なぜ「体育の授業で運動が嫌いになった」「大人になってスポーツが楽しい」という人がこれほど多いのか?
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神戸親和大教授の平尾剛さんは、元ラグビー日本代表というスポーツエリートですが、「体育」のもつ問題点を鋭く指摘されていて、頷くことばかりです。
サブタイトルは、<「できなさ」ばかりを強調する学校体育の大問題>としています。私は非体育会系で、大人になってからスポーツを親しむようになりましたが、本当にそう思います。。私も体育は嫌いでした。体重や身長が平均よりかなり低かった上に、筋金入りのカナヅチだったので、しんどい記憶しかありません。体格の差に加えて習い事や部活動による経験の差が、物理的な痛みを伴って襲ってくるので、ドッチボールは拷問だとすら思っていました。差を突きつける構造は、学力格差でも同様に生じているのではないかと思います。
号令の問題は体育に限らず深刻な問題です…。運動が苦手だったので、体育もずっと苦手でした。周りの子は優しいのでそんなことはないのに、自分だけできなくて足を引っ張っているような感じがして…あと純粋に、「ここまでできたらすごいね」の「ここまで」ができないのがすごく悔しくて恥ずかしかったです。
ただ、今となっては「運動できないんだよね〜」っていう軽いノリで楽しめそうです。結局は小学生というまだまだ幼い心が要因にもなっているかもしれませんね。
関係ないのですが、この記事を読んでふと朝礼の時に「全体休め!」と言われて「休め」のポーズをしていたことを思い出しました。あれって今もあるんですかね?
当時は「いやむしろ休めないんだけど…」と不思議に思っていました。笑