だ。

安倍首相が事実上の政治生命をかけている安保関連法案には、毎日では反対が53%と賛成の34%を大きく上回っている。朝日は賛成が29%、反対が53%。共同も賛成26.2%、反対63.1%と、反対姿勢が強まる傾向にある。

衆院選への小選挙区制の導入で、「党営」の選挙色が強まり執行部の権限が一段と増した。安倍一強をつくり出している最大の要因も、ここにあると言えよう。

党首人気は党勢に直接影響を与える傾向が強まっており、それだけに世論の支持を失えば、それに比例して党内指導力は低下する。自民党支持率をみると、毎日では前回よりも2ポイント下がって32%、朝日は3ポイント下落の36%、共同も1.4ポイント減の37%と下落している。内閣支持率と政党支持率は互いに連動しているようだ。

それでも、安倍は持ち前のファイティングポーズを崩そうとはしない。今国会を95日間延長し、9月27日までとした。お盆(8月13~15日)をまたぐ会期の大幅延長は1982年、参院全国区を廃止して拘束名簿式比例代表制度を導入、公選法改正案を成立させた鈴木善幸内閣の通常国会以来だ。

衆院平和安全法制特別委で穀田恵二共産党国対委員長の質問中に秘書官に助言を 求めたことを指摘され、手ぶりを交えて弁明する安倍晋三首相。左は中谷元防衛 相=国会内で2015年6月1日、藤井太郎撮影

衆院平和安全法制特別委で穀田恵二共産党国対委員長の質問中に秘書官に助言を
求めたことを指摘され、手ぶりを交えて弁明する安倍晋三首相。左は中谷元防衛相=国会内で2015年6月1日、藤井太郎撮影

田中角栄政権を想起させる安倍首相

自民党長期政権下での政権交代を観察してきた筆者からすると、歴代の長期政権の多くは発足当初、短期説が有力だったと指摘したい。現在の安倍政権のように、発足時から長期安定政権と思われていた政権でも、思わぬ所から吹き出した逆風にあらがうことができず、崩壊への糸口をつくってしまうケースが少なからずあった。

典型は田中角栄政権だ。ポスト佐藤栄作首相を争う1972年の自民党総裁選で、54歳ながら本命視されていた福田赳夫を決選投票で破り、「今太閤」「庶民宰相」「コンピュータ付きブルドーザー」などと、大いにもてはやされた。当時の自民党総裁の任期は3年で2期までだった。

だが、田中は「その後は盟友の大平(正芳)に譲り、再び復活しようとしていた」と、田中に親しかった先輩記者から聞かされたことがあった。大平政権の1期3年を合わせると都合15年は田中主導政権が続くというのだ。

首相就任直後、中国を電撃訪問した田中は日中共同声明に調印し、国交正常化への扉を開いた。この迅速な決断は、「待ちの政治」と揶揄された佐藤前政権との対比も加わり、田中人気を煽った。発足時の内閣支持率は6割も獲得、それまでの最高を記録した。

余勢を駆って田中は解散に打って出たが、自民党は改選議席を割る敗北。他方、社会、共産両党は議席を伸ばした。同様の傾向は続く地方首長選にもおよび、翌1973年の10月に行われた神戸市長選で革新勢力が制した。その結果、6大都市すべてが「革新自治体」に数えられるようになった。

田中の野望が崩れた端緒は、政権発足直後の「日中国交正常化解散」と見るべきだろう。さらに、翌1973年の石油ショックで日本経済は大打撃を受けた。田中の持論をまとめた著書「日本列島改造論」は、いつしか不動産バブルの元凶と指弾されるようになった。

地方と大都市部、日本海側と太平洋側の格差を解消し、国土の均衡ある発展を目指して全国に工場を分散、農村地域を都市化しようとする壮大なプロジェクトだった。だが、石油ショックで田中政権を取り巻く環境は一変した。「庶民宰相」は「金権宰相」に早変わりし、政権弱体化に拍車がかかった。

田中政権の沿革を縷々語ったのは、安倍政権の軌跡と重複する点が少なくないからだ。「決断と実行」は田中のキャッチフレーズだ。

安倍も、安保関連法案を何が何でも成立にこぎつけ、「戦後レジームからの脱却」を具現化させようとしている。その先には憲法改正を現実の政治課題として見据えている。

「安倍談話」国民的な論争に発展も

だが、手順は思い通りには運んでいない。衆院憲法調査会に招かれた3人の憲法学者のうち、1人は自民党推薦だったが、「安保関連法案は憲法違反」と指摘した。これをきっかけに、安保法制反対の世論が一段と盛り上がりを見せ始めた。

安倍が尊敬してやまない祖父、岸信介首相は1960年、日米安保条約改定は実現させたものの、それを契機に退陣に追い込まれた。国会での相次ぐ強行採決が、国民からの反発を招いたからだ。安倍はそのわだちを踏むまいと、国会会期の大幅延長を決断、慎重審議に徹する構えだ。

当然、リスクも覚悟しなくてはならない。9月8日告示、20日投開票の自民党総裁選も国会開会中だ。党内結束が強調され、ますます安倍一強色は強まるだろう。官邸サイドは無投票再選を目指し、他候補を擁立する動きには、早々に圧力をかけているようだ。

党首脳を経験したベテラン議員は、そんな官邸サイドの真意を「任期途中で退陣するような場合でも、『安倍裁定』で後継者を選ぼうとしているようだ。対立候補が擁立されると、総裁選次点者が『ポスト安倍』の有資格者になってしまうからだ」と、推測する。

終戦記念日に合わせての「安倍首相談話」への諸外国の反応も、即座に国会論戦のテーマになる。

戦後50年の「村山富市首相談話」に盛られている「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し多大な損害と苦痛を与えました」という一節が、どのように「安倍談話」に継承されるか、世界的にも注目されている。

安倍は「安倍談話」を閣議決定せずに公表しようとしている。私的談話にトーンを落としても、自らの本音を織り交ぜたいようだ。近隣諸国だけでなく、米国などからも日本の姿勢が問われている現状では、閣議決定の有無は小手先にすぎない。

「安倍談話」に無視できないようなリアクションが各国から示されれば、国会ばかりか国民的な論争に発展しかねない。それだけに、「談話」発表前に国会を閉じるのが安全策だったはずなのだ。首相退陣後も権勢を振るおうとした田中だったが、復活への道程を断ち切ったロッキード事件の発覚(1976年2月)は、衆院予算委員会の真っ最中だったことが想起される。

(松田喬和記者のネット限定記事は、こちらでもご覧いただけます)

*本連載は月5回配信の予定。原則的に毎週金曜日に掲載し、毎月第5回目はランダムに配信します。