小川洋子・選 『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』=トーマス・マン著、高橋義孝・訳
毎日新聞
2020/6/6 東京朝刊
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(新潮文庫・572円)
新型コロナウイルスのために封鎖されたヴェニスの様子をニュース映像で目にした時、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』を読み返したくなった。無人の回廊、風になびくカーニバルの名残の旗、黒いシートを被(かぶ)せられたゴンドラ。そうした風景から、黄ばんだ文庫本の一ページ一ページが、よみがえってくるようだった。
大学生の頃、「ベニスに死す」を観(み)に行った高田馬場の映画館で痴漢に遭い、途中で帰らざるを得なくなった。ひどく気分が悪く、堂々と抗議できなかった自分に腹も立ち、むしゃくしゃした心を鎮めるために、早稲田通りの古本屋さんで原作の文庫本を買った。今でも手元にあるそれには、裏表紙に鉛筆で¥100と書いてある。
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