新型コロナウイルスが介護業界を“崩壊”させる:危機に瀕する英国の事業者たちの悲鳴

新型コロナウイルスによる危機が、英国では高齢者などの介護施設に別のかたちで及んでいる。感染者を出してクラスター化する施設が続出した上に入居率が下がり、経営破綻の危機に瀕する事業者が全体の3分の1にも達したというのだ。低い利益率という構造的な問題も追い打ちをかけ、いまや民間による運営は立ち行かない状況にまで業界全体が追い込まれつつある。
新型コロナウイルスが介護業界を“崩壊”させる:危機に瀕する英国の事業者たちの悲鳴
JASMIN MERDAN/GETTY IMAGES/WIRED UK

英国で全国的なロックダウン(都市封鎖)が発令される前の週のこと。介護施設事業者であるウェルバーン・ケア・ホームズ(Wellburn Care Homes)で会長を務めるレイチェル・ベケットは、自らの手で新型コロナウイルス感染症「COVID-19」への対策を講じることを決断した。ウェルバーンがイングランド北東部で運営する14施設のいずれかに、ウイルスが入り込むのではないかと恐れたからだ。

こうしてベケットは、人材会社からの従業員の派遣を中止した。複数の施設で働く派遣職員が無自覚のうちにウイルスに感染し、感染を拡大させる可能性を懸念してのことだ。さらに、運営するすべての施設で外部からの訪問を禁止し、新型コロナウイルスの検査で陰性が判明している場合を除き、病院からの退院者の受け入れも拒否することにした。

ところが、ベケットが自主的なロックダウンを始めてから3週間後、避けがたい事態がとうとう現実のものとなった。入居者2名が新型コロナウイルス感染症の検査で陽性となり、さらに4名にそれらしき症状が現れたのだ。

こうした事態にもかかわらず、英国公衆衛生庁(PHE)から施設入居者への検査キットの提供を断られた。そこでベケットは、施設で泊まり込むようになった職員のために、カートふたつ分の洗面用具と折り畳み式ベッド、寝袋を買い込んだ。「当時は自力で何とかするしかないような状況だったのです」と、ベケットは振り返る。

やがて、ほかの3カ所の施設でもアウトブレイク(集団感染)が発生し、ようやく検査キットが施設に送られてきた。しかし、そのあとも病院からは、陽性となった施設入居者の入院の受け入れを拒否されたのである。

「介護施設は病院が病床を空けられるように、業界全体で患者を受け入れて病院をサポートしています。それなのに、病院側は介護施設に協力してくれなかったのです」と、ベケットは語る。また、政府や社会的ケアの監督機関からは、高齢の入居者を新型コロナウイルス感染症から守るためのガイダンスの提供が、ほとんどなかったと指摘する。

新型コロナウイルスの影響で個人防護具(PPE)の価格と職員の人件費が高騰したうえ、ウェルバーンでは90パーセントだった入居率が4月末には82パーセントにまで下落した。こうしたなか自力で何とかしなければならず、ウェルバーンは多額の借り越しも抱えることになった。

「国民保健サーヴィス(NHS)は、何十億ポンドもの債務を帳消しにしてもらえました[編註:英保健省はNHSが抱える政府への負債134億ポンド(約1兆8,000億円)について債権放棄を発表した]。わたしたちも同じようにケアの分野で活動しているのですから、何か財政支援があってもいいはずです」と、ベケットは言う。

こうしてベケットのチームは4月30日、「We Care」というキャンペーンを立ち上げ、この活動から得られた利益の全額をケアワーカーの支援慈善団体「ケア・ワーカーズ・チャリティ(Care Workers Charity)」に寄付することに決めた。

持続可能ではない支援策

英国政府は5月上旬までの2カ月間で、新型コロナウイルス感染症対策として地方自治体に32億ポンド(約4,300億円)を割り当てている。だが、地方自治体から介護施設に支払われる料金の増額というかたちでの追加的金融支援だったにもかかわらず、5月上旬時点において前線には届いていなかった。

こうしたなか5月1日には、英国で3番目の規模の介護施設事業者バーチェスター・ヘルスケア(Barchester Healthcare)の最高経営責任者(CEO)ピート・キャルヴェリーが、「あの32億ポンドと、その使われ方についてはかなり頭に来ています」と、BBCの取材に語っている。バーチェスターの施設がある60ほどの地方自治体のうち、その時点で金融支援を約束していたのは23の自治体のみだった。

バーチェスターが運営する介護施設全体での月間死者数は、通常なら420人ほどだという。それが4月には1,200人にまで急増した。入居者と自治体からの収益が週を追うごとに減少していることから、収支の均衡はとれなくなっており、一部の(とりわけ債務を抱えて運営している)介護施設は破綻へと追い込まれる恐れもある。

施設に事業再建や倒産に関するアドヴァイスをしているOpus Restructuring & Insolvencyのニック・フッドは、「32億ポンドの半分が介護施設に配分されると仮定しても、それだけではこの業界が抱える債務の利息分をカヴァーするのがやっとです」と指摘する。同社は社会的ケアを対象とした32億ポンドの金融支援策に関して、複数の介護施設チェーンに助言してきた。

この額は、新型コロナウイルスによる危機を乗り切るための事業者支援を目的とした3,300億ポンド(約44.4兆円)相当の政府保証付き融資のうち、わずか1%にすぎない。「これでは足りませんし、今後も決して足りることはありません。この介護市場を対象とした支援策のモデルと構造は、持続可能なものではないのです」と、フッドは訴える。


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介護事業者の3分の1に破綻リスク

英国の介護施設は、慢性的な人手不足と重症化するリスクの高い入居者への検査実施の欠如により、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにおいて最も深刻な影響を受けた事例として注目されている。5月上旬現在、イングランドだけでも15,000カ所を超える介護施設のおよそ3分の1(29.1パーセント)で新型コロナウイルス感染症のアウトブレイクが発生している[編註:7月2日時点では約46.1パーセントに達した]。

死者は4月10日からの2週間だけで4,343名が報告され、さらに増え続けている。国中の介護施設がパンデミックの新たな前線になったのだ。

施設では個人防護具のコストや自主隔離中の職員を補うための追加要員の人件費が高騰し、そこに入居率の継続的な下落が追い打ちをかけた。こうして介護業界は深刻な経営難に追い込まれている。英国の介護事業者の3分の1は、今後3年間のうちに経営破綻するリスクを抱えており、そうなれば何千人もの高齢者や障害者が本当に必要な介護を受けられなくなる恐れもある。

だが、たとえ新型コロナウイルス感染症による打撃が数千人もの弱者を犠牲にするほどの規模でなかったとしても、社会的ケアの分野はやはり同じ状況に陥っていただろう。学習障害や精神障害、身体的障害のある人々の自宅に訪問する在宅介護の従事者を含む社会的ケアの分野は、今回のパンデミックによる危機の直撃を受けるはるか以前から問題を抱えていたからだ。

投資家優先の経営も裏目に

高齢者や社会的弱者を対象にしたケアが一大ビジネスとなった1980年代。高齢化による安定収入の可能性に注目したヘッジファンドやプライヴェートエクイティ企業がこぞって参入し、英国全土で介護施設チェーンの建設や買収、そしてリースを手がけるようになった。一方で、家族経営の介護施設のほか、少数の慈善団体や自治体が提供するサーヴィスも存在する。

自治体から介護施設事業者に対して支払われるのは、支払い能力のない人々を入居させるために必要な最低限の料金のみだ。そこで事業者は、支払い能力を有する入居者に対して少なくとも30パーセント、平均にして週672ポンド(約90,000円)を上乗せした料金を課すことで、維持費をまかなっている。

自治体からの財政支援不足に加え、外国にいるオーナーや投資家が短期的に利益を上げられるようになっていることも、多くの介護施設を経営破綻寸前にまで追い込んできた要因だろう。19年11月にロンドンの独立系シンクタンクのCentre for Health and Public Interest(CHPI)が公開した報告書からは、HC-One、Four Seasons Health Care、バーチェスター・ヘルスケア、Care UKを含む英国の大手介護施設事業者の26社の合計年間収益150億ポンド(約2兆19億円)のうち、およそ15億ポンド(約2,019億円)がリース契約や配当金、債務返済のために吸い取られていることが明らかになっている。

これらの事業は、債務返済のために少なくとも12パーセントの利鞘が必要であり、職員の補充や施設の維持に再投資できるのは利益からそれを差し引いた分ということになる。だが、利益率の低い経営をしているこの分野において、これは非現実的な話であるとも考えうる。

こうした状況から、高度に細分化されたこの事業分野における財政構造は、収入のわずかな減少にも脆弱なものになっている。「パンデミックによって、これまでまったく対応されてこなかったこの業界の深刻な欠陥が、はっきりと浮き彫りになったのだと思います。問題が一斉に降りかかってきて、壊滅的な状態を引き起こしています」と、CHPIのリサーチマネジャーのヴィヴェック・コテーチャは指摘する。営利目的で設立された介護施設事業者は、突如として財政崩壊に陥る可能性が極めて高く、もし破綻すれば何千人という入居者を路頭に迷わせる恐れもある。

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777事業者が理論上の債務超過に

入居率は介護施設の生命線となる。事業を存続させるには入居率が80パーセント以上は必要であり、その率がわずかに低下したとしても収益への打撃になりうる。

英国第2位の規模のFour Seasons Health Careでは、17年冬のインフルエンザの流行期に高齢者の死亡数が増加し、入居率が2パーセント減少したことで利益に大きな打撃を受けたという。それ以来、190カ所の介護施設に10,000人以上の入居者がいながらにして、苦況が続いているという。

こうしてFour Seasonsは、「ビッグ4」と呼ばれる4大介護施設事業者としては最後ではあったものの、19年4月に売りに出された。Four Seasonsは7億3,500万ポンド(約989億円)もの借金の山を抱えているが、貸し手からの支援がなければ経営破綻の危険性がある事業者は決してこの事業者だけではない。

ビジネスリスクアドヴァイザーのニック・フッドによると、介護施設事業者の3分の1が今後3年のうちに破綻する可能性があるという。フッドは英国の企業登記局に登記されている7,203事業者について、公開されている最新の決済報告書を精査した。その結果、777事業者が理論上の債務超過にあり、負の資産は総額16億ポンド(約2,153億円)に達することがわかった。

また、損失を埋めるための借入額は、7,203事業者合計で64億ポンド(約8,610億円)に達した。しかも今回のパンデミックの打撃を受けて以来、この額は急増している。「現在、一部の大手介護施設事業者がどれだけの損失を生んでいるか、想像するのもはばかられるほどです」と、フッドは言う。

一部の従事者は防護具を自前で購入

介護施設では、新型コロナウイルス感染症による死者数が凄まじい勢いで増加を続けているが、個人防護具や検査数の不足が連鎖的な感染を引き起こしてきた。それでも大半の介護施設は個別の事業として他の施設と競合していることから、高騰した個人防護具を各自で供給業者から直接購入せざるをえない。

例えば、Four SeasonsとCare UKは運営する施設の装備を揃えるために、3月以降にそれぞれ230万ポンド(約3億900万円)と150万ポンド(約2億180万円)を支出してきた。4月には政府が物流企業のClipper Logisticsに個人防護具の供給・流通拠点の設置を委託したが、そのオンライン発注システムは5月上旬時点では始動していなかった[編註:同社は5月28日付でオンラインポータルの完成を発表している]。

一部の介護従事者にいたっては、自分で使う個人防護具を自腹で購入しなければならない状況にあると不満を漏らしている。例えば、アナ(仮名)が登録している北アイルランドの派遣会社では、派遣先の介護施設にその責任を委ねている。

「ほんの数週間前までは、個人防護具の保管庫には鍵がかけられており、わたしたちが使用することはできませんでした。そのため介護施設や派遣会社の職員の多くは、自分で購入するしかなかったのです」と、アナは説明する。アナは現在、民間企業のRunwood Homesが経営する介護施設2カ所で働いているが、そこで提供されたのは使用済みのフェイスシールドと、通常の介護に使用する標準的なエプロンと手袋だけだった。

また、介護従事者の4人に1人が自主隔離中であることから、人件費の高騰も収拾のつかない状況にあった。職員の大半が最低賃金で、また4分の1が「ゼロ時間契約」[編註:週当たりの労働時間が明記されていない雇用契約]の下で働いているこの世界では、介護施設は人員不足を埋めるために派遣職員に頼らざるをえない。

通常なら臨時雇いの職員に支払う時給は30ポンド(約4,000円)ほどだが、現在は最大90ポンド(約12,000円)を要求する派遣会社もある。だが、この高騰した額が必ずしも職員の給与に反映されるわけではない。例えば先ほどのアナの場合、支給額は時給10.5ポンド(約1,400円)のままだ。新型コロナウイルスによる危機の以前でさえ、この世界では30パーセントという高い離職率に悩まされ、求人数は英国全体で12万件を超えていたのである。

もう施設の買い手が存在しない

英国の介護施設は、入居する40万人以上の高齢者やその他の介護を必要とする人たちに対し、ベッドや看護、認知症の専門ケアに至るまであらゆるケアを提供している。もし介護施設事業者が経営破綻した場合、地方当局が介入して閉鎖の危機にある施設の入居者の転居先を探さねばならない。もしほかに介護施設が存在しない“介護砂漠”とも呼ばれる地域では、これは厄介な問題になることだろう。

かつて31,000人の入居者がいた大手介護施設チェーンのSouthern Cross Healthcareは、施設賃料の支払いや債務の清算ができない状況に陥り、2011年に経営破綻した。このチェーンが運営していた施設の多くは、やはり債務に苦しんでいたFour Seasonsに売却されたが、こちらも19年に破産申請することになった。地方自治体からの収入はあったが、介護の提供にかかる費用の上昇と、借金の利息の支払いによるさらなる負担を埋め合わせるにはあまりに少なすぎたのだ。

「もう施設の買い手が存在しません。もし“ビッグ4”のひとつが破綻したとしても、現時点ではこの市場に参入するであろう企業はすぐに思いつかない状況です」と、CHPIのコテーチャは語る。この分野における経営破綻は、介護を必要とする入居者とそこで働く職員に計り知れない影響を及ぼしかねない。

政府が救うほかに選択肢はない

今回の新型コロナウイルスによる危機でもたらされた不確実性に加え、介護施設分野の細分化された構造が、事態をさらに複雑なものにしている。

例えば多くの介護施設では、所有する会社と運営主体が異なっている。Four Seasonsは18年6月、ロンドンのウォルサムストウで運営していた「Ross Wyld Care Home」を閉鎖せざるをえなくなった。施設の所有会社が不動産を再開発してアパートにすることを計画しており、賃貸契約の更新交渉が合意に至らなかったのである。

これにより47人の年金受給者と72人の職員を、別の介護施設に移す必要が生じた。ところが、より小規模な事業者やNHSの場合、大手介護施設から何千人という入居者を受け入れるだけの能力がない。ましてや多数の新型コロナウイルス感染症患者に対応しなければならなくなった現在では、その受け入れ能力はさらに低下している。

もし、新型コロナウイルスによる危機によって英国最大級の介護施設事業者が破綻した場合、政府が介入する以外に選択肢はない。「白馬の騎士となれる存在はたったひとつ、政府だけです」と、フッドは言う。「わたしは社会主義者ではありませんが、それでも最終的には政府が介入して、この分野を再び国有化する必要があると考えています」


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TEXT BY SABRINA WEISS

TRANSLATION BY KAREN YOSHIHARA/TRANNET