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遺伝アルツハイマー病の薬物治療、年内にも新潟大・東大が治験…原因物質を除去
読売新聞
下山 進ノンフィクション作家
もともと、アルツハイマー病の解明は、遺伝性のアルツハイマー病の家系の調査から始まっています。 90年代に、この50パーセントの確率でうけつがれ、遺伝子上の突然変異が受け継がれれば、100パーセント若年で発症する「家族性アルツハイマー病」の突然変異がどこにあるのかがわかって来ました。 その突然変異がアミロイドベータの産出を増やすものだったために、アミロイドベータを標的とする創薬が、2000年代に始まったのです。 エーザイが開発した「レカネマブ」も、スウェーデンの北極圏近くの街に代々続いている遺伝性アルツハイマー病の家系の研究がヒントとなって生まれたものでした。 新潟大学と東京大学でこの遺伝性のアルツハイマー病の突然変異をもっている人たちに対しての治験が始まるわけですが、これは、アメリカのワシントン大学を本部とするDIAN-TUという大きなプログラムのなかの一環です。 もともと、遺伝性のアルツハイマー病は全アルツハイマー病の1パーセント以下の人口しかいないため、世界中で、このネットワークをつくることで、被験者の数を増やし、統計学的に有意な様々な成果を観察研究でだしてきたのがDIANで、実際に治験を含むものがDIAN-TU。 そのDIAN-TUが始めたのが、「レカネマブ」を最初に投与し、プラセボ群と実薬群を1対2にわけて、エーザイの開発したタウ抗体薬をさらに投与するという治験です。
【専門家に聞く】認知症の新薬を知る5つのポイント
NewsPicks編集部
下山 進ノンフィクション作家
開発が進んだことの最大の背景には、他の治験の失敗から学び、治験の設計を変えてきたことにあると思います。 「レカネマブ」の治験で特筆すべきは、フェーズ2bで、ベイズ統計学をとりいれた治験設計をして、この段階で、10ミリグラム隔週投与が、もっとも効果がたかく副作用が少ないということをしぼりこんだことにあります。 そのおかげで、フェーズ3の1700人規模の治験で、偽薬群と、10ミリグラム隔週投与の群を1対1の比率でわけ、18カ月後の認知機能を比較するというガチンコの勝負ができました。 結局薬としては保険収載されなかった「アデュカヌマブ」のフェーズ3はいくつもの投与量の群にわかれて、さらに遺伝子の型によって細分化されていました。そのため、ひとつひとつの群の数が少なく、説得力にかけたのです。 それ以前はそもそも、ARIAを恐れて、投与量が1ミリグラムといった「レカネマブ」の10分の1の量しか投与できなかったりしたわけです。 昨年治験の結果が出た直後に週刊現代にそのことを書いてありますので、深く知りたい読者はどうぞ。 https://gendai.media/articles/-/100509 岩坪先生は、2000年代の始めにアミロイドベータの中でも凝集性の高いアミロイドベータ42を抗体によって分離するなどの仕事をして、アミロイドを標的とした創薬を始めたデール・シェンクという天才科学者から「若手で有望」と評された(2002年、下山とのインタビューでデール・シェンクが証言)人で、今も最前線にいる研究者です。。
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【図解・アルツハイマー】「不治の病」を治す薬はできるのか
NewsPicks編集部
下山 進ノンフィクション作家
「レカネマブ」はもともと北極圏近くのスウェーデンの街、ウメオにいた遺伝性のアルツハイマー病の一族の研究がきっかけになって、生まれた薬です。 それについては昨年9月末に週刊現代に、90年代に現地に調査に入ったラース・ランフェルト博士のインタビューを交えながら書いています。 https://gendai.media/articles/-/100510 NewsPicksのこの記事は、参考文献に『アルツハイマー征服』(KADOKAWA)をあげていますが、この単行本にはNewsPicksが参考にしたであろう上記の記事は、収録されていません。 上記記事を読めば、開発の背景がより深くわかるはずです。 またNewsPicks記事ではランフェルト博士が「若くしてアルツハイマー病を発症する家族性アルツハイマー病の研究をする」とありますが、ランフェルト博士がアルツハイマー病の分野にうつったのは、1992年、43歳のときのことです。もともとは他の遺伝病(acute intermittent porphyria)を医師として研究をしていました。 1992年は、家族性(遺伝性)のアルハイマー病の突然変異がどこにあるか、世界中の研究室がデットヒートで探し回っていたときで、ランフェルト博士は、まずスウェーデン変異と呼ばれる突然変異を発見し、北極圏変異と呼ばれるウメオの街の一族の変異を発見したのは、1998年のことでした。この一族の変異からできる老人斑は、はっきりしたものではなく、ぼやっとしたものでした。そのことから、アミロイドベータが完全に凝集する前の「プロトフィルビル」の状態のときの抗体をつくることを思いついたのでした。 それが「レカネマブ」になります。 エーザイがランフェルト博士にコンタクトしたのではなく、ランフェルト博士のほうが、「アリセプト」の成功をみて、エーザイにコンタクトしたのでした。なので、この時点で「エーザイがプロトフィルビルに注目していた」ということはなく、エーザイが権利の取得を決断するまでは時間がかります。社内でもこの「レカネマブ」(BAN2401)は、長く二番手のプロジェクトでした。エーザイが、プロトフィルビルの抗体の重要性に気がつくのは、フェーズ1、フェーズ2の好成績をへてのことです。
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