なぜ大阪都構想は2度も否決されたのか

政令指定都市の大阪市を廃止し、4つの特別区に再編する「大阪都構想」の是非を問う2度目の住民投票が2020年11月1日に投開票され、約1万7000票差で反対派が賛成派を上回って、大阪市の存続が決まった。

住民投票の結果を受け、記者会見する吉村洋文大阪府知事(左)と松井一郎大阪市長。
住民投票の結果を受け、記者会見する吉村洋文大阪府知事(左)と松井一郎大阪市長。(時事通信フォト=写真)

今回も残念に思ったのは、もともとは「関西道」のような広域行政体をつくる道州制というビジョンの議論から始まったはずの「大阪都構想」が、「府と市の二重行政の解消」というコストダウンの話にどんどん矮小化されてしまったことだ。

最初の住民投票は2015年。このときは約1万票の僅差で反対派が勝利し、大阪都構想の生みの親である橋下徹氏(当時大阪市長、大阪維新の会代表)は政界引退を発表した。

1度反対の民意が下された住民投票が再び行われることになったのは、「都構想再挑戦」を掲げた大阪維新の会(維新)が首長選や地方選挙などで勝利を重ねてきたからだ。19年春の知事・市長のダブル選挙で維新は圧勝。公明党が賛成に転じたため再度民意を問う体制が整った。吉村洋文府知事が新型コロナ対策で人気と知名度を一気に高めたこともあって、2度目の住民投票は賛成派優勢との見方もあったが、結果は前回同様に僅差で否決された。