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表紙めくれば安倍・菅首相 志位共産委員長:時事ドットコム
時事ドットコム
安田 隆之【おっちゃん♡】 自社オーナー社長兼PEファンド雇われ社長兼ŌGIRI☆倶楽部主筆
・・共産党の志位和夫委員長(自民党総裁選について)「党の表紙だけ変えても一枚めくれば菅義偉首相の顔、もう一枚めくれば安倍晋三前首相の顔」・・ どうしてこうも野党の偉いさんは揃いも揃ってブーメラン発言を頻発するんでしょうか?今回の発言は「(予想もしていなかったのに)ブーメランが後から戻ってきて後頭部に突き刺さる」というよりはもはや「最初からブーメランを自分で後頭部に突き刺したまま登壇する」みたいな。 立憲民主党の枝野さんの発言もたいがいなものですが共産党の志位さんはもうちょっとまともだと思っていましたよ。 志位さんが共産党委員長になったのは2000年。なんと21年間もその地位にある。しかもその前の1990年からの10年間も共産党書記局長でした。共産党なんて「党の表紙すらも変えず一枚めくれば志位さん。次のページも志位さん。全ページずーっと志位さん。そして最後の奥付に至るまで志位さん。しかも31年間絶賛増刷中!」(←「売れもせんのに増刷すんなよ!」というツッコミはナシでお願いします)じゃないですか。 ぺらぺらと軽く薄っぺらの言葉で政権批判する。今回の発言なんてそれが仮に蓮舫たん❤の発言だと聞かされても何の違和感もありません。最近の共産党の「立憲民主党化」が凄まじい。 こんなことは立憲民主党にでも任せておけばいいじゃありませんか。あの冷静で論理的で硬派の共産党はいったいどこに行ってしまったのでしょうか?なんだかなあ。がっかりです。
立憲 枝野代表「自己責任をあおる政治を正したい」自民党批判
FNNプライムオンライン
安田 隆之【おっちゃん♡】 自社オーナー社長兼PEファンド雇われ社長兼ŌGIRI☆倶楽部主筆
自民党総裁選や衆院選を前におかしな言動が続いていたましがとうとう思想的にも積んでしまった。「リベラル」をよくわかっていない。思想音痴であることを告白してしまいました。 「共同体の利害」よりも「個人の利害」を最優先させるという「リベラル」の核心。それは「究極の自己責任論」になります。考えてもみてください。リベラルとは「個人の努力では乗り越えられぬ属性」(人種とか性別とか歴史とか家柄とか)で人を区別するな。すべては個人に還元されねばならない。そういう考え方なんですから。 「個人が個人で乗り越えられぬ制約に縛られるのではなく個人の力を最大限に使って自分が幸せだと感じられる生き方をしましょう」と。これが「リベラルの価値」なんですよ。掛け値なく素晴らしい考え方でしょう? けれども人種とか性別とか歴史とか家柄によるのでなくその人が個人の力を最大限に発揮した成果をどうやって認識するのか。しかもそれは「個人の努力で獲得可能な属性」かつ「誰もが客観的に認識できる属性」でなければなりません。 そのふたつの要請を満たそうとすると資格だとか経験だとか学歴だとかの「客観的指標」で評価しましょうってことになる(リベラルの中心的価値である「メリトクラシー」)。その裏には「個人が自由に行ないうる努力」=「自己責任」が前提としてある。それが「リベラルの核心」ということなのです。 個人を共同体に優先させようというリベラル。責任を人種とか性別とか歴史とか家柄などの「共同体」に帰属させるのではなく徹底的に「個人」に帰属させようというリベラル。「リベラル」と「自己責任」とは本質的には同じことをいっているんですよ。 枝野さんが問うべきだったのは「ではリベラルを突き詰めていくと救われない人が出てくるがそれをどうするのか?」ということだったのです。まるで最近のサンデル教授の問いそのままですね。それだけ現代的な命題でもあるわけですが。 近著でサンデル教授は「共同体の価値」に回帰しつつあるようです。しかしそれでは伝統的保守。しかも家父長的な。だから看板に傷がつくことを恐れてかサンデル教授ははっきりと結論を出していません。サンデル教授は学校の先生ですからまあそれでもいいでしょう。でも枝野さんは政治家ですよね。しかもリベラルに支持される政党の党首ですよ。さてどうします?
大馬力PHV・EVスポーツカーの登場で純エンジン車のスポーツカーは死滅!? 後世に残したい最高の純エンジン車5選 - 自動車情報誌「ベストカー」
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「自民だと多様、野党だとなぜかバラバラと表現される」 総裁選報道で枝野氏(カナロコ by 神奈川新聞)
Yahoo!ニュース
安田 隆之【おっちゃん♡】 自社オーナー社長兼PEファンド雇われ社長兼ŌGIRI☆倶楽部主筆
枝野さんってどうしてこういうぐじぐじとした嫌味というか愚痴めいた繰り言を臆面もなくマスコミに向かって言っちゃうんでしょうか?こんなことを報道されて有権者はいやーな気分になるとは思わないんでしょうか? 「野党だとバラバラだといわれるヽ(`Д´)ノプンプン」と枝野さんはおっしゃいますが現にバラバラじゃないですか。野党共闘だってうまくいっていないじゃないですか?全野党共闘はできていないでしょう?小選挙区の立候補者調整もできていないんでしょう?国民民主党は共闘に加わらないでしょう?連合もついてこないでしょう?だからいまだに全選挙区に立候補者を立てられていないじゃないですか? 小選挙区制度では小選挙区すべてに候補を立てることで地滑り的な勝利が転がり込むことがあります。民主党政権政権の誕生はまさにそれでした。だから当時の小沢さんは「共産党抜き」の野党共闘にこだわった。そしてすべての小選挙区で立候補者を立てた。そして勝利を目指した。結果は小沢さんの読み通り。選挙の神様といわれる小沢さんの戦略が的中しました。 衆院選を前にぐじぐじと嫌味だとか愚痴なんかいうのではなく(共産党抜きでもいいから)野党共闘をまとめあげる。小選挙区すべてに立候補者を立てる。野党共闘で影の内閣を作って野党統一の総理大臣候補として女性の総理大臣候補をぶち上げる。それぐらいのことをやれば俄然有権者の関心は高まると思うんですけどねえ。 仮に与野党ともに女性総理大臣候補なんてことになると話題騒然。自民総裁選にもインパクトを与えるし衆院選も盛り上がるじゃないですか。 あ。言っておきますけど。そのときの女性総理大臣候補は蓮舫たん❤じゃダメですからね(^o^)
高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか〈dot.〉
AERA dot. (アエラドット)
安田 隆之【おっちゃん♡】 自社オーナー社長兼PEファンド雇われ社長兼ŌGIRI☆倶楽部主筆
いや。意外にも(と言ってはすごく失礼なんですが)たいへん面白い記事でした。 政界といえば典型的な男社会であることに異論を唱えるひとはあまりいないでしょう。その中で頭角を現していく過程で筆者の言うように(というか残念がるように 高市さんは(ほんとうに)変容していったのか。あるいはフェミニスト的言動と保守思想とは別物だとお考えなのか。 フェミニストが必ずリベラルでなければならない。そもそもそんな筆者の前提(思い込み)がおかしいとわたしは思うのです。高市さんについては後者の「フェミニスト的言動と保守思想とは別物」というのが当を得た見方ではないかと思います。フェミニストが保守思想家であることのどこが問題なのか。保守政治家はフェミニストである資格がないのか。旧世代の左巻きマイマイ思想に染まったフェミニストが避けてきた命題です。この記事はそんな根本的な疑問を提起しているように思います。 筆者のほうがむしろ旧世代発想のフェミニスト。そもそもフェミニストが左巻きマイマイ思想(特有の選民思想)に容易に埋没して回収されてしまったことがフェミニズムをすっかり停滞させてしまった。内田樹さんはこのことを批判して「フェミニズムを150年前に逆戻りさせた」とまで言っています。上野千鶴子さんの言動をみればよくわかるでしょう(特にここ20年の「おひとりさま老後」の提唱以降はフェミニズムによるフェミニズムの排除傾向がひどいとわたしは思いますよ)。果たしてフェミニズムと保守思想とは筆者の考えるような対立概念なのでしょうか。 あまりよく知らないしあまり興味のない政治家でしたがちょっと気が変わりました。総裁選の行方はどうなるのかわかりませんし苦戦が予想されそうですが高市さんという政治家に俄然興味が湧いてきました。
自民総裁選さなか...立憲支持率さらに下落 枝野代表、党として「緻密な調査」を「再度進めている」(J-CASTニュース)
Yahoo!ニュース
総裁選、「高市氏の言葉」にネット民が熱狂する訳(東洋経済オンライン)
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安田 隆之【おっちゃん♡】 自社オーナー社長兼PEファンド雇われ社長兼ŌGIRI☆倶楽部主筆
・・筆者の岡本純子さん「逡巡なく『耳障りのいい言葉』を紡ぎます・・ 筆者は冒頭の自己紹介ではコミュニケーション・ストラテジスト。「たった2時間のコーチングで口下手の話者をスタンディングオベーションを受けられるほどに上達させる」ほどの実力の持ち主だという。 しかし「耳障りのいい」などという表現を臆面も羞恥もなく使う点でそして脱稿前に推敲してもその誤りに気付かぬ点でコミュニケーション専門家として失格である。言葉の専門家なのに言葉を大事にしていない証拠である。 「耳障り」や「目障り」は「手触り」や「肌触り」とは違う。「障る」という言葉は「気に障る」や「癪に障る」というふうに使う。「耳障り」や「目障り」は字面を見れば明らかなようにそもそもネガティブな言葉なのだ。いっぽうで「手触り」や「肌触り」はニュートラルな言葉。「触る」という触覚を表す言葉だからだ。 百歩譲ってそれをごっちゃにした「みみざわり=耳触り」の間違いだと言うかもしれぬ。しかしそんな言葉は日本語にはない。おまえの耳は虫の「触角」と同じかっつうの。口語で気づかなくても(それでも「気づけよ」とは思うが)「耳障り」と書いた段階で気づけよ。なんたってあなた。コミュニケーション・ストラテジストなんですから。 言葉にこだわるコミュニケーション専門家が「耳障りのいいこと」と平気で書けちゃう。推敲しても気づかない。つまり「いつもそうしている」ということ・・おや?どこかで同じことを書いたはずだが?と思ったら・・。ひぇぇぇ。このコミュニケーション・ストラテジストさん。何度も同じ「耳障りがいい」という間違いを繰り返している常習犯なのであった。 https://newspicks.com/news/6081347?ref=user_903080 ハデハデしい自己紹介で冒頭からかましまくり言葉の大事さを説いて政治家の発言をジャッジして批評するコミュニケーション・ストラテジスト。あぁぁぁ。なぜか読んでいるわたしのほうがその痛々しい姿を見せられて隠れたくなるほどに恥ずかしい。穴があったら迷わずに飛び込んでください。東洋経済の担当デスクとご一緒に。 あ。最後に。「耳障りのいい批評」ではなく「耳障りな批評」をしてしまいまことに申し訳ございませんでした。いや。文章だから「目障り」か(笑)。
「どれだけワクチンが広がっても『まだ油断するな』」これで日本の経済が回復するはずがない
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安田 隆之【おっちゃん♡】 自社オーナー社長兼PEファンド雇われ社長兼ŌGIRI☆倶楽部主筆
いつもは温厚なオプティミスティック的論調の唐鎌さんが珍しく激怒💢しておられる。むべなるかな。 唐鎌さんはワクチン接種率が欧米並み(既に米国を超えつつある)に上がっているのにそれに伴う「出口戦略」のないことを怒っておられる。「出口戦略」とは「自粛自粛の経済的抑制策」からの離脱のことである。つまりはコロナ禍の「ウイルス学的(医学的)終息」ではなく「社会的な収束」への道筋である。 コロナという疾病の「終息」とコロナ禍という社会的混乱の「収束」とは違うのだ。前者は客観的な「数値」で動かしようもない「定量的指標」だが後者は「社会的かつ定性的な決定(あるいは合意)」である。だからこそ政治のリーダーシップの発揮される領域である。前者は分科会だが後者は政治家の出番なのだ。 おそらく唐鎌さんは昨日の麻生さんの「医者の言うことだけが正しいのか?」という発言に触発されたのであろう。つまり「医者の言うことだけが社会的に正しいのか?」という問いである。「社会的収束」をひとこと口にしようものなら「他人の命を蔑ろにするのか!」と目を三角にした自粛警察やらワクチン警察やらマスク警察やらが跋扈して罵倒する。これが「社会的収束」をさらに遠のかせる。 しかしそんな世相であるからこそ政治のリーダーシップが求められるのではないか。改めて「医者の言うことだけが正しいのか?」と問いたい。
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