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《「すき家」が方針転換》パート女性の“ワンオペ”突然死を受け「6月30日までに全店で朝帯のワンオペを廃止する」と発表
文春オンライン
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
非常に痛ましい事故です。 すき家は過去にもブラック企業大賞を受賞するくらいに劣悪な労働環境で有名な企業でしたから、てっきり改善に勤しんでいると思っていましたが、全く変わってなかったんですね。 そもそも、注文、調理、清算、洗浄、掃除を何時間も1人でやれって頭おかしいですよ。物販だけのお店とはわけが違うんですから。「ワンオペ廃止します」って、いやもっと前にやれよっていう。 ただ、こういう事故があると、必ず「人件費を抑えて低価格にこだわる日本の外食産業に問題がある」みたいなもっともらしい論調が出ますが、それは明らかに間違いです。 低価格・高価格というのは、あくまでビジネスモデルであって、本来労働環境とは別の問題です。収益があげられないから労働環境が悪くなっているんだとしたら、それはその企業の経営者の能力が低いだけです。しかも、すき家は収益を充分に上げていますから、2人体制にすることは可能なはずですし、それだけで赤字になるようなら適正価格で売れる工夫をすべきです。 つまり、人件費を必要以上にケチって本来の実力以上に収益を上げようとしているぶん、よりタチが悪いといえます。 仮にも、日本を代表する外食チェーンなんですから、今度こそ労働環境の改善に本気で取り組んでもらいたいですね。
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【学び】星野佳路は、任せることで「次」を育てる
NewsPicks編集部
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
私は、先代から社長を交代してまだ2年弱の「バトンを受け取った側」ですが、いつかは「バトンを渡す側」になるので、興味深く読ませていただきました。 後継者は、当たり前の話ですが、先代よりも30歳くらい若いわけなので、当然人生経験も少なく、まして経営の経験もありません。ですから、先代と比較される度に、後継者からすれば「今の時点で先代に劣るのは当たり前でしょ」と言いたくなります。星野さんは「デューデリダン」のインタビューで「後継者はボンクラなのではなく、ボンクラに見られてしまう」と言われていましたが、まさにこれこそが先代との軋轢を生む最たる理由なのではないかと思いました。 先代が後継者に求めるべきは、「能力」と「やる気」でいいと思います。当然、会社に入っていきなり社長を任せるわけありませんから、ある程度の時間をかけて仕事に対するパフォーマンスや姿勢は測れるはずです。ハードルの高い仕事を与えてみるのもいいでしょう。社長になる前のテストをするわけです。そして、本当に「こいつなら大丈夫だ」と思って社長を譲るはずです。 後継者が「これから会社を守っていく覚悟」を持つのはもちろんですが、先代も「関わらない覚悟」を決める必要があります。ファミリービジネスであれ、後継者が決まったということは、少なからず、当人はその覚悟を持っているわけですから、その後の成長を応援するのが色んな意味での「親心」だと思います。それを「俺と考えが違う」という理由で口を出すのは、後継者にも失礼だし、何ならステークホルダー全員に失礼ですね。何より大人げない。もっと言えば、後継者が会社潰したなら、それは、その後継者を選んだ先代の責任です。 社長を交代した瞬間、新しい考えを持った新しい経営者が誕生し、新しい舵取りを担うのです。そして、その後の責任は当人が負う。これ以上も以下もないのです。後継者は先代のコピーじゃありません。これを分からない経営者があまりに多すぎるんだと思います。
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米アイス販売中止で警告 イスラエル首相「厳しい報い受ける」:時事ドットコム
時事ドットコム
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
このニュースを見たとき、国際的な情勢云々の前に、「アイスクリーム販売中止に首相が怒る」っていう内容がパワーワード過ぎて思わず笑ってしまいました。ただ、きっかけになった事情は、国が国を占領するという、とても笑えるものではない、現代では間違いなく国際的に非難を浴びる話です。 今回感じたことは、昨今SDGsの浸透により、企業経営には「パーパス」が重要という価値観が出てきています。つまり、とにかくモノを作って売りまくるのではなく、そもそも会社は何のために存在しているのか、誰のために存在しているのか、社会にどのような価値を提供できるのか、という根源的な問いを求められるようになっています。 恐らく、10年ほど前なら、国際的な事情があっても、それはそれ、これはこれ、で商品供給を止めることはなかったでしょう。売上を追い求めるのもそうですが、逆に「政治」と「商売」は分別することのほうが正義という考え方もあったと思います。しかし、時代が変わって、会社の存在意義を問い直すという流れになってきたことから、政治的事情も「商売」の一部として考えるべきという価値観が出てきたのではないかと思います。そういう意味では、今回のケースは、単に販売を中止した、というだけの話ではなく、21世紀の新しい資本主義のあり方が示された、とても大きな出来事なのかも知れません。 、、と言いつつも、やっぱり「アイスクリームでそんな怒らなくてもいいじゃん」って思いました 笑
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大企業1000社、減資で中小に衣替え
産経ニュース
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
他の方もおっしゃっているように、資本金で「中小企業」「大企業」を分けるのは時代錯誤な気がしますね。 資本金が大きくても中身的に中小企業って会社はあるし、その逆もまた然りです。少なくとも感覚的な区分けは売上高とか従業員数とか知名度に依るところがほとんどですね。 そもそも、SDGsが叫ばれ始め、環境破壊して規模を追い求めることに疑問を呈するようになった昨今、大企業化の意味が薄れてきているような気がします。上場すること自体にあまりメリットを感じない若い経営者も増えてきていますし。個人的には、今後は、むしろ、中堅規模で強固なブランドを有しているほうがカッコいいとすら思いますね。要するに、アイスで言えば、ハーゲンダッツ(数百億円)の立ち位置のほうがカッコいいと思います。また、そのぐらいの規模の方がインナーブランディングもしやすいと思います。 話が逸れましたが、上記の企業は減資することの税制上のメリットがあるから減資しているに過ぎず、他人がとやかく言うことではないですよね。「プライドはないのか」とか余計なお世話ですしね。潰れたらプライドも何もあったもんじゃありませんから。
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「工場の生産性向上」と一言でいっても、幾つものアプローチがある
MONOist
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
弊社にも「生産管理部」という生産計画立案、及び、生産性改善を担う部署がありますが、最終的に生産性を改善する最も難儀かつ最もシンプルな課題は、現場の意識をそっちに向かわせることです。正直、現場の意識さえ変われば生産性って勝手に良くなります(笑) 現在、現場をチーム分けして生産性改善プロジェクトを進めていますが、プロジェクトの意義を理解したチームリーダーはサクサクと課題を片付け、自ら課題を提案して取り組むまでに至っていますが、「めんどくさいなぁ」って意識のチームリーダーは、当然のことながら、改善に向けた現状把握の為の数値記録すらマトモに出来ていません。 では、なぜ現場の意識はそっちに向かないのか。答えは簡単で、人数が多いほうが現場はラクだからです。そして、長年同じことを続けていると、ムダがムダと感じなくなる人間の惰性の性質があるからです。現場が悪いのではなく、人間とはそういうものと割り切ることですね。 長年に亘って硬直化した現場のテコ入れをする際は、必ず外部のコンサルタントを入れることをお勧めします。コンサルが解決してくれるという意味ではなく、内部の人間同士では感情論になってマトモな議論になりませんので、お目付け役として機能します。 また、どうしてもチームリーダーが意義を理解しない場合は人を変える必要もあります。どんなに説明しても分からない人間はやっぱり分からないので。。
注目のコーヒーサブスク「PostCoffee」が行う、ユーザーを引きつけ、解約を防ぐ取り組みとは?
Marketing Native(マーケティング ネイティブ)
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
車サブスク「KINTO」、食事サブスク「nosh」、おやつサブスク「snaq.me」といった具合に、サブスクは色んなジャンルで増えてきていますね。特に、コロナ禍という世界的大変異により、巣ごもり消費とネットの親和性がより際立ったこともあり、今後サブスクトレンドはさらに広がっていくでしょうね。ただし、一人ひとりが持っているお金の総量は変わらないので、あっちの需要が増えれば、こっちの需要が減る、というように、オンラインとオフライン同士のせめぎ合いは勿論、オンライン同士のせめぎ合いも始まるでしょう。 コーヒーは、お菓子と同様、嗜好品です。嗜好品は「好んで嗜む」と書くように、ただ「飲む」「食べる」ではなく、「どんなときに」「誰と」が需要です。「残業の合間の一息に」「皆と談笑しながら」「ぼーっとテレビを見ながら」「好きなことをやりながら」など、様々なシーンに嗜好品は彩をもたらします。だからこそ、PostCoffeeのように、「最高のコーヒーを売る」だけではなく、「とっておきのひとときを最高のコーヒーとともに」という訴求がとても重要なのだと思います。そういう意味では、Instagramなどのビジュアル訴求に特化したSNSは最高の宣伝材料となります。 また、コメダ珈琲やスタバはコロナ禍にあっても相変わらず混んでいます。オフライン、つまり、実店舗の価値というのは、コーヒーを楽しむ「場」そのものです。内装の素材から感じる世界観、仲のいい店員さんとの他愛もない会話など、実店舗だからこそ出せる味わいがあります。ネット技術がどれだけ発展しようとも、最終的には「人間の温もり」や「素材の手触り感」をどれだけ感じられるかが決め手になると思います。
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100年近くレシピの変わらない「崎陽軒のシウマイ」が今も売れ続ける理由
ITmedia ビジネスオンライン
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
私もよく「なぜ味を変えないのですか?」と聞かれます。その時、私は「なぜ変えた方がいいんですか?」と聞き返します。 ロングセラー商品で割と勘違いされることですが、味を変えたから続いているのではなく、変えないから続いているんです。 続くにはリピーターが必要です。リピーターは「最初の味覚」に魅力を覚えたからリピートするわけです。だから、途中で味を変えてたら、リピートされないから続きません。割と単純な理屈です。 ただ、何もしなくていいというわけではありません。 人間の嗜好はコロコロ変わります。長く続いていても売れなくなる時があります。それは飽きられた時です。食品メーカーにとって最も怖いのは、この「飽き」という人間の性格です。これを防ぐためにCMやったり味変えしたりして繋ぎとめようと努力します。それでもダメだったら、場合によっては味を変える必要もあるかも知れません。 半世紀を超えるようなロングセラー商品は、ただ「美味しい」というだけでなく、「懐かしい」とか「お祖母ちゃんがよく食べてた」という世代を跨いだ魅力も持っています。そうなると、味を変えるとか変えないの話ではなく、「変わらない味を守る」という責任が出てきます。 いつの時代もファンがいてこその商売です。作る側の人間は、その責任をしっかり自覚しなくてはいけないと思います。
うまい棒、42年間10円を貫く理由 年7億本出荷の「国民食」
毎日新聞
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
私も菓子屋だから分かるのですが、小売単価10円って鬼のような安さです。 もちろん、安くできること自体は明白です。うまい棒って見た目のボリューム感の割に中身はほぼ空気みたいなもので、重量がほとんど無いに等しいので、原材料費はかかっても1~2円くらいのものでしょう。しかし、小売単価が10円ということは、メーカーから出荷される時点では恐らく5~6円程度です。やおきんはリスカに委託して作ってますから、あれこれ費用がかかって、、やおきんの粗利って多分1円も無いんじゃないでしょうか。 ただ、うまい棒の最もすごいところは、「10円であり続けている」ということです。通常、だいたいのお菓子は100円から200円前後で、売り場によって若干値段もまちまちだったりするので、値上げが比較的しやすいです(最近はもっぱら減量値上げが多いです)が、うまい棒のように「10円」という価格までイメージが定着してるお菓子って珍しく、1円でも上げたらすぐバレるし、なんなら減量してもすぐバレます(笑) だから簡単に値上げできないのは分かりますが、それよりやおきんが大事にしてるのは、買う人の気持ちだと思います。「10円」だから買える。「10円」だから我慢しなくて済む。この「10円」で一体どれだけの人が思い出を作ってきたことでしょうか。 たしかに値上げって致し方ない部分もありますが、ただ単に「原材料価格が上がったから小売単価も上げる」というのは、メーカーとしては非常に浅はかな行為だと思います。価格は、つまるところ「商品価値」でもあります。価値を認めて買ってくれる消費者の気持ちを考えれば、やおきんのように最大限価格も守る努力を欠かさないことが大事だと思います。 高けりゃいいってもんでもありません。オシャレならいいってもんでもありません。たった10円で誰かの笑顔を作ってくれるうまい棒こそお菓子の王様です。
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名古屋「きしめん」が絶滅の危機に瀕しているワケ
東洋経済オンライン
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
全国的に見れば「きしめん」は「うどん」ほどの市民権は得てませんからね。 多分、中京圏を一歩出たら「きしめん?なにそれ」って人、多いと思います。 大体廃れるモノって、厳しい言い方ですけど、ちゃんとアピールし続ける努力を怠ってるんですよね。「昔からあるからこれからも売れるだろう」って思っちゃう訳です。そんな保証はどこにもありません。その証拠に、終売する商品とか潰れるブランドって大概「ああ、そう言えばそんなのあったな」っていうものばかりです。つまり、「最近も名前聞いたな」ってものがないんです。 どんなに売れてるものでも、要所要所でカンフル剤打たないといつか死にます。一番よくやるのが「季節限定商品」です。売り上げ作る意味もありますが、ブランドそのものの話題性を無くさないためです。あとは、店舗や電波での宣伝活動です。そして、それでも売れないとしたら、もはやその商品が時代についていけないと割り切って、商品自体を変革する必要もあるかもしれません。 「きしめん」自体は名古屋を代表する食べ物で、私も好きですが、うどんなら「丸亀製麺」で間に合ってるのが実情です。でも、もっと宣伝を工夫すれば、まだまだファンは増やしていけると思います。きしめん事業の方々にはぜひ頑張ってもらいたいですね。
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2年で驚きの急成長 「Super Coffee」を生んだ若き3兄弟の野望
Forbes JAPAN
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
「アスリート向けヘルシーコーヒー」とは、なんともニッチなところに目を向けましたね。しかし、やはり起業の動機って創業者自身の体験に依るところが大きいですね。だからこそ、自分自身をターゲットにしてるので、他所との差別化ポイントが明確になるし、「こんな世の中になったらいいな」という夢も描けます。 この成功物語から得られる教訓は2つあります。 一つは、「コーヒー」という、超メジャーな、かつ、これ以上首の突っ込みようがなさそうなジャンルにおいても、切り口次第で幾らでもビジネスチャンスは見出せるということ、そして、もう一つは、世の中(投資家、消費者)に商品価値を認められれば、スタバのような巨人とも互角に戦えるということ、です。 もちろん、切り口がニッチな分、超メジャーのスタバを上回ることは難しいでしょうが、先にブランドを作ってしまえば、スタバも簡単に市場を奪うことは難しくなります。ただ、世界展開するなら、早く販路を築かないとスタバが資金力にモノを言わせて類似ブランドを先に広めてしまうかもしれません。そうなったら勝てなくなります。きっとスタバも黙って見過ごさないでしょうから。スピード勝負ですね。
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「バンカー経営者」東芝・車谷前社長の大失態が招いた新たな火種とその行方 - 大関暁夫
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松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
トヨタ自動車を見てて思いますが、巨大企業になればなるほど「信仰」が必要ですね。トヨタの場合の「信仰」の対象は、いうまでもなく「豊田一族」です。「信仰」があることによって、巨大組織でもまとまりが生まれ、末端の人間でも行動規範に沿った行動ができるようになります。逆に言えば、不正が起こったり、社内分裂が起きるのは、「信仰」がないからに他なりません。 基本的に、人間は群れる生き物です。そして、人数が増えると、群れの中にさらに群れが生まれます。これは、社会性動物としての本能なので、どうすることもできません。しかし、問題は、群れを統率する「ボス」がいなければ、増えすぎた群れは、いずれ群れ同士が争い始め、最終的に分裂します。 ここでいう「ボス」とは、「ただのボス」ではなく「信仰対象としてのボス」です。ユニクロ、ソフトバンク、日本電産のような、創業社長が君臨しているような会社は、間違いなく「社長=ボス」ですが、二代目となると話は変わります。そして、残念ながら、カリスマの後任は、大概カリスマではないので、二代目以降の社長が自分自身を信仰させるのは、はっきりいって不可能に近いです。 ただ、自分がカリスマになることはできなくても、トヨタのように「一族」や「歴史」が信仰対象になっていれば、その会社はブレなくなります。まして、東芝のようなサラリーマン巨大企業は、いっそう「信仰」がなければ分裂するのは目に見えています。ですから、現在の東芝に必要なのは、目先の株主利益のことに躍起になることではなく、原点に立ち戻ること、創業者の思いに立ち返ることなんだろうと思います。どういう思いで会社を興したのか、どのような歴史を辿ってきたのか、そこに必ず「信仰」となるものはあるはずだと思います。 なんだか宗教のような話になってしまいましたが、人間は基本的に弱い生き物なので、何かを信じることで安心し、正しい行動ができるようになるものです。ですから、自粛をお願いする立場の医師会会長が100人パーティに出席するようなことは一番ダメなのです。
「エシカル消費」の輪広がる 損得よりも倫理性 食品からファッションまで
河北新報
松永 邦裕松永製菓株式会社 代表取締役社長
最終的には昔ながらの「下町の八百屋さん」のスタイルに戻っていくんでしょうね。 他愛もない世間話をしながら欲しい野菜を裸のまま選んで自分の持ってる袋に入れてもらう。そして、野菜が売り切れ、店主が「もう売り切れちゃったからまた明日買いに来てね!」と言えば、お客さんも「そうか、また買いに来るわ!」と投げ返す。食品ロスも出なければ包装ロスも出ない、売り手と買い手のコミュニケーションが絶え間なく続く、実に人間臭さのある日常です。進化の結果として昔のスタイルに戻る、というのは逆説的な感じもしますが、「いろいろ学んだ結果として昔のやり方を見直した」と考えれば、これも進化と呼んでいいのではないでしょうか。 元々、大量生産というのは、「価格を安くし、どんな人にも幅広く商品を提供する」という使命を持った立派なビジネスモデルで、これが人々の暮らしに大きく貢献し、経済発展に寄与したのは間違いありません。しかし、間違っていたのは、大量生産には「大量廃棄」という負の側面があるにも関わらず、これを単に「コスト」と位置付けて終わってしまい、地球環境への影響を無視してきたことです。そして、資本主義が生んだ「株主」という存在は、己の利潤しか考えなくなり、規模拡大に躍起になり、さらに「大量廃棄」が増え、さらに環境を破壊し、ここにきて地球が「お前ら、ええ加減にせえよ」と怒鳴り声を上げ、ようやく「いったん立ち止まろう」となっているのが現在の姿です。 個人的には、これまで豊かな暮らしに貢献してきた大量生産というビジネスモデルそのものを否定するのはちょっと違うんじゃないかなとも思いますが、これからは規模の拡大よりも、いかに「廃棄を最小限に抑えるか」が大事だと思います。良いか悪いかは別として、新型コロナによって人々は地域間の移動を物理的に制限されるようになりました。これにより、今後は地域ごとに独立した経済圏が確立されていく可能性があり、ある程度の規模で生産し、ある程度の規模で消費がされていくようになるかもしれません。そうすれば、人々の環境意識の向上もあり、自然と廃棄ロスも減っていくと思います。 「足るを知る」。これこそが全ての問題解決のカギになるのではないでしょうか。
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