大人のウェルビーイングにも必要な「自分らしく居られるもう一つの居場所」の新動向
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ウェルビーイングの実現に学校や職場、家庭とは別の「もう一つの居場所」が必要だと感じています。そのことをいつか記事にしたいと思っていたところにNPO法人が絵本作家のヨシタケシンスケ氏と共同制作した「かくれてしまえばいいのです」という素晴らしいウェブコンテンツが公開されたので、それをフックに大人も自分らしく居られるサードプレイスについて書いてみました。
一日の大半を過ごす学校や職場、家庭が世界の全てではないことは、理屈で分かっていてもどうしても全てになりがちです。近年は、職場のウェルビーイングに「心理的安全性」の重要性が訴えられていますが、そもそも価値観で結ばれた関係ではない共同体でそれを実現させるには強制力も必要で一筋縄では行かなそうです。また、家庭や学校、職場の価値観に自分を合わせていることにすら気付かないこともあります。
習い事を始める、趣味が合う友人と一緒に遊ぶ、など、日常と切り離されたもう一つの居場所は、人それぞれで多種多様です。ですが、商業的にもそれを提供できるのではないかと考えました。その可能性を秘めた最近の事例を採り上げています。週末の息抜きにお読みいただけたら幸いです。絵本作家のヨシタケさんの話から、米国などの好事例をふんだんに取り上げ、「ここじゃないあそこ」の大切さを丁寧に書き綴っている記事。
当事者研究の熊谷先生の「自立とは、依存先を増やすこと」を思い出します。
コロナのピークが去り、また人々がFacetofaceで紐帯し、繋がれば繋がったで煩わしさを感じながら、また別の場所を探していく。そんな風にして、依存先や、自分の頼れる場所を少しずつアップデートしていけることに人としての醍醐味もまたありますよね。後半新しくできるハラカドの宣伝になってるけど、居場所というのは、物理的なスペースのことでもありますが、やっぱり人との繋がり、つまりコミュニティなんだと思います。
私自身、仕事に追われてるときはラグビークラブに所属して土日プレーしてたのが救いになったし、ひとり親になってからもラグビースクールのコーチや保護者コミュニティが居場所でした。今や、コミュニティはリアルでなくても成立するので、程よくコミュニケーション取れるスペースは持ちたいものです。