高校球児よ、この時と思いは必ず輝く 対外試合禁止処分を経験した元球児より
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8月10日午前10時。阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)に「2020年甲子園高校野球交流試合」の幕開けを告げるサイレンが鳴り響いた。今春のセンバツ大会に選出されながら、新型コロナウイルス感染拡大の影響による大会中止でプレー機会を逸した32校の選手らに、1試合だけながらも巡ってきた「晴れ舞台」だ。夏の甲子園大会も中止され多くの3年生球児が甲子園の土を踏むことなく、高校野球生活を終えることになったこの時期。どうしても旧知の元高校球児の思いを聞きたくなり、会いに行った。
かつて愛媛・済美高硬式野球部で主将を務め、現在は日本体育大4年生で硬式野球を続ける和田蓮次郎内野手(21)は、交流試合のライブ映像をスマートフォンで見つめながら、つぶやいた。
「勝っても負けても初戦で終わり。正直、むなしさを感じるのは選手だけではないと思う。でも、大会の運営に尽力してくれた方々と応援してくれる方々と選手の家族が、この1試合を見てくれている。『やらせてもらっている野球』だということを胸に刻んだ上で楽しんでほしい」
和田選手が遊撃手として済美高1年生部員で唯一、夏の愛媛大会のベンチ入りメンバーに選ばれた14年。当時3年生だった安楽智大(現プロ野球・楽天)を擁し、全国的にも注目のチームだったが、愛媛大会3回戦で敗退した。その後野球部は2年生の1年生へのいじめや暴力があったとされ、日本学生野球協会から1年間の対外試合禁止処分を受けた。和田選手を含む1年生部員たちは、自分たちがいじめの被害者だったにもかかわらず、翌年の春夏の甲子園に出場する機会を失った。
京都市出身の和田選手は、元球児の父親の影響で幼い頃から白球に触れて育った。高校は父の勧めもあり名将・上甲正典監督が率いて甲子園で名をはせていた済美を選んだ。「周りの気持ちを酌むこと。自分から行動すること。今の僕は、上甲さんから教わったことばかりでできている」と振り返るほど、人間形成において重要な期間を過ごした。そんな恩師は14年9月に病で急逝。入学してわずか5カ月後のことだった。
自分は悪いことはしていないのに、「済美高野球部員」と後ろ指をさされる日々だった。対外試合禁止期間中、選手たちは「最初の半年ほどは練習できる心理状態ではなかった」という。グラウンドに集まってミーティングだけを繰り返し、時間をかけて少しずつ練習を再開していった。それでも投げ出さなかったのは、すでに事実上引退が決まっている1学年上の先輩たちが…
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