その人工知能は“人間らしさ”を学ぶために、あえて「間違い」もするようにつくられた

いまや人工知能(AI)は、囲碁やチェスなどのボードゲームで名人を打ち負かせるレヴェルにまでなった。こうしたなか、人間による“ミス”を含む指し回しを予測するようにつくられたAIが登場した。その狙いとは、“人間らしさ”を理解してその行動を予測することにある。
その人工知能は“人間らしさ”を学ぶために、あえて「間違い」もするようにつくられた
TOMASZ BOBRZYNSKI/GETTY IMAGES

コンピューターがチェスで人間を打ち負かすまでには、約50年かかっている。それがいまでは、標準的なスマートフォンでもチェスの名人を驚かせるような手を指せるようになった。ところが、ある人工知能AI)のプログラムは、平均的な人間によるミスも含むあらゆるプレイを理解するために、あえて2~3歩後退するような手を指している。

このAIは「Maia」というチェスのプログラムで、極めて超人的なチェスを指すプログラムを支える最先端のAIを用いている。だが、このMaiaは対戦相手を破る方法を学ぶのではなく、人間の間違いも含む指し回しの予測に重点を置いている。

Maiaの開発を率いたコーネル大学教授のジョン・クレインバーグいわく、これは人間の“間違いやすさ”を理解できるAIを開発する最初の一歩であるという。その先には、例えばMaiaが人間に教えたり助けたりすることで、人間ともっとうまく交流できるかもしれない、あるいは交渉すらできるかもしれないという期待につながってくる。

クレインバーグによると、Maiaの用途のひとつとして可能性があるのは医療分野だという。間違いを予測するシステムがあれば、医療用画像の読影を医師向けに訓練したり、読影の間違いに気づくように医師を支援したりできるかもしれない。

「そのためのひとつの方法は、人間の医師が医療用画像に基づいて診断する際に起きる問題に取り組み、医師の間で生じるハイレヴェルな意見の相違をシステムが予測する根拠となる画像を探し出すことです」と、クレインバーグは言う。

チェスで“人間らしい”プレイを学習

チェスに着目した理由は、機械の知能が人間を上回った最初の分野のひとつがチェスだからであると、クレインバーグは説明する。「チェスはアルゴリズムを試してみるには理想的なシステムといえます。AIが優位な分野のモデルのようなものです」

そのうえチェスは集中的に研究され、生物学におけるミバエやショウジョウバエのようになっているのだと、クレインバーグは指摘する。「チェスは(経営学者で認知心理学者の)ハーバート・サイモンが心理学のショウジョウバエと呼び、(計算機科学者で認知科学者の)ジョン・マッカーシーがAIのミバエであると呼んだ特徴をもっているのです」と、それぞれの分野の大家の発言を引用して言う。

MaiaはAIプログラム「Leela Zero」で用いられたコードを使って開発された。Leela Zeroは、アルファベット傘下のDeepMindが開発した囲碁や将棋、チェスまで自己学習できるAIプログラム「Alpha Zero」のオープンソース版のクローンである。

Alpha Zeroは、人間による指導なしにチェスを巧みにプレイする方法を学習したことで、従来型のチェスプログラムの殻を破ったAIだ。Alpha Zeroのプログラムには、インプットに反応できるように調整された仮想ニューロンからなる人工ニューラルネットワークが含まれている。

チェスをAlpha Zeroが学習する際には、盤上の位置と対戦中に生じる駒の動きに関するデータを与えられ、勝てる指し回しをニューロンに選ばせるように調整する強化学習の方法をとる。チェッカーや囲碁といったほかのボードゲームのやり方の学習と同じ方法を、最小限の修正によって転用できる。

コーネル大学のチームはLeela Zeroのコードを修正し、人間の指し方の正確な予測を選択するよう学ばせるプログラムをつくった。1997年に当時のチェスの世界王者ゲイリー・カスパロフを破ったIBMのコンピューター「Deep Blue」など、Maia以外のチェスAIは、可能な指し手を探しながら対戦し、ゲームの先を読もうとしているようだ。しかし、Maiaは人間が最も指しそうな手をいかにして見つけるかに重点を置く点で、ほかのチェスAIとは異なる。

Maiaが学習に用いたデータはオンラインの人気チェスサーヴァー「LiChess」のもので、結果的により人間らしい方法でチェスをプレイできるプログラムになった。対戦相手の強さのレヴェルに合わせた複数のバージョンのMaiaに、LiChessから挑戦できる

人間の行動を理解するAIが誕生する?

将来的にはより洗練されたAIが誕生し、数学から文学、さらにはその他のあらゆる分野において人間の知能を上回るかもしれない。だが、コーネル大学のクレインバーグは「AIと人間が力を合わせて作業するまでには、長い過渡期を経ることになるでしょう。そして両者の間では、コミュニケーションがとられるようになるでしょうね」と言う。

そうなるずっと前に、人間の行動を予測して模倣できるAIがチェスやその他のゲームにすぐに応用されることだろう。「それは名案ですね」と、英国人のチェスグランドマスターで、Alpha Zeroの能力に関する書籍『Game Changer』の著者でもあるマシュー・サドラーは言う。「チェスがわかるエンジンは、アマチュアのプレイヤーにとても必要とされていますから」

サドラーは、Maiaならチェスの練習に役立つとしたうえで、特定のプレイヤーの指し手を模倣するチェスプログラムのアイデアについてしばらく前から専門家の話し合いが続いているのだと言う。Maiaは十分な数の棋譜を学べば、特定のプレイヤーの指し手のみを予測するように訓練できるようだ。

「あなたが世界チェス選手権でマグヌス・カールセンと対戦するために準備しているところを想像してみてください」と、現在の世界チャンピオンを例に挙げてサドラーは説明する。「あなたにはマグヌスとまったく同じようにプレイするエンジンがあるわけですから」

これはチェス以外にも当てはまるだろう。eスポーツのトップスターの真似をするように訓練されたAIプレイヤーを相手に、ヴィデオゲームで対戦しているところを想像してみよう。ゲーム以外でも、人間の行動を理解しているAIプログラムは、企業が交渉で相手の機先を制する場合やソフトウェアのプログラムをつくる場合に役立ち、人間の同僚が何をしようとしているかをロボットが理解する際の助けにもなる。

「このアプローチなら、どのくらいうまく人間の行動を予測できるだろうか──そんなMaiaからの問いかけは興味深いものです」と、マサチューセッツ工科大学(MIT)の准教授で人間と機械の相互作用と協働を研究しているジュリー・シャーは言う。シャーはMaiaのアプローチの技術的側面は検証が必要だとしながらも、人間と機械がチェスで協働する特別なやり方を生み出せるかどうか調査するのは興味深いはずだと指摘する。

AIがオフィスワーカーをいかに支援できるかを研究しているドイツのカッセル大学教授のマティアス・ゼルナーによると、AIにとって人間のように振る舞うことは極めて重要だが、人間にとってそのようなAIの働きを理解することはさらに重要ではないかという。というのも、システムがうまく機能しない上に機能しない原因がはっきりしないと、「そのようなAIの受け入れを実際に損ないかねません」と、ゼルナーは指摘する。

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TEXT BY WILL KNIGHT

TRANSLATION BY MADOKA SUGIYAMA