死刑迫る米国の女性 胎児誘拐は「性的拷問が生んだ」 弁護団、減刑求め嘆願書

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リサ・モンゴメリー死刑囚=弁護団提供
リサ・モンゴメリー死刑囚=弁護団提供

 彼女が犯した罪は許されないものだった。だが、女性として受けてきた虐待も筆舌に尽くしがたいものだった。心を深く病んでいた。リサ・モンゴメリー死刑囚。52歳。16年前、妊婦の腹から胎児を取り出し、誘拐した。トランプ米政権は昨年7月、連邦レベルで停止してきた死刑の執行を17年ぶりに再開。モンゴメリー死刑囚はその一人として、決定が覆されなければ12日に刑が執行される。連邦レベルでの女性の死刑執行は67年ぶりになる。

2004年12月の事件と想像を絶する生い立ち

 2004年12月、中西部ミズーリ州で妊娠8カ月だったボビー・スティネットさん(当時23歳)が自宅で絞殺され、腹部を切り裂かれて胎児が奪われているのが見つかった。当時、隣のカンザス州に暮らし、「犬を購入したい」とスティネットさん宅を訪れていたモンゴメリー死刑囚が犯行を認め、逮捕された。捜査員が訪れた時、ソファで奪った赤ん坊をあやしていた。赤ん坊は救出された。

 判決などによると、モンゴメリー死刑囚はその年の春から再婚相手らに妊娠したと話していた。だが、彼女は約10年前、母親に強制され不妊手術を受けていた。それを知る元夫は事件前、モンゴメリー死刑囚が不妊手術を受ける前に生まれていた子どもの親権を奪おうと「ウソを暴露する」と脅迫。虐待で長年のトラウマに苦しんでいた彼女は、実際に出産しなければ暴力の絶えなかった元夫に子どもを奪われると追い詰められ、精神障害を引き起こして「瀬戸際を超えた」(現在の弁護団)。

 07年10月、連邦地裁の大陪審は死刑を勧告し、上訴も却下された。事件の事実関係に争いはない。ただ、12年に結成された現在の弁護団が数百人の関係者に聞き取り調査をして明らかになったのは、モンゴメリー死刑囚の幼少期からの想像を絶する虐待だった。そして、弁護団によると、その生い立ちは当時の裁判で陪審員にほとんど説明されていなかった。

 モンゴメリー死刑囚の父親は、彼女が幼少期に家を出て行った。彼女は異母姉とともに、アルコール中毒だった母親から殴るなどの虐待を受けるようになる。普段からテープで口を塞がれ、小さな脳は泣かないことを学んだ。初めて口にした言葉は「たたかないで。痛いよ」だった。当時8歳だった姉は夜中、部屋に入ってきた母親の交際相手から何度もレイプされた。3歳だったモンゴメリー死刑囚は、同じベッドの手が届く隣で横になっていた。

性的虐待はエスカレート 救えなかった社会

 直接の性…

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