【新】いつの間にか、子どもに「呪い」をかけていませんか?
コメント
注目のコメント
『「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけない』に関してのインタビューを野村さんにしていただきました。ありがとうございます。
日本では、「好きなことをやりなさい。ただし、人様に迷惑だけはかけちゃダメよ」とよく言われます。これはその時点で、「ダブルバインド」です。
そもそも、人間は生きていれば必ず人に迷惑をかけます。ゴミは出すし、二酸化炭素を排出する。
つまり、このような親からの言葉を金科玉条のように捉えていたら、ことあるたびに自己肯定感がなくなるような「呪い」となるのです。
チャレンジが怖くなり、できなくなる。
またなによりも弊害は、「人に相談できなくなる」ということです。
大きな問題を抱えた時に、そんな重いことを「相談する」と「迷惑をかけてしまうのではないか」と考えるようになります。
「もっと早く言ってほしかった」とか「なんで相談してくれなかったの」と、人が亡くなってから後悔しても遅いのです。
それだけは避けたい。
「迷惑をかけても良いよ。お互い様なんだから。その分困ってる人を助けよう」
このような積極的な道徳を身に付けることで、
変な忖度や同調圧力から抜け出せる世の中になって、自立、自走式の大人がたくさん生まれることを願っています。
ぜひ「人に迷惑をかけるなと言ってはいけない」(SB新書)のご購読よろしくお願いします(^^)小3までを、色んな国の人が通うイギリスの現地校で過ごしましたが、日本の教育方法はここに書いてある通り特殊です。
人に迷惑をかけるな
目立つな
みんなと同じように行動しろ
習得が早い人は待って遅い人を助けろ
自分の意見を主張するな
かなり強く、こんな圧力を感じました。これにちょっとでも逆らうと、「やっぱり帰国子女だねー」です。これが凄くイヤなので、結局上の圧力に屈していきます。
それが就職活動になると、途端に個性を出せと言われ、企業によっては入るとまた目立つな、となるので困った物です
逆に、個性とか自分の持つスキルが尊重されるチームで働くと本当に楽しい、とつくづく感じます。日本の教育環境ももっと個性を伸ばしてくれたらよかったのに、とも感じますね。「そうだよなー」と思う気持ちもあれば、「でも親だって完璧ではない」、「家庭としてのポリシーは重要」と思う気持ちもある。
拮抗禁止令のいくつかは、親としての自分にとても当てはまる。
言い換えようの例で「人に迷惑をかけるな」や「やめなさい」がある。言い換えの、「お互い様」「周りの人がハッピーに」は重要だと思う。一方で、周りの人をアンハッピーにしようと思って意識的な悪意で行動をしたわけではなく、衝動的なことがほとんどだと思う。
「自分がこういうことされたら悲しいよね」とか「それは迷惑ではなくてお互い様、でもこれは相手を困らせるから迷惑だよね」といった話を何回かとか時折できる。
一方で、親だって人間だから、毎回完璧な話し方はできない。親にだって衝動はある。また、どこまで許容をするか、どう伝えるかはかなりが各家庭の方針や親・子供の個性次第だと思っていて、良い悪いはない。
子供への呪いの言葉をかけちゃいけないというのが、親への呪いになるのも本末転倒だと思う。親だって完璧じゃないし完璧であろうとしなくてよいと思う。
頭の片隅に入れて、共感できたものについて方法論として使える時に使う、使えなかったときはそういうこともあるとか、子供に「あの時は強く言ってごめんね」でいいのではないかと思う。