「私は中絶した」ドヌーブらの告白 仏文化人が開いた合法化の道

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作家のフランソワーズ・サガン=撮影日不明、AP
作家のフランソワーズ・サガン=撮影日不明、AP

 ボーボワールやサガン、ドヌーブら、時代の最先端を行く女性の哲学者や作家、俳優らが中絶の経験を告白し、フランスで人工妊娠中絶の合法化に道を開いた「343人のマニフェスト」が発表されてから5日で50年を迎えた。当時、女性たちは一部で「あばずれ」と呼ばれたが、マニフェストは「人権のフランス、人権の欧州」という先進的なイメージを決定付けた。権利を拡大するためのフランス女性の闘争は今も続いている。

 「100万人の女性たちが沈黙を強いられている。避妊の手段の自由を、そして中絶の自由を我々は求める」

 マニフェストは1971年4月5日、仏誌「ヌーベル・オプセルバトゥール」に掲載された。「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」で始まる「第二の性」の著者で哲学者のシモーヌ・ド・ボーボワールが文章を練り上げ、女優のカトリーヌ・ドヌーブやジャンヌ・モロー、作家のマルグリット・デュラス、フランソワーズ・サガンらが名を連ねた。

 フランスでは1810年、中絶が刑法で禁止された。1920年からは避妊の奨励や避妊器具の販売が禁止され、67年まで認められなかった。中絶を殺人と見なすキリスト教の伝統や人口減少への危機感などを背景に、女性には自らの健康に関わることを自分で決める権利が保障されていなかった。非合法で行われる中絶手術は不衛生で危険な方法に頼らざるを得ず、命を落とす女性も相次いだ。

 当時、花形文化人・知識人だった女性たちの「法を犯した」との告白は、世論に衝撃を与えた。風刺週刊紙「シャルリーエブド」は…

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