映画作家・大林宣彦が亡くなったのは4月10日だった。
もし新型コロナウイルスがなければ、その日は、新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』が封切られる日でもあったが、3月下旬に公開延期が決定した。
そして、予定より3ヵ月遅れて、7月31日から公開された。
世間的には「遺作」だが、大林宣彦は亡くなったのではなく「長いロケハンに旅立った」と認識している人々にとっては、「最新作」である。
もともとなぜ4月公開だったのかの事情は知らないが、この映画を見るには8月のほうがふさわしいとも思う。
この映画は「戦争」をテーマとしており、8月は、「戦争」を考える月だからだ。さらにいえば、8月6日の広島への原爆が、映画のクライマックスでもある。だから、この前後に見るのは意味がある。
泣いている余裕が与えられない
予告編を見ると、明るく楽しいミュージカルのようだ。
全編にわたり、戦場が舞台で戦闘が描かれるのだが、重苦しさはない。
何人もの女性の悲劇が描かれるが、感傷に浸る暇もなく、次のシーンへ移っていく。
この映画は、戦争を描きながらセンチメンタリズムを拒絶する。
観客には、泣いている余裕が与えられない。大林映画は、どれもそうだが、テンポが早い。そのリズムは、ひとによっては、せわしないかもしれない。
全編にわたり音楽が流れているのも、特徴だ。これも、ひとによっては、うるさく感じるかもしれない。
わかりやすい大衆娯楽映画の装いをしつつも、大林映画は「観客を選ぶタイプ」の映画なのだ。