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アリババグループ、事業6分割へ それぞれIPO検討も
下山 進ノンフィクション作家
2016年にケンブリッジ・アナリティカ事件が起こってから、フェイスブックやグーグル、アマゾンなどのプラットフォーマーに対して西側の反トラスト局は独占禁止法の解釈を変えてこれを規制しようとしています。日本もその流れの中で、昨年11月にニュース配信分野で、反競争的な行為が行われていないか、公正取引委員会がヤフーに調査に入っています。
しかし、中国はまったく違う強権的な方法で、あっという間に、アリババを分割してしまいました。
アリババ側が自主的に分割したように見えますが、記事にもあるように、アリババに対する中国政府の様々なプレッシャーを避けるために、とったととるのが正解でしょう。
今後どうなっていくか注視。
遺伝アルツハイマー病の薬物治療、年内にも新潟大・東大が治験…原因物質を除去
下山 進ノンフィクション作家
もともと、アルツハイマー病の解明は、遺伝性のアルツハイマー病の家系の調査から始まっています。
90年代に、この50パーセントの確率でうけつがれ、遺伝子上の突然変異が受け継がれれば、100パーセント若年で発症する「家族性アルツハイマー病」の突然変異がどこにあるのかがわかって来ました。
その突然変異がアミロイドベータの産出を増やすものだったために、アミロイドベータを標的とする創薬が、2000年代に始まったのです。
エーザイが開発した「レカネマブ」も、スウェーデンの北極圏近くの街に代々続いている遺伝性アルツハイマー病の家系の研究がヒントとなって生まれたものでした。
新潟大学と東京大学でこの遺伝性のアルツハイマー病の突然変異をもっている人たちに対しての治験が始まるわけですが、これは、アメリカのワシントン大学を本部とするDIAN-TUという大きなプログラムのなかの一環です。
もともと、遺伝性のアルツハイマー病は全アルツハイマー病の1パーセント以下の人口しかいないため、世界中で、このネットワークをつくることで、被験者の数を増やし、統計学的に有意な様々な成果を観察研究でだしてきたのがDIANで、実際に治験を含むものがDIAN-TU。
そのDIAN-TUが始めたのが、「レカネマブ」を最初に投与し、プラセボ群と実薬群を1対2にわけて、エーザイの開発したタウ抗体薬をさらに投与するという治験です。

【専門家に聞く】認知症の新薬を知る5つのポイント
下山 進ノンフィクション作家
開発が進んだことの最大の背景には、他の治験の失敗から学び、治験の設計を変えてきたことにあると思います。
「レカネマブ」の治験で特筆すべきは、フェーズ2bで、ベイズ統計学をとりいれた治験設計をして、この段階で、10ミリグラム隔週投与が、もっとも効果がたかく副作用が少ないということをしぼりこんだことにあります。
そのおかげで、フェーズ3の1700人規模の治験で、偽薬群と、10ミリグラム隔週投与の群を1対1の比率でわけ、18カ月後の認知機能を比較するというガチンコの勝負ができました。
結局薬としては保険収載されなかった「アデュカヌマブ」のフェーズ3はいくつもの投与量の群にわかれて、さらに遺伝子の型によって細分化されていました。そのため、ひとつひとつの群の数が少なく、説得力にかけたのです。
それ以前はそもそも、ARIAを恐れて、投与量が1ミリグラムといった「レカネマブ」の10分の1の量しか投与できなかったりしたわけです。
昨年治験の結果が出た直後に週刊現代にそのことを書いてありますので、深く知りたい読者はどうぞ。
https://gendai.media/articles/-/100509
岩坪先生は、2000年代の始めにアミロイドベータの中でも凝集性の高いアミロイドベータ42を抗体によって分離するなどの仕事をして、アミロイドを標的とした創薬を始めたデール・シェンクという天才科学者から「若手で有望」と評された(2002年、下山とのインタビューでデール・シェンクが証言)人で、今も最前線にいる研究者です。。
【下山進=2050年のメディア第31回】変わらないために変わる。大分合同新聞の挑戦〈週刊朝日〉
下山 進ノンフィクション作家
県内の発生ニュースをすべてカバーして紙面をうめていくという従来のやりかたが通用しなくなって、新しいメディアで流れを変えようとする地方紙の話です。
九州新幹線は西側をとおって鹿児島までいっているので、大分と宮崎は新幹線がとおっていない。だから、いいと大分に滞在して思いました。宿泊したjalホテルの最上階からのレストランからは別府湾がみわたせて、対岸には愛媛がはっきりとみえるんですね。フェリーで45分。実は愛媛のほうが歴史的にも経済的にもつながりが深かったりする、という話を大分合同新聞の人にききながら、創意工夫で特徴ある地方紙として生き残ってほしい、と切に願った次第です。
元毎日新聞記者の西山太吉さん死去 91歳 沖縄返還密約追及
下山 進ノンフィクション作家
杉山隆夫さんが、『メディアの興亡』(1986年 文藝春秋)で、この密約報道について詳しく書いている。杉山さんは、そもそも紙面で勝負をせず、記者がしりえた情報を、政治家である横路氏に渡して、国会で追及させた、その点が間違っているという意見だったと思う。
検察が、この情報を西山氏が事務官と「情を通じ」入手したと冒頭陳述で述べ、それまで各紙が連携していた「知る権利」のキャンペーンは崩壊、毎日新聞の部数の凋落はこの事件を機に始まった。
しかし、密約の存在は後に実証される。
後の裁判で、政治部で他社ながら肝胆相照らす仲だった渡邉恒雄氏が、西山さん側の証人として出廷するなどした。
西山さんに取材した山崎豊子さんの『運命の人』も必読。

【図解・アルツハイマー】「不治の病」を治す薬はできるのか
下山 進ノンフィクション作家
「レカネマブ」はもともと北極圏近くのスウェーデンの街、ウメオにいた遺伝性のアルツハイマー病の一族の研究がきっかけになって、生まれた薬です。
それについては昨年9月末に週刊現代に、90年代に現地に調査に入ったラース・ランフェルト博士のインタビューを交えながら書いています。
https://gendai.media/articles/-/100510
NewsPicksのこの記事は、参考文献に『アルツハイマー征服』(KADOKAWA)をあげていますが、この単行本にはNewsPicksが参考にしたであろう上記の記事は、収録されていません。
上記記事を読めば、開発の背景がより深くわかるはずです。
またNewsPicks記事ではランフェルト博士が「若くしてアルツハイマー病を発症する家族性アルツハイマー病の研究をする」とありますが、ランフェルト博士がアルツハイマー病の分野にうつったのは、1992年、43歳のときのことです。もともとは他の遺伝病(acute intermittent porphyria)を医師として研究をしていました。
1992年は、家族性(遺伝性)のアルハイマー病の突然変異がどこにあるか、世界中の研究室がデットヒートで探し回っていたときで、ランフェルト博士は、まずスウェーデン変異と呼ばれる突然変異を発見し、北極圏変異と呼ばれるウメオの街の一族の変異を発見したのは、1998年のことでした。この一族の変異からできる老人斑は、はっきりしたものではなく、ぼやっとしたものでした。そのことから、アミロイドベータが完全に凝集する前の「プロトフィルビル」の状態のときの抗体をつくることを思いついたのでした。
それが「レカネマブ」になります。
エーザイがランフェルト博士にコンタクトしたのではなく、ランフェルト博士のほうが、「アリセプト」の成功をみて、エーザイにコンタクトしたのでした。なので、この時点で「エーザイがプロトフィルビルに注目していた」ということはなく、エーザイが権利の取得を決断するまでは時間がかります。社内でもこの「レカネマブ」(BAN2401)は、長く二番手のプロジェクトでした。エーザイが、プロトフィルビルの抗体の重要性に気がつくのは、フェーズ1、フェーズ2の好成績をへてのことです。

【開発トップ】エーザイの研究者が失敗から学んだこと
下山 進ノンフィクション作家
「アリセプト」の特許が切れてから、3000億円近く売上の下がったエーザイを救ったのは、がんの分野ででた新薬「レンビマ」でした。この「レンビマ」の開発にかかわったオンコロジー部門のトップ、大和隆志さんは愉快な人です。
ということで、今回の大和さんのインタビュー記事は、アルツハイマー病や「レカネマブ」にはあまり関係がないのですが、大和さんの人柄は知ることができるかな。
大和さんは、祖母を抗がん剤の副作用で亡くしており、その仇をとるために、副作用の少ない「血管新生阻害剤」レンビマの臨床開発にとりくむのですが、その30年かけたプロジェクトが成就するまでの軌跡は以前スローニュースで「がん新薬誕生」というノンフィシクョンで書いています。
創薬の面白さを知りたい読者のかたはどうぞ。アルツハイマー病以外のエーザイのもうひとつの歴史でもあります。
https://note.com/slownewsjp/m/m975439123ee3
【下山進=2050年のメディア第29回】たったひとつの引用の間違いで著書を台無しに〈週刊朝日〉
下山 進ノンフィクション作家
「すべての悪しきものは政府からくる」っていかにも、フリードマンが書きそうなことじゃないですか。
日本では『帳簿の世界史』が売れたジェイコブ・ソールが昨年末、米国から訪ねてきてくれました。
8年かけた新著『Market The History of an idea 』という新著を届けてくれたのです。
この本、ようは市場原理主義の系譜を共和制ローマの政治家キケロまで遡って、リーマンショックまでを綴る非常に面白い本なのですが、米国での売れ行きは散々。
その理由は、ニューヨーク・タイムズの書評がジェイクの著書を酷評したところにありました。
冒頭のフリードマンの言葉をジェイクの著書では引用として紹介しているのですが、参考文献にあげられている本の当該ページをみてもそのセリフは出てこない。
どうしてこんなミスが起こったのか。
NYT購読者22年197万人増 デジタル版がけん引
下山 進ノンフィクション作家
前のCEOが宣言したデジタル購読者1000万人まであと約50万人ということになります。
ワシントン・ポストがマーティン・バロンという編集局長が退任してから、契約者数が減少しているのをみると、やっぱり編集者の役割は大きい。
2014年の「イノベーション・レポート」がリークされて、紙中心だった女性の編集局長が解任されて以来、ずっと指揮をとっているのがディーン・バケットという編集者です。
デジタルの有料版に読者をとどめおき、どう増やしていくのか、どんな記事をだしていけばいいのか、どのようにネット上で拡散させて、ペイウォールを越えさせるのか、よくわかっているのでしょう。
先日公開された映画『SHE SAID その名を暴け』でも注目すべきは、実は二人の記者ではなく、ディーン・バケットと女性の編集局次長この二人の編集者なんですね。
日本の新聞社に与える示唆は大きい。
【下山進=2050年のメディア第28回】若者と新聞社をつなぐ。採用活動から生まれた新潟日報「鮭プロジェクト」〈週刊朝日〉
下山 進ノンフィクション作家
やっぱ企業は、経営者だよなーと思うのが、新潟日報の元気のよさ。
代表取締役会長の小田敏三 さんは、若いころ、尊敬する先輩についていったことで、実力者にうとまれ、整理部に飛ばされていた。
社の実力者の宴席に呼ばれたときのこと。
「今日は整理部は勉強になっていますと言え」と含められていたにもかかわらず、その実力者に「こういう先輩が早くいなくなればいいと思うことはありますよ」とつい言ってしまったという武勇伝の持ち主。
横山秀夫の小説だったらば、その時点で、通信部行がきまり、定年までを通信部で過ごす、となったのだろうが、その後社長になった。
そういう人だから、下が意見を言うことを多とする。なので、活気が生まれるのだろう。
忖度は、組織でいちばんあってはならないことなんだよね。

NORMAL
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