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石破氏「実行したい」、小林氏「賛同しない」 金融所得課税でバトル
Tawada Satoshi
現状、金融所得を得ている人々は、相対的にマネーリテラシーが高い人々なので、課税しますと言った瞬間にそこからの逃亡を図るのは明白。
ではなぜ逃亡するのか?なぜ税金をそこまでして増やさねばならないのか?の説明がないので、納得感がないからである。そしてそれが見ず知らずの爺さん婆さんのために使うんです、あなた方もいずれ歳をとりますから、その時に恩恵に預かってくださいと言われたら、ピンピンコロリこそが歳の取り方として至高だと思っている私のような人間にはもっと納得感がないからである。
そもそもお金の使い方というのは、未来がなくてはならない。未来があるものは投資である。未来がないものはただの費用である。投資はかけなくてはならない。費用は省エネをやり切ってまだなお残った後の光熱費など必要最低限以外かけてはならない。
このようなことを書くと反発を招くかもしれないが、同じ1億円を後期高齢者に投じるか、18歳に投じるか、これが税金における費用か投資かの分岐のひとつなのではないか。
ふるさと納税、総務省が楽天に反論。担当課長「ポイント競争は正当化できない」
Tawada Satoshi
なるほどね。ポイントを出すのがいかん!のもあるけれど、それ以前に、ポイント還元する原資が得られるほど中抜きで儲けるのがけしからん!ということですか。
理解できなくもないが、単なる中抜き・紹介行為のみ・BPO・事業として回す、その4つは根本的に分けて考えるべきであって、総務省はこのニュースの文章において比較的「中抜き」に近い印象を楽天に対して持っているのではないか?
1、中抜きは努力しない不労所得なので一切必要ない。
2、紹介行為のみは、手数料雀の涙でよいのでやらせてくださいと割り切るなら、必要悪として許容できなくもない。タッチポイントを既得権としてふりかざすと必要ない対象となる。
3、BPOは人工やインフラ整備が発生するので相応の費用が必要。
4、事業として回すのはむしろ拡大のための広告宣伝投資やそのリターンが発生するので経済原理上好ましい。
楽天はこの中でいうと4に該当するはずなので、むしろ総務省からしてみれば
「言っても税制なので市場原理に当てはめすぎたのはちょっとやりすぎですが、それでもここまでこの制度の普及に貢献いただき感謝。やりすぎな部分だけ、ちょっと直してくださいね」
と下手に出て改善をお願いするのが本来なのではないか?
ここまで上から目線で言ってる総務省、楽天やソフトバンクなしではふるさと納税制度がここまでの認知と利用があるものにならなかったのでないか?
小泉進次郎氏、自民総裁選に出馬へ 40代2人目、世代交代も争点
Tawada Satoshi
レジ袋は濡れ衣なんですね。だからレジ袋は濡れ衣だと思っています。
でお馴染みの小泉進次郎氏。
こうやっていじられているうちに、あれよあれよと総裁になってしまいそうな勢いは感じます。ただし、石破氏・河野氏も(実際にそうであるかはさておき)比較的いじられる側ではあるので、果たして。
ただ最大の問題は、いじられるかどうかで総裁が決まるわけではないということ。
派閥の中心にいると実行力はあるが既存の延長線を越えられない、傍流や干される側にいると何をするにつけても抵抗勢力が発生して実行力には欠けるがしがらみは少ないので既存の延長線を越えられる可能性がある。
今回は比較的後者寄りが多いので、どのような結果になるのか予想が難しくもあります。
どのみち、総裁選で民意が反映されるわけではないので、この後控えるであろう解散総選挙には、皆様しっかり投票に行きましょう。
出社させたい日本企業VSリモート推進の政府、働き方の「新スタンダード」は?
Tawada Satoshi
リモートOKです、とどれだけ言ったとて、管理職側のマインドが「管理・統率」から「委任・支援」に変わらない限り、「(俺が在宅になったらサボるんだから)お前ら在宅したらサボるだろ」という性悪説で出社させる空気を醸し出していく。
「下々の者ども」は、その空気に逆らうと人事評価が下がるので消去法的に出社。
じゃあ全面的に管理職が悪いか?と言われると、結局経営者が「(俺が家にいたってやることないんだから)お前ら家にいたらやることないだろ」という思い込みで出社させる空気を醸し出す。
ただしここで経営者も「私が2〜3日いなくても会社が回る」という権限移譲をしていないだとか、事業部の大きな案件を管理系部門に根回しする文化だとか、そういう状況になっている。つまり、経営者自らが「管理・統率」から「委任・支援」にシフトできていない。
で、この【根回し】があるがゆえに、密室での【会議】を中心とした仕事に慣れているから、家にいてもやることがない、となるだけのこと。
で、会議があるから【資料】を下々に要求し、その結果資料の微細に事業部と管理部門や事業部同士の【調整】を要する羽目になり、調整という機微を要する仕事のために下々も出社を余儀なくさせられる。
トヨタがいうホワイトカラー7つの無駄の1〜4番は「会議」と「根回し」と「資料」と「調整」です。
さて、トヨタとその他、どちらがより企業体として強固なのでしょう??
さて、トヨタがいうこれらの無駄を日常的に行いながら、現場にカイゼンを求めるのはなぜでしょう??
「人参を持った金ピカのウサギ」が100億円で落札…悪趣味な彫刻に札束が飛び交う「現代アート」の異様さ
Tawada Satoshi
1枚の富士山の写真を見て「うわー、自然ってこんな美しい形になるのか。やっぱり神秘的だなぁ・・・」というようなシンプルな芸術がネタ切れしてしまったから、こういう「現代社会にはこういう問題点があって、それをこの人はこのようなバックグラウンドをもって、このような解釈で・・・」という作品が出てきているという側面はどうしてもあります。
そこで「この作品の芸術性を理解できないなんて、コンテクストが足りないよ」などと意識高い系ぶってマウントを取るのではなく、「いやーこうきたかー、なるほどねぇ。こりゃ座布団1枚だねぇ」としっかり共感できるような感受性と時代へのキャッチアップはしておきたいところ。
そこで山田隆夫が座布団を持ってくるか、サザビーズのスタッフが札束の入ったケースを持ってくるかだけの違いでは、と。
ただ冷静に考えたら、座布団といえば、それって平成の日本では、100億円払わなくても、普通に毎週日曜の夕方の地上波で、カラフルな着物のおじさん・おじいちゃん(小遊三、好楽、木久扇、歌丸、5〜6代目圓楽、こん平)たちが既にやってたことなんだよな・・・
一度でいいから見てみたい
四万十川でトライアスロン
【即実践】「なめられない品格」を戦略的に育てよう
Tawada Satoshi
こういうのがRPGのステータスや技のように人事以外にも可視化されていけば、過去の実績だけでいうことを聞くかどうかを判断するような「それってリスクヘッジに見せかけたあなたの感想ですよね?」みたいな真似もなくなるのではないだろうか。
RPGのステータスや技でいうのなら、下記のようなタイプいますよね。
1、攻撃力・素早さ・賢さが非常に低く、HP・身の守りが謎に高く、本来そういうタイプは仁王立ちで盾になるべきところを他人を盾にして生き延びる「逆パラディン」
2、賢さだけ謎に高く、神(社長)の血族であるにもかかわらず、補助も回復も攻撃呪文も使えず、頓珍漢な指示を出しまくる「頭でっかち魔法使い」
3、レベル(社会人歴)30くらいにも関わらず全てのステータスがレベル15以下、ただし人の手柄を奪う時の素早さだけ異常に高い「手柄の盗賊」
4、敵(時代)に合わせて馬車とメンバー(注力すべき事業)を入れ替えないといけないのに、ずっと最初の街を出た時のメンバー(祖業)でいようとし続ける「過去に縛られた老戦士」
その手の人たちが一番改善・イノベーション・社員エンゲージメント向上・ひいてはPBR向上のストッパーになるわけで。時代の激しい炎や凍える吹雪にさっさと倒されていただきたいところです。
もう少しステータスと習得技を見える化できるものはないだろうか。ストレングスファインダーを義務化するなどぐらいしか、私には思いつきませんが、HRtechの最前線にはもっといろいろあるのかもしれません。
アップル、新作広告でまたも取り下げ事案に発展 タイ語圏から「時代遅れ」批判相次ぎ、今年2度目の物議
Tawada Satoshi
センセーショナルなのを狙ってるんだろうと想像はできますが、だからと言ってこんなギリギリを攻めてアウト取られにいかなくても、と。パリ五輪の開会式も「ギリギリを攻めに行ってアウト」が多発していましたし。
CMにしろ五輪にしろ、クリエイターの暴走をバランスよく見て、良い尖りだけを残す落としどころを見つけていく、そんなアウトプット作りができないところまで来てしまっている感があります。
悪評だろうと話題になればそれでよし、などの炎上マーケティングや、クリエイターを天上天下唯我独尊にしてしまう製作体制は、結果的に企業のブランドイメージをじわじわ摩耗させていくだけではないだろうか、と。
例えばマクドナルドの「違う街、同じ味」みたいな企業の持ち味を活かすエモい路線など、印象への残し方についてもっと後味の良さというか、そういうものを突き詰めていただきたいところ。
ブランディングってセンセーショナルなホームラン打てばいい、というものではなく、一本芯が通った企業活動の地道な積み重ねですので、そこは間違えないでおかねば、と我が仕事にも教訓となる事例です。
AIで憧れの選手にファンレターを グーグルCMに視聴者反発
Tawada Satoshi
AIというのは例えば、形式的な挨拶文を作る、議事録を作るなど、人の感情を排除した方が完成度が高くなるアウトプットをさっさと終わらせる上では非常に有効なのですが、これはファンレターという推しへの憧れという感情がアウトプットの主となる類のものにAIを使うという、非常に相性の悪い組み合わせを提示してしまっているわけですね。
ではなぜこの相性の悪い組み合わせを、技術の見せびらかしとしてCMに仕立て上げてしまうような真似ができるのか?その答えとして考えられるのが、技術を持つ者としてのマインドセットです。
かつて製造業の工場の現場の一員であったときに、このような教えを受けたことがあります。
技術は包丁と同じで、使い方によって人をあやめ傷つけもするし、人を助けもする。
ホームセンターで買える普通の包丁に比べ、岐阜・関や新潟・燕三条の一流ブランドの包丁の方が、よく切れるが故に使い手にも技術が必要になる。
また、それを使いこなせた時の調理感も味もまた格別のものとなる。
だから、技術を持つ者にはそれ相応の品位や良識が求められる。
それを無視して「ほらこんなこともできるんだよー」と示すような真似をすると反発を食らう。
そして、そんなものは世の中に受け入れられない、一部の物好きが使って終了となる、だから普及もしない。
これが、技術を持つ者・使う者として、忘れてはならぬことであると。
この教えを、そんな甘っちょろい考えでは海外から取り残されるぞ、と一蹴するのは容易いことですが、ではその海外がどうなっているかというと、こんなことになるわけで。
NORMAL
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