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大学入試新テスト 複数回実施の見送り検討 
NHKニュース
Yokoyama TadashiAGOS Japan アゴスジャパン 代表取締役
30年以上海外大学の入学審査官と語り合ってきた身としてすこしコメントをしたい。 例としてアメリカの SAT と GPA(高校在学中の成績)とエッセーの関係を簡単に整理すると 成績=自分が選んだ場で成果を出す努力をする能力  SAT=統一の大きなプールの中での比較 (複数受験可) エッセー=志望校、志望分野の選定理由を行動、興味、価値観などからある程度根拠づけられる能力を検証。 「教育」は The Right Answer を探す能力を求め、Education (語源は「中から引き出す」)では Your Answer / Your Question を持つ能力が求められる。は蹴りたいものが違う? 決められた日に結果を出す能力が求められる例の一つがオリンピックである。「その日」が究極の目標の日であり、最終成果が求められる日であるからだ。 反面、「大学受験」は本来「大学で成長する可能性」を図るものであり、「その日に決着をつける」必然性はないのではないか?「大多数の大学で求められるもの」が統一テストに入り、求める人材像に合わせて「その他の判断基準」を各大学が作ればよいので、議論されているような、記述式で人件費が膨大になるものがあえて必要なのかは疑問に感じる。統一試験を固めすぎるとまた能力の定義が狭く定められてしまう。 (例)SATが複数回実施される理由はいくつかある。 1)受験者の都合で選べる柔軟さ(高校2年生でも受験できる)。 2)「成果を出せる可能性と出す努力」はベストスコアで測ればよい 3)テスト慣れが必要な受験者(性格的なもの含め)にはその機会を与える 4)1回目の受験からの課題に対しての対応力があるならばそれも能力 そして、成績とテストスコアの両方がエッセーの説得力に連動する。成績もテストも成果が出ていないとなると「言うだけ」となりエッセーの中身の信ぴょう性が下がる。 入学審査官のトレーニングも課題になる。「審査に対する人件費」が大きくなると「受験料」は企業で言うところの「利益率」が高い現状も各大学が独自で審査する比重が上がれば「経費」が増える。 この手の議論は教育面、経済面、運営面など多角的に見ないと実現しないことは理解の上であえて「主役は受験生であり、テストは将来にむけた機会提供のための判断材料の一つ」で議論が進むことを期待する。
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