データを基に考えることはビジネスでも必須のスキルになっている。100万部を突破した『ファクトフルネス』でも、最新のデータを基に考える重要性が説かれている。しかし、データがない未来に向けた取り組みなど、データをそろえられない場合も多い。そのときはどうすればいいのだろうか。やっぱり勘に頼るのか。ファクトフルネスを実践する上での難しさについて、『ファクトフルネス』編集担当者が、慶応義塾大学環境情報学部教授で『シン・ニホン』の著者である安宅和人氏に話を聞いた。その後編。

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『ファクトフルネス』で書かれているように、ファクトを基に考えることは重要ですが、初めて挑戦することや現在進行形のビジネスなど、どこにもデータがない場合もあります。安宅さんは以前、「経営判断をするときに、全部ファクトがそろっていることは少ない。半分ぐらいはファクトが分からない中で判断しないといけない」と話されていましたよね。ファクトがそろってない中での判断は、どのようにしたらよいのでしょうか。

安宅和人氏(以下、安宅):「何がどこまで分かっているか」が分かっていればいいのではないでしょうか。「おおむねこういうことだろう」ということが分かっていれば、目指す方向性に照らし合わせるとシナリオが立つので太い筋の判断は可能です。

 僕の著書『イシューからはじめよ』で書いたのですが、最初にやるべきなのは、「それほど苦痛度、取り組みの苦労がなくて、インパクトがあること」。次が「苦痛度は高いけど、インパクトがあること」。そして、インパクトがないことは苦痛度に関係なく、やる意味はありません。こんなふうにジャッジしていけば、方向性が分かります。

<span class="fontBold">安宅和人(あたか・かずと)<br>慶応義塾大学 環境情報学部教授/ヤフー株式会社 CSO(チーフストラテジーオフィサー)</span><br>マッキンゼーにて11年間、幅広い商品・事業開発、ブランド再生に携わった後、2008年からヤフー。2012年よりCSOとして戦略全般を担当。2016年より慶応義塾SFC(現兼務)。総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)基本計画専門調査会委員ほか公職多数。データサイエンティスト協会理事・スキル定義委員長。都市集中型未来に対するオルタナティブ創造を目指す一般社団法人『残すに値する未来』代表。東京大学生物化学専攻 修士(理学)。イェール大学脳神経科学Ph.D.。著書に『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4910063048/" target="_blank">シン・ニホン</a>』(NewsPicks 2020)、『イシューからはじめよ』(英治出版 2010)ほか。</a>
安宅和人(あたか・かずと)
慶応義塾大学 環境情報学部教授/ヤフー株式会社 CSO(チーフストラテジーオフィサー)

マッキンゼーにて11年間、幅広い商品・事業開発、ブランド再生に携わった後、2008年からヤフー。2012年よりCSOとして戦略全般を担当。2016年より慶応義塾SFC(現兼務)。総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)基本計画専門調査会委員ほか公職多数。データサイエンティスト協会理事・スキル定義委員長。都市集中型未来に対するオルタナティブ創造を目指す一般社団法人『残すに値する未来』代表。東京大学生物化学専攻 修士(理学)。イェール大学脳神経科学Ph.D.。著書に『シン・ニホン』(NewsPicks 2020)、『イシューからはじめよ』(英治出版 2010)ほか。

ファクトが全てそろっていなくても、集めたファクトで方向性が分かればよいということなんですね。

安宅:はい、方向性が大事なんです。右なのか、左なのか、立ち止まるのか。どちらの筋が良いか・悪いかさえ分かれば大体OKです。なぜなら経営や人生においては、ある特定の手を打つかどうかよりも、OBゾーンに踏み入れないようにすることが圧倒的に重要だからです。

 どんなゲームでもそうですが、次の打つ手がなくなったときに負けるんです。囲碁や将棋のように、相手の打てる手が5手あって、自分の打てる手が2手しかなかったら、負ける可能性が高い。でも5対5のうちは負けません。要するに、打つ手がなくならないようにする、手詰まりにならないようにすることが、経営の要なんです。

 経営って、事業を生命体と見なせば、ある種の生命体としてのサバイバルなので、中長期的に成長し続けていけるかが勝負です。目先の特定の競合に勝つことは、あまり本質的なことではありません。むしろ、そういうことばかりを考えている会社は潰れます。「社会での存在意義を失わないようにする」というのが一番の目的であり、なくなったら困る存在であり続けられれば、その会社は存続できます。

「社会での存在意義を失わないようにする」というのは、役割をずっと持ち続けられるようにする、ということでしょうか。

安宅:特定の役割というよりも、「存在意義がどこまであり続けられるか」にかかっています。かつて大きな会社の典型的な存在意義は、「サービスや物を大量に生み出し、届けること」でした。例えば、1000万人の人が買ってくれたら、1000万人の人の役に立っているということになる。多くの人の期待に応えることが全てでした。これは全く悪いことではありません。

 ただ、経営に必要なことはそれだけじゃない。もっと中長期的に、あるいは遠い未来に、自分の会社の自由度を確保するためにやっておいた方がいいことっていくつかはあります。つまり、今、唾を付けておいた方が後々苦しまないで済むということ。とにかく着手しておいて経験値を上げておくためにやっておいた方がいいことは、今ある程度やっておく。

 この判断も、「中長期的な成長、不連続的な変化が起きても対応できる力が必要だ」という筋が見えていればできます。中長期的な成長、不連続的な未来のために絶対に必要なレベルでやる、というだけの話です。来ると分かっている変化に対して、現在の延長線上にうまく像が描けないというだけの理由で、その変化が来ないことを祈るというのは逆に最悪です。

長期のビジネスモデルでも、ファクトフルに考えることはできる

着手から完了までが長期にわたるビジネスもありますが、どのように考えたらいいのでしょうか。

安宅:例えば常に人の命を預かっている自動車会社は、常に約10年後の企画を立てています。自動車の開発では、安全検査だけでも4~5年が必要で、途方もなく時間がかかります。けれども、長期的に見たら、絶対にやっておかなくちゃいけないことってあります。

 例えば、SUVなのかセダンなのか、ボディータイプはいくらでも変えられます。問題は他の部分です。モーターシステム(駆動系)、燃料/エネルギー供給、シャシー、(自動走行、エネルギーマネジメントも含めた)ITS系などですね。これらを「どんなビジョンを持ってつくっていくか」が大事で、将来的な自由度の維持のために実行しなければいけない投資があります。ここの見立てが甘いと、ディスラプションが起きたときにやられてしまいます。

 それから、今はウイスキーブームですが、ウイスキーは8年など長期間樽(たる)熟成しなければいけません。8年後の需要というのは予測困難で、今のような需要の伸びが続くと仮定するのはあまり正しい方向ではないです。

 世界的に原酒の供給が続かないので、今の需要の伸びがそのまま続くことにはならないでしょう。需要のシナリオとしては、(1)少し上がっていく、(2)維持する、(3)5年前の水準に戻るなど、いくつか方向性があります。そう考えると、ミニマムでもどのぐらい自社生産しなければいけないのか推定はできますよね。

データがそろわない場合でも方向性は見極められる(写真:PIXTA)
データがそろわない場合でも方向性は見極められる(写真:PIXTA)

 また、スコッチウイスキーの有名ブランドでも自社生産の原酒の割合はかなり限定的です。多くは、世界中の蒸留所(じょうりゅうじょ)から樽を買い集めて、ブレンディング技術により一定の味を生み出しています。こうしたことを考えれば、自社でどれくらい製造すべきかをジャッジできる。ただ、マッカランや山崎のような特定の蒸留所から生み出された原酒のみで生み出されるシングルモルトは、製造分しか提供できません。

 僕がもしウイスキー会社の人だったら、自社で生産しなければいけないものと、そうでないもののポートフォリオを相当見直すと思います。シングルモルトではないウイスキーの商品軸を強化しておかないと、変動に耐えることは難しくなるからです。

なるほど。そういうふうに考えていくと、ファクトがない未来に対しても、方向性ややるべきことが見えてきますね。

少しでも「マシな未来」を創っていく

安宅さんは著書の『シン・ニホン』で、「未来は予測するものではなく、自分で妄想して創っていくもの」という話を書かれていました。「ファクト分析」と「未来を創ること」がどうつながるのか分かっていなかったのですが、今のお話で理解できました。

安宅:論理的に詰めて、OBゾーンが確定した上での自由はあります。「これはアウト、だけどこの先はどれでもいい」となったら、あとは意思の部分です。

 アイデアのうち、OBゾーンに入るものが世の中の85%ぐらいを占めているので、打てる手が100あったら85ぐらいはやらない方がいいことになります。少なくとも7割は省けると思います。だけどあとは自由。ここを見極める力が大事です。

20~30%ぐらいは、実践する人が自由に選べるんですね。

安宅:はい。その中に相当な広がりがあります。僕は『シン・ニホン』の最後の章で「このままいけば都市集中型の未来にしかならないので、それは嫌だから違う未来を創る」ということを書き、実際に同志というべき仲間たちと相当のエネルギーを注いでいます。これは、未来をねじ曲げよう、手なりでやっていては起きない未来を生み出そうとしている。だけど、論理的に着地できるようにやっているからいいんです。普通に考えたら解がないところを解になるようにしようとしています。

 つまり、待ち構えている未来が嫌だったら、受け入れない自由もあると、僕は思います。自滅するのが嫌だったら変えるしかない。ただそのときに、ちゃんと筋の通ったことをやらないと着地できなくなります。

データ分析は数字で判断する合理的な世界に思われがちですが、安宅さんが考えるデータドリブンの考え方には愛がありますよね。

安宅:ありがとうございます。少しでもマシな未来を残したいじゃないですか。そこで生み出した変化が、人が生きていた価値だと思うんです。「このままだと嫌ですよね、だったらこうしましょう」と考えれば、未来は毎日変えていけます。何もしなかった場合の未来が受け入れられないものだと思ったら、受け入れられるようにするために何かをやる。その自由が我々にはあります。ファクトフルネスって、本当はこのためにあると思うんですよね。

 いい未来を創るために、ファクトそのものや、ファクトが指し示している未来を見てほしい。ファクトは数字だけではありません。論理的にほぼ明らかなこともファクトレベルだと僕は思います。

(構成:梶塚美帆)

FACTFULNESS』(ファクトフルネス)

スウェーデンの医師、ハンス・ロスリングと息子夫婦による世界的なベストセラー。ビル・ゲイツやオバマ元大統領が絶賛したことから注目が集まり、日本でも発行部数が100万部を超えた。

本書の発行は英語版が2018年、日本語版が2019年と、コロナ禍の前だったが、「心配すべき5つのグローバルなリスク」として世界的な感染症を指摘したことでも知られる。

本書では、人間が10の本能による思い込みによって正しく世界を見られていないことを指摘。データを基に正しく世界を見る習慣「ファクトフルネス」を紹介している(詳しくは特設ページ参照)。

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