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「50代より働かないZ世代」の光と闇 遅刻のお詫びは絵文字のLINE
須藤 伸悟ラボ教育センター
Z世代である私
Z世代と呼ばれるもっと前は、ゆとり世代と言われました。
ただ、98年産まれの私はちょうどゆとりの狭間の世代でもあります。そんな私たちは、「さとり世代」とも呼ばれました。
その「さとり」への自覚はあります。
知る情報がより増えた結果、上には上がいる事をまじまじと見せつけられ、あまり大きな夢を語らない方がかっこいいと「さとり」ました。
さまざまな時代背景がある中で、呼び名が変わっていきました。
学校のスタイルが変わったことで生まれた、ゆとり。
東日本大震災もあり、不況に陥ったことで生まれた、さとり。
SNS、スマートフォンの広がりから生まれた、Z世代。
呼び名が変われば扱いも変わる。
この方の記事そのものは、それぞれの世代の背景を汲んでいるのでしょうか?
世代ということばを盾に一括りにしてるのではないのでしょうか?
さとりという言葉には自覚はありますし、Z世代という、デジタルに強い世代だという事にも自覚はあります。
だからこそ、伸び代を活かしていくのが私たちであり、社会の礼儀という一つ大事なところは全世代に共通しているのではないでしょうか?
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須藤 伸悟ラボ教育センター
身内に障がいを持つ身として…
あのように、障がいを持った子たちが何かにチャレンジするという事自体は賛成。そこに有名人が関わることで、なんらか影響力や、広報力があるというところも良いと思っている。
さらにいうと、子どもたちが主体or自主的に挑戦しているならそこにも価値がある。
何故感動ポルノと呼ばれるのか
おそらく、まず、主体性や自主性が見られず「やらされている感」が見えてしまうこと。大人、番組側の勝手でやっているから、作られた感動という風になってしまってるのではないか
そして、放送のやり方。各チャレンジの様子が全て片手間のように見えてしまう。複数の団体が、様々なチャレンジをする。それを全て放送しようとするのが無理がある。
感動が目的なのか、障がいを抱えても何かに挑み続ける人間の強さを見せるのが目的なのか…
では、パラリンピックは何故行われ続けているのか。
そもそも、感動させようというのを全面に見せてる(ように感じてしまう)スタイルが問題なのでは…
NORMAL
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