小山田圭吾氏を「引きずり下ろした」政府が隠したい、日本のいじめの不都合な真実
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加害者を庇うことと、加害者を叩くことを批判することは、全く別次元の話だと思うんですが。。。
加害者を叩く際に第三者が「被害者の気持ちを考えろ」といって正当化するのが、どうにも気持ち悪いです。被害者の気持ちを本当に考えてのものではなく、自身の正義感を充足させるためだけに被害者を「利用」しているケースが多いように感じます。
注目のコメント
イジメた側はイジメだと自覚していなくて、後からイジメだとわかる。またイジメられた側は一生覚えてる。
自覚なくイジメを楽しんでるわけだから、不都合も何もないだ。人に言われてイジメだったとわかるのだから。
私が過去にイジメを受けて、おかげさまで、小中の記憶がほとんどない。脳が記憶を消すくらい辛い思いをしているのだ。
ただ、イジメがあった記憶は残るし、トラウマもたくさん残り生きづらい。トラウマが無意識にストレスとなり、社会からは弱い人間と判断され、こんな思いをして生きなきゃいけないのかって、ホント思いますよ。弱い人間だからってレッテル押されるのも、イジメの一つだと思うし、誰しも無自覚にイジメをしているのだ。仲裁者少なく傍観者多い、というのはそれが日本の特徴なんだろうな。力のある方になびいてないつもりで、力のないものに一線画しておいて中立と言っているのは、傍観者になってるのと同じだ。
なかなか身につまされる記事だった。イジメとイジリの境界線問題はあるけど、今回は当事者が過去の犯罪を告白していた、という問題。イジメと犯罪の境界線問題では明らかに犯罪の領域に踏み込んでいた、ということだろう。
とっくの昔ではあるが犯罪をおかしたと嘗て自白していた人を採用するのは、誰が考えても流石に無理がある。日本政府がどうとか、それは話の飛躍し過ぎだろう。