COLUMN

Zoomで活躍する人、しない人──「言葉」が浅いと見破られます

会社から一般家庭までコロナ禍で利用者が激増したのが米国発のアプリの「Zoom( ズーム)」だ。鈴木涼美は、この「ズーム」があぶりだしたことに注目している。

ロイター/アフロ

ROMAN BALUK

顔のムラがいとも簡単に消えて、おまけに輪郭まで凛々しく修正される写真アプリや、聞き齧った知識を並べて140字で匿名投稿ができるTwitter、貧乏暮らしでも真四角のフレームの中さえ整えればあたかもオシャレでリッチな雰囲気がつくれるInstagramなど、オンライン上の付き合いというと中身や実質が伴わなくともなんとなく誤魔化せて、上澄みだけを交換ができるような印象がある。

別世界の人のように見えるインスタグラマーが実際会ってみれば普通の人だったり、Twitterで偉そうな口調で御託を並べていた匿名アカウントが実際は中学生だったり、ということは実際にあるし、マッチングアプリ上では理想の男子に見えた人が、実体は冴えないオジサンだったなんて経験がある人もいるかもしれない。ただし、ここ数カ月でメジャーになったリモート会議や飲み会では、それとは逆の現象も見え出している。

コロナ禍の自粛期間中、リモートワーク後進国とされてきた日本でもようやくオンライン会議や通話アプリを使っての打ち合わせなどが一気に増えた。午前9時に会社に行くのが当たり前、という、蓋を開けてみればほとんど必然性などなく、単にそれが美徳であると思われてきた考えかたに多くが染まっていただけのことで、「このままリモートワーク継続がいい」と言っている意見もしばしば目にする。顔を見ながら気になるほどの時差なく対話できるズームやスカイプなどのアプリがあれば、ほとんどの業務が自宅からできると感じている人も多いのだろう。

オンライン会議で活躍する人

いっぽう、「やっぱりズーム(Zoom)だと不便」「リモート会議は難しい」という声も時々聞こえる。それは単に接続環境に個人差があることや習慣化した会議室での対話に慣れているからなのかと思っていたが、どうやら従来型の会議で活躍できる人と、オンライン会議で活躍できる人とが必ずしも一致しない、つまり人によっては「普段の会議の方が自分の意見が通りやすく、オンラインはもどかしい思いをする」と感じている場合があるようである。

3月終わりにはZoom会議での業務を開始した外資系コンサル企業の知人は「言葉の差が非常に際立つ」とその使い心地を説明する。母国語が日本語、英語、中国語などとバラバラな人同士が英語で会話する場合に、会議室に比べてオンラインでは母国語を使う人の優位性が顕著だという趣旨だったが、オンライン会議で活躍する人の特徴を考えるのにはヒントになるコメントのように思える。

日本語が母国語の者同士が日本語で会話する場合でも、体格や声のボリュームによる威圧感によるごまかしが効かず、身振り手振りで場を支配するようなこともできないのであれば、的確でわかりやすい言葉を瞬時に使える人が有利であるはずだ。普段は何となく人を黙らせるような人の、言葉ではない力が奪われ、普段は目立たなくとも言葉の力を持つ人が光る。

David Silverman/Getty Images

David Silverman

“雰囲気系”は苦戦必至?

業務に使われる場合だけでなく、飲み会や友人同士の会合でも似たような現象があった。会社が出勤停止となり、夜は週に3回のペースで誰かしらとリモート飲みをしていた友人は、「雰囲気で持ってくタイプの存在感が薄くなる」とその状態を解説する。知人同士の飲み会で、大した内容の話をしているわけではないのに、「場を回す」技術が巧みで場を牛耳り、人を小馬鹿にしたり乾杯の音頭をとったりして主役のような印象を与える人間というのがいる。

「場」が存在しないのだから、「場を支配する」「場を盛り上げる」などの役割も存在しないわけで、そういった、よく言えば宴会部長、悪く言えばお調子者のような立ち位置が必要とされないのだ。

加えて、Zoomなどのアプリは、実際の会話と違って、画面をみると全員の顔が映っているため、「話のつまらない人が話し出すと顕著にみんなが下を向いたり飲み物を注いだりするのが丸わかりだから、話が面白くない人は長く話すことがなくなる」(前出の友人)らしい。

リモート会議が硬直した働き方や職場の付き合いをリセットしたのは功績だと思うが、それとはまた別に、言葉の力がクローズアップされるのであれば、それもまた一つの副産物である。その「場」の雰囲気の中で何となく軽視されてきた言葉に人が向き合い出し、言葉選びの力を磨くようになり、雰囲気だけで人を黙らせるような「声が大きく言葉が浅い」人ばかりが注目される風潮に一石が投じられるのであれば、それはゆくゆくは政治や文化にも伝達されていくような気がする。

PROFILE
鈴木涼美 Suzumi Suzuki
1983年、東京都生まれ。作家。慶應義塾大学卒業。東京大学大学院学際情報学府を修了。2013年に著書『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)を刊行した。近著に、『おじさんメモリアル』(扶桑社)、『オンナの値段』(講談社)などがある。

文・鈴木涼美