2024/6/12

「ニッチトップ魔術師」が織りなす、表面処理ビジネスの可能性とは

NewsPicks / Brand Design editor
 固体は神が創りたもうたが、表面は悪魔が創った── 。

 1945年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者ヴォルフガング・エルンスト・パウリ博士は、表面科学の複雑さをこう表した。

 世の中に存在する、あらゆる物体の表面には机上の理論を超えた未知の世界が未だ多く隠されている。

 そんな中、「あらゆる表面をカガクで変える」をスローガンに、金属の耐食性、耐摩耗性を高めるだけでなく、密着性、親水性、防汚性、絶縁性などの新たな機能付与も可能とする「表面処理」を専門とするグローバルニッチトップ企業が、日本パーカライジングだ。

 1928年、「パーカライジング」法という表面処理技術のライセンスを米国から受けたことから同社の歴史がはじまり、現在では自動車や家電製品など私たちの日常を囲む多くのモノの表面に関わり、グローバルに事業を展開している。

 本記事では、そんな同社が深く関わる、知られざる「表面世界」の奥深さとビジネスの可能性、未来へのビジョンに迫る。

物質の表面に機能を与える「表面処理」

── 表面処理とは、一体どんな技術なのでしょうか?
吉田 表面処理は、大きく分けると2つに大別できます。
 1つは、物の見た目を美しくする技術。もう1つは、物の表面に特別な機能を与える技術です。
 美しく見せるとは、彩色などを施して物質の表面を美しいビジュアルに仕上げるものなので、目に見え、誰もがイメージしやすいと思います。
 一方、特別な機能を与える表面処理技術は、なかなか身近に感じられないかもしれません。けれども実は、身近なところに多数存在する技術なんです。
 表面に新たな機能を与える、表面の性質を変えるということで、“表面改質”という言葉で語られることもあります。加工という言葉が使われる場合もありますが、ちょっと専門的なので、今回は表面処理という言葉で説明させてください。
 私ども日本パーカライジング株式会社は、この、目には見えない“物質の表面に機能を与える表面処理”に特化した会社です。
──表面処理によって“特別な機能が与えられている物”とは、具体的にどんな物が挙げられるのでしょうか?
 身近なところだと自動車です。世界中を走っている自動車は、すべてに表面処理が施されています。
──すべてにされているんですか。
 はい。私どもが供給している場合もありますし、もちろんライバル会社もおりますので、その場合も含みますが誰かが供給しています。
 自動車車体の表面(外板)は塗装が施されています。塗装は、冒頭お伝えしたような“美しく見せる”ものです。赤とか黄色などキレイな色をしていますよね。実は、あの赤とか黄色などの下に表面処理が施されています。塗装と金属の間ですね。
 表面処理皮膜がないと、実は金属でできた自動車車体は容易に錆びてしまうんです。
 自動車の部品、例えば、ガソリンタンク、ギア、タイヤホイールなどにも表面処理が施されています。また、それをつくる過程でも表面処理技術はいかされているんです。
 タイヤはゴムでできていますが、あの中に針金のようなものが実は織り込まれているんですが、その細い金属線を作る過程でも表面処理技術が活用されています。
──サビを防ぐ以外の表面処理もあるんですか?
 摩擦を防ぐ表面処理もあります。
 車に詳しい方はご存じかもしれませんが、エンジンで走る車は、ガソリンを燃焼してそのエネルギーを動力に変えています。
 エンジン内部の部品は、1分間に何千回というものすごいスピードで回転したり、上下動したりしています。そして、その動力を伝達し自動車本体を動かしているわけですが、それらの部品のほとんどは金属でできています。
 金属部品が高速で動き、それが接触し、ぶつかり合うと摩擦摩耗(まさつまもう)が生じます。
 今の自動車は、大きなメンテナンスをしなくても10万、20万キロメートルと走ることができますが、それはいろいろな部品、例えば、エンジンバルブやギアに摩耗を防ぐ表面処理が施されているからなんです。
 そのほかにも身近な例として、エアコンが挙げられます。今は、各家庭にエアコンがあると思いますし、日本でエアコンのついてない自動車は今やほとんどないでしょう。エアコンには「熱交換器」と呼ばれる空気を冷たくしたり、暖かくしたりする機械がついています。
 ちょっと専門的になりますが、熱交換器には、フィンというものがあり、そこで空気が冷やされ、その際にフィン表面に水滴(結露)が発生します。親水性という表面処理が施されると、その水滴がきれいに排出されるのです。これによってエアコンを小さくし、効率化することができます。
エアコン内部の熱交換器
 他にも、ビールなどの飲料缶、家電製品の目に見えないところ、屋根やウォールなどの建材、メガネのチタンフレームをつくる過程など、いろいろなところで表面処理は利用されています。
 決して派手ではありませんが、本当に身近なところで役立っている技術なんですね。

表面処理は、多くの「ムダ」を省いている

──もし仮に、表面処理技術が存在しなかったら、この世界はどうなりますか?
 世界そのものとしては成り立つかもしれませんが、無駄やロスをたくさん生み出してしまうと思います。
 例えば、先ほどの自動車の例を考えれば、すぐ錆びてしまうとか、すぐに走ることができなくなってしまうとか、燃費がすごく悪いとかになってしまいます。その都度、新しいものに交換していたら大変ですよね。
──それはとても不便な気がします。
 先ほどのエアコンの場合でも、表面処理がなかったら熱交換器がコンパクトにならずエアコン本体がものすごく大きくなってしまいます。
 天井近くにある家庭用エアコンなら多少の大きさは気にならないかもしれませんが、車のエアコンであれば、人がいるスペースがさらに狭くなりますよね。エアコンの効きが悪くなったり、燃費も落ちてしまったりします。
 二酸化炭素排出量にも関わるので、環境負荷も増えてしまいます。
──具体的には、表面処理はどのように施されているのでしょうか?
 大きく分けると「塗布」と「化成反応」という2つの方法があります。
 塗布は、加工したい物に塗って乾かすというシンプルな方法です。一方で化成反応は、金属など加工したいものを特殊な薬品に漬けて、薄い皮膜を化学反応で表面に形成し、その後、処理液や余分なものを洗って仕上げる方法です。
金属に薬品の化学反応で被膜をつくる
 先ほど申し上げた自動車の外板は、化学反応を利用した例になります。自動車のボディが、プールのような水槽に入っていくので、処理はなかなか壮観ですよ。
自動車の外板に薄い被膜を形成し、洗い流す様子
 先ほどのエアコンの例は、「よく水に塗れる皮膜をつけてほしい(親水性)」というご要望ですが、逆に「水をはじく皮膜をつけてほしい」といった具合に、お客さまのニーズに応じて求められる機能はさまざまです。
 われわれの事業をお話しすると、特殊な薬品を製造し、それをお客さまに納品し使っていただく場合と、お客さまから部品をお預かりして、われわれが表面処理を行い、お返しするという事業に大別されます。
──表面処理ならどんなオーダーでも可能なんですね。
 はい。ただ現状は、表面処理を施す対象は、金属製の物が圧倒的に多いので、その他の領域をいかに広げていくかは今後の課題ですね。

表面処理の歴史

──そもそもですが、表面処理という技術が生まれたのは、いつの話なのでしょうか?
 表面処理一般となると非常に起源が古く、発祥を語るのは難しくなりますが、われわれが得意としている、先ほど述べた化学反応で金属表面に皮膜を作る技術は、19世紀の終わり頃、イギリスで発明されました。“鉄を錆びさせない表面処理”が始まりです。
 この技術を有用と考えた米国のパーカー兄弟が、1915年にアメリカで、表面処理会社を立ち上げ、この処理を自らの名前にちなみ「パーカライジング(Parkerizing)」と名付けたことが、われわれの起源ですね。
 この技術を日本へライセンスしてもらい、1928年(昭和3年)にわれわれの会社、「日本パーカライジング株式会社」が創業しました。
日本パーカライジング設立当時の絵
 当時非常に貴重だった鉄資源を長持ちさせる方法として世の中にでていくことになります。
──鉄の長持ちが重要だったと。
 創業当時は戦前ですから、軍需がメインだったと伝わっています。
 昭和11年に陸軍が現在の埼玉県川口市に鉄塔を建てる際に、錆から守るためという目的で、この鉄塔に前述のパーカライジング処理を施しました。
 昭和20年の終戦の日、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」という玉音放送が日本に流れたのですが、関東圏では、この川口鉄塔から発信されたと伝わっています。
 戦後、この鉄塔は、NHKに引き取られ、ラジオ放送等を送信する鉄塔として平和利用されています。312mという高さは、東京タワーができるまで、日本一の高さだったという鉄塔ですね。
 昭和の後期、すなわち半世紀後にこの鉄塔は解体されるんですが、解体された鉄塔を調べると、最初に施したパーカライジング処理による皮膜が、塗装の下に残っていることが確認されています。
パーカライジング処理により、戦争を経ても錆びなかったNHK川口鉄塔。
「鉄は国家なり」という言葉がありますが、日本パーカライジングは、戦後、日本が復興していく中で、平和的に鉄を長持ちさせることに力点を置いてきました。初めは小さい規模でしたが、戦後の復興、鉄を長持ちさせるとの理念により、日本の経済発展を下から支え続けてきたように思います。
 身近な家電、自動車など、暮らしを便利にさせるものにこの技術が使われ、おかげさまで会社も成長していきました。
──日本の発展とともに、発展してきた会社なんですね。
 はい。私たちは、そう思っていますね。

世界の1000分の1になりたい

──資源のムダづかいを省く考え方は、時代の追い風にもなっているように感じます。業界的にトレンドなどあるのでしょうか?
 そうですね。やはり、環境負荷を低減する動きは、大きなトレンドとなっています。
 かつての日本のモノづくりは、性能優先、品質重視でした。特に高度経済成長時代は、世界一を目指して、多少危険物質を使っても、複雑な工程でも、エネルギーを使っても、産業廃棄物が生じても、とにかく品質を上げることに腐心してきたと言っても過言ではありません。
 1990年代に入り、「地球に優しい」という言葉が使われ始め、環境に配慮した製品が、社会、産業界に求められています。科学技術においても大きなファクターですね。
 性能は今のレベルで良いので、環境負荷を減らそうという動きです。このトレンドは、今もなお、ますます強くなっています。
 われわれは、もともと「限りある資源を有効活用して、地球環境の保全と豊かな社会作りに貢献する」ことを経営理念として掲げてきたので、ちょっと生意気な言い方ですが、ようやく時代とマッチしてきたと言えるのかもしれませんね。
──アメリカや欧州などは、環境意識が高い国というイメージがありますが、日本と海外、どんな動向なのでしょうか。
 そうですね、米国は州により考え方が異なり、レベル差があるように感じます。欧州の方が、明らかに、環境意識が高い。環境規制は欧州が発信、リードしているように思います。
 欧州が規制、規格をかけると、われわれや、私どものお客さまは、当然、欧州に輸出する機会があるので、必然的に欧州の動向、規制に敏感に反応していかなければなりません。
 実際に2000年代初頭、錆を防ぐ表面処理皮膜に使用されていた6価クロムという物質が、人体に害があるという理由から、欧州で規制され、表面処理皮膜のクロムフリー化(ノンクロム化)が一気に進展しました。
 政府の規制という意味では、中国も地区にはよりますが、非常に厳しい場合もあります。中国は世界をウオッチしているようで、独自というよりも、先行している厳しい規制を対象や特定地域に当てはめているような気がします。
──なるほど。
 昨今、サステナブルな社会の構築、それが急務といわれています。確かにその通りです。再生可能エネルギーによる電気や、これにより電気自動車を走らせることなども、確かに一つの方策とは思います。
 ただ、サステナブルな社会とは、高度な文明を維持、発展させながら、環境負荷をなくす社会です。モノを作り、使うことは続くわけです。それから考えるといかに物を効率よく作り、それを大事に使い、長持ちさせていくかがとても大切なポイントだと思います。
 そのような社会の中で、われわれの理念、“地球上の限りある資源の有効活用を図り~”の意味合いが増し、表面処理の有用性、発展が必要になると感じています。
 先ほど、表面処理がなくなったらというお話をしましたが、昨年、もしわれわれが世に送り出している表面処理皮膜や技術がなくなったら、世界のCO2がどのぐらい増えてしまうのかを計算してみました。
 すると、世界で発生しているCO2の1000分の0.74がプラスに地球へ放出されてしまうと計算されました。ここまであるか、と想像以上に多い印象でした。
 これは、あくまで自社の計算です。とはいえ、われわれが供給している分だけですので、表面処理がもしなかったら、相当のインパクトが地球に対して出てくることになります。
 われわれは、たかだか1000人程度の会社ですが、それでも、これだけの貢献をしているということは誇れるし、この数字から考えると、早く世界の1000分の1、それに見合う貢献をする会社になりたいなと思います。それが、我が社がサステナビリティにかける想いですね。

次に狙うのは、社会課題を解決する「ライフサイエンス領域」

──表面処理のビジネスチャンスは、今後どこにあるとお考えですか?
 今の時代、サプライチェーン全体をより良くすることを考えていかなければいけませんし。自分の会社だけが得をするようなことをしていては生き残ってはいけません
 少し専門的になりますが、サステナブルな社会においては、ライフサイクルアセスメント(LCA)という概念がとても大切です。部分最適ではダメだと思います。全体を俯瞰して考え、全体としてミニマイズすることが大切ですね。
 前述の電気自動車も走っているときだけでなく、その車の構成素材、それを製造する過程、走っているとき、廃棄、リサイクルまでをトータルで考えて最適化していかないといけないと思います。
 全体をミニマイズする中で、多々ある表面、その表面の機能を変えることにより全体最適に貢献できると信じています。
 環境負荷低減は世界的な社会課題ですが、日本の社会的課題という視点で考えると老齢化社会への対応というのも重要な意味を持ちます。科学的視点でみるならばライフサイエンスという言葉に集約されるのかもしれません。われわれは、数年前からライフサイエンス分野にも力を入れています。
RAIKIRI® ディスポーザブルペンシル。同社が手掛ける電気メス。長時間の手術でも手が疲れにくい形状とし、手術中に保持しやすいように、すべり止め加工を行っている。
 ライフサイエンス部門で成功した例として電気メスがあります。手術時間をいかに短くするか、いかに汚れをつかなくするかを追求し、弊社が開発・表面加工した電気メスが、医療現場では徐々に広がっています。

何が起こるか分からないから面白い

──御社は2028年に創業100周年を迎えられますが、大切にされていることや課題はありますか?
 われわれは、“物を大切に使う”という理念を誇りに思っていますし、その理念を守り、表面処理により社会に貢献していくその姿勢は、今後も変わりませんし、われわれの中心にあり続けるでしょう。
 したがって、世のためになる新しい技術を、いかに多く生み出し、それを事業化していくかが課題と考えています。
 そのためには研究開発に必要な投資をしつつ、これまでの思いや意志を継いでくれる次世代を担う人たちと力を合わせて、さらなる成長を目指していきたいと思っています。
 学生や新入社員に話をするときは、冒頭の物理学者パウリ先生が残した「表面は悪魔が作った」という言葉を紹介します。
 なぜ、パウリさんはこの言葉を残したのか。物質の表面というのは、綺麗に配列されていないのです
 実際の表面は、誰かの手の汚れや空気中の浮遊物、加工時のキズなど、見た目はフラットで綺麗でも、マイクロ、ナノスケールで見れば、ぐちゃぐちゃな状態です。化学的な状態も均一ではありません。
 天才的学者の頭脳をもってしても、物質の表面のメカニズムを完全に理解することはできないのです。
 けれどそれは、何か全然違うことが起こる可能性があるということ。表面を処理するだけで、錆びやすいものを錆びなくできるし、表面だけ固くすることもできるのです。電気を通さなくすることも可能です。無限の可能性があるのです。
──未来は、わからないからこそ賭けたくなりますし、夢を感じますね。

上司の言うことは聞かなくていい!

──御社で働く魅力や環境について、教えていただけますか?
 ニッチな業界ではありますが、さまざまな業界のお客さまとの繋がりを持ちながらグローバルに展開しているのが、われわれの特徴です。
 技術職はもちろん、現場、営業、事務、どの職種においても、貢献度は目に見えてわかりやすいのではないかと思います。
 特に、研究開発を行う技術職に関しては、新しいことに挑戦できる自由度が高いと思います。先ほどのように未知なものが多い、開発の可能性が高いということは、自分が手がけたもの、開発したものが世界のどこかで使われるチャンスが多数あるということです。
 技術職としては、自分の開発したものが世の中で使われる、それは一番の喜びになると思います。
 物を造って提供する会社ですが、もちろん技術職だけでは成り立ちません。売り上げを作るのは、お客さまのところへ行き、生み出した技術をコーディネートして世に送り出す営業職です。お客さまに近いので、直接反応をいただけて、やりがいを感じやすいのではないでしょうか。
 そして全体を支える役割の事務職は、この組織で働くというところに、意義を感じてもらえるポジションですね。
──技術が目に見えて形になる仕事って、魅力的ですよね。
 そうですね。若い人、研究開発職の新人には、必ず「上司に言われた通りやっていてもうまくいかないよ!」と伝えています。すると、みんなちょっと驚いた顔をします。
 実行する研究開発テーマは、前の世代で成し得なかったことに挑戦するのです。上司は、ひと時代前の研究開発者であることが多いです。ですので、上司の時代にできなかったことを、その時代のひとの指示に従って遂行し、できるものでしょうか?できるのならば、もうその時代に完結していますよね。
 今あるテーマに向かうには、新しい着想、発想が必要なんです。新しいテーマの前では、上司も含め、みんなフラットであるべきです。
──確かにそうですね。
 もちろん皆で守らないといけないルールはあるし、先輩の経験に基づく助言が役立つ場合もあるかもしれないけれど、フラットな目線で、思うように、感じるように、自由な発想でやってほしいなと思っています。
──最後に、表面処理の世界に興味のある読者にメッセージを。
 表面処理はニッチな分野ではありますが、「環境負荷なくより良いものをつくりたい」というお客さまと共に歩んでいます。われわれにとっても、お客さまにとっても、それがプラスになる。それが社会への貢献、サステナブルな社会の構築に繋がっていくと信じています。
 物の見方によって、表面は悪魔が住むところになるかもしれませんが、逆に宝の山と見ることもできます。要は、考えの持ち様です。
 表面処理によって世界を変えられる可能性を感じていただける方は、ぜひ一緒に挑戦しましょう。