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「断念」か「選択」か 胎児を減らす「減胎手術」の現場
Ozone Hirotaka
恥ずかしながら、初めて聞いた言葉でした…これはめちゃくちゃ難しい…
「選ぶ」「断念」という考え方、「母体・胎児のリスク回避」と考え方がある。生まれてからの多胎児育児の大変さも際立つ中で、行動を起こそうと考える家庭がいる事は理解できる。
生命倫理と現実の間で、この行動を起こしたからといってそれが正しいことかという自問自答は続くだろう。そのため、後の精神的・肉体的ケアが必要となる。ただ、現時点そこに公的な手助けは期待はできないのだが…私は積極奨励とはいかないが、否定する事はできない。
また、多胎児育児家庭への公的援助、産休・育休制度の拡充を並行して行い、多胎児育児への不安を少しでも減らせる施策は必要だろう。
妻の出産を機に、経営の視点で「母乳信仰」を考えてみた
Ozone Hirotaka
引用
赤ちゃんが産まれたというと、「可愛いでしょう」という声をたくさん聞くのですが、「可愛い」というより「怖い」という感情が先に立つ人も多い。
一人目の子の時は正にこう思った。障害があるという事もあるが、いつ泣くのか、いつ泣き止むのか、何もかも予測できない中に放り込まれる恐怖が先だった。
夜中のミルクはだいたい私があげていた。子の持病のせいで母乳オンリーにできなかったからだが、液体ミルクがあれば飛びついていたかもしれない。やっぱり粉ミルク作って、冷まして、飲ませて、ゲップさせて
、洗って、消毒して、寝かせてって行程は時間かかる。
親が楽をする事の何が悪いのか。わざわざ苦しい方法をとる事が子どもにメリットになるのか。楽をして、最良の身体・精神で子どもと接した方がよっぽどメリットが多いと思う。
10代の投票率は3分の1以下。主権者教育と政治報道を抜本的に見直さないと若者の投票率は上がらない(室橋祐貴)
Ozone Hirotaka
報道や教育が不十分であることだけではなく、「家庭の投票習慣」もこの年代の有権者には影響しているだろう。
総務省 2016年の参院選後の調査
http://www.soumu.go.jp/main_content/000457171.pdf
子どもの頃、親の投票について行った人は、そうではない人に比べて投票率が高くなる結果が出ているとのこと。
今の10代有権者の親年代は30代後半から40代が中心だろう。その層の投票率が40から50%となっており、親世代も結局半分程度しか投票に行っていない。
そして、過去の選挙でも今の3,40代親世代が20代だった選挙での投票率もかなり低い。親が子どもを投票に連れて行く家庭はかなり少なかっただろう。
18歳選挙権が始まってまだ数年。制度や学校での主権者教育の工夫はもっと必要だが、家庭での投票習慣をどの様につけるかも課題だろう。
ちなみに18歳未満も投票所に入れるし、勿論ベビーカーでも、車いすでも大丈夫。幼児が少し声を出したくらいでは全く問題ありません。
投票所自体は子連れで行く事に全く障害はないかと。あとは、大人が行動するかどうか。
名古屋教育虐待殺人事件「中学受験で父親が息子を刺すに至るまで」
Ozone Hirotaka
読みながら震えた。
教育を背景とした、明らかな虐待の垂直伝播。被告が父親から受けた虐待(当人たちはそう思っていない)がそのまま繋がっている。被告の父親も同じ様に包丁を持ち出していたとの証言はその証左であり、虐待という行為が人に与える影響と、その根深さを感じる。
また、勉強に限らず、「Aがダメだった場合に、Bを取り上げる。」というよく見かける行為に、どれだけの効果があるのだろうか。経験上、何か好きなことや、熱中していることがある子どもの方が、他の事にも良い影響が出ている印象なのだが…
親が教育に携わる事を否定する気は無い。それで良い影響が出る場合もある。しかし、それは親が自分のしている事をしっかりと見極められている場合で、これが相当難しい。今回の様に他の家族が強い言葉等で阻害されている場合は危険だろう。
保育士も園も足りない 「無償化のお金あるなら…」
Ozone Hirotaka
やはり無償化の前に保育士さんの待遇改善、特に地域差の解消かなと。駅一つで数万円違う地域もあり、新卒や単身者は少し通勤に時間がかかっても給与待遇の良い自治体に流出していると聞く。
また、初年度は国が予算を全額負担だが、次年度は自治体負担となる。現状でも収入に応じた保育料になっている上、既に認可外保育料に対して手当てをしている自治体もあるため、保育料に対する措置は既に取られている。保育政策に関しては自治体ごとに問題が違うので、「自治体に負担をさせる制度」を強いるならば、自治体に使い道を任せるべきではないかと。
現役子育て世代の個人的な意見としては、保育料が多少上がろうとも、健全な賃金等の処遇を与えられた保育士の方が「たくさん」いて、目の届く保育をして頂けた方が嬉しい。
なぜ「育児は家族で」発想が虐待を産むか
Ozone Hirotaka
「育児は家族で」は自己責任論に似たものを感じる。子どもを産んだのは親なのだから、育てる責任があるだろうと。確かにそうだろうが、それが強迫観念となって逃げることも弱音を吐く事もできず、病んでしまったり、矛先が子どもに向かう事が起きている。
「他者に頼るのが当たり前」な社会こそが、「育児は家族」をしやすい環境なのだと思う。子育て中も社会に属しているという安心感を与えることや、無理だと思った時、又は周囲からそう見える時に、子どもを社会が受け入れる(里親制度など)環境の整備などがもっと整って欲しい。
その為、助ける職種の方々の待遇改善は必須事項。善意や奉仕精神に頼った制度設計では無理がくる。現に保育士さんや児相の人手不足などがそうなのではないか。
「育児は家族と社会で。」が将来の家族と社会の為になるはず。
NORMAL
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