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EUの源流といま

EUの源流を形作ったリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの人生をたどりながら、欧州統合のいまを見ます。

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欧州統合構想を先取りした日系人 コスモポリタンの原点は生い立ち

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1967年10月に来日したクーデンホーフ・カレルギー(中央)と2人目の妻アレクサンドラ(車椅子の女性)=国際パン・ヨーロッパ連合オーストリア支部提供
1967年10月に来日したクーデンホーフ・カレルギー(中央)と2人目の妻アレクサンドラ(車椅子の女性)=国際パン・ヨーロッパ連合オーストリア支部提供

 欧州連合(EU)の概念を先取りしたとも言えるリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの欧州統合論。その底流にあるのは、民族や国家にとらわれないコスモポリタン(世界主義者)としての思想だ。

 「彼の考えには、その生い立ちや当時のウィーンで過ごした学生生活などが大きな影響を与えているのだと思います」。クーデンホーフ・カレルギーのめいで、ジャーナリストのバーバラさん(89)はそう語る。

 クーデンホーフ・カレルギーは明治中期の1894年、ハプスブルク帝国の駐日代理公使ハインリヒと東京・牛込の骨董(こっとう)商の娘だった青山光子(旧名みつ)の2人目の子供として、東京に生まれた。光子は国際結婚をした日本人女性の草分け的な存在で、「欧州の貴族と日本女性の結婚は前代未聞だったので、世界中に伝わり、新聞にも書かれました」と手記に残している。

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