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「テレビなしでも受信料」が実現も、ネットニュースは大幅縮小NHKと新聞の泥仕合に根本的に欠けていること
下山 進ノンフィクション作家
この記事を書いた鈴木 洋仁先生や元博報堂の境治氏のいうことをつきつめていくと、NHKは分割民営化しろ、ということになっていくと思います。
問題の根本は、受信料という支払い拒否が法律的に認められない制度で運営されている年間予算6400億円の組織が無料でCMなしにさまざまなテキスト情報を出すことで、そもそも民間企業は競争できますか? という話なのです。日本最大の新聞社読売新聞でも読売巨人軍など関連6社の売り上げをすべて足しても約2700億円です。
過去6年で1500万部の部数を失っている新聞は、とうていのことながらたちうちできないでしょう。
人口が10 年後には今の8割になる秋田、高知、青森などの県では、そもそも新聞が商業的に成立しなくなってくるのはあまりに明白です。
これを現状のまま競争させろ、という両者の論は一見、利用者に利するように見えますが、最終的に利用者は、新聞という選択肢を失うことになります。
それが嫌で公平な競争をということになれば、受信料自体をなくして、分割民営化という論がでてくるでしょう。しかし、それでは今NHKがやっているような報道や番組はつくられなくなります。
新聞の側が日本経済新聞や十勝毎日新聞のような例外をのぞいてうまくいっていないのは、新聞の側にもたとえば日刊新聞法によってそもそも買収ができないなどの規制によって守られていることで、進取の気性が失われてしまっているところがあります。
NHKのネットホーク報道部が2017年からくりだしたさまざまなサイトには工夫があります。たとえば地方紙に記事を卸している共同通信がそれにすこしでも見習うような配信をするようになればとも思います。
いずれにせよ、鈴木先生や境氏の論は物事の一面しか見ていないように思います。これはもっと背景のある問題です。
https://dot.asahi.com/articles/-/213290?page=1
映画『オッペンハイマー』公式
下山 進ノンフィクション作家
『オッペンハイマー』を試写会で見ました。
日本での公開が、原爆の犠牲者を慮って遅れたといわれるクリストファー・ノーランの映画です。
ノーランが原爆の悲劇を描かなかったという批判は的外れのように思います。この映画のテーマは別のところにあるからです。
ひとつは、アメリカ共産党を代表とする米左翼運動と知識人のかかわりです。オッペンハイマー自身は、共産党員ではありませんでしたが、共産党員のジーン・タトロックを愛人にして、その肉体に溺れます。若気のいたりというわけではなく、オッペンハイマーは左翼運動にシンパシーを感じ続けました。それゆえに、容共的となり、クラウス・フックスというソ連のスパイであった英国の物理学者をマンハッタンプロジェクトに参加させてしまいます。
マッカーシー運動のさなかに、オッペンハイマーは過去のそうした経歴を問われて追い詰められますが、リベラル派のケネディが力をつけていく過程でなんとか、窮地を脱します。
逆に、オペンハイマーを追い込んだ銀行家出身の原子力委員会委員長のルイス・ストローズは商務長官への就任を、上院の公聴会で、オッペンハイマーを不当に追及したとされ、拒否されてしまう。
そうした政治と科学が大きなテーマでした。
そして科学によって生まれる新技術をプロメテウスの火になぞらえ、人類を滅ぼしかねない、その火を発明してしまった科学者たちの苦悩と功名心がいまひとつのテーマです。
その限りにおいては、実は、広島と長崎の悲劇は暗示的に描かれているともいえます。
ニールス・ボーア、エドワード・テラー、アルベルト・アインシュタイン、ヴェルナー・ハイゼンベルクら当時の核開発になんらかかかった天才たちが登場します。
NHKネット、放送と内容・負担「同一」に 放送法改正案 - 日本経済新聞
下山 進ノンフィクション作家
この改正案がとおれば、「理解増進情報」として出していた「政治マガジン」や「NHK事件記者note」などはなくなることになります。
地方紙など新聞とのメディアの多様性をはかるためという理由で、受信料にささえられる巨大な公的メディアNHKは手かせ足かせをすくなくともインターネットに関してはかせられることになります。
2017年以来のNHKのネットワーク報道部の創意工夫は目をみはるものがありました。
こんどは新聞社の側、とくに地方紙の電子版の有料ゾーンに記事を配信している共同通信の、姿勢が問われることになります。
地方紙の電子優良版が魅力的なものになるために、全国に支局を利用できる共同通信の責任は重いと思います。
日経の「データで見る地域再生」のまねでもいいから、地方の読者がお金を払ってでも読みたいと思うものを、配信してほしいと思います。
問題の背景については以前AERAに書きました。
https://dot.asahi.com/articles/-/213290?page=1
共和党候補選び、トランプ氏が5連勝 ヘイリー氏の地元も制す
下山 進ノンフィクション作家
確かに、トランプの大勝ですが、ここで注目すべきは、地元であったサウスカロライナ州でヘイリー候補は負けたにもかかわらず、スーパーテューズデイまでは撤退しないと言明したこと。
これはヘイリー候補のPACへの献金が途切れずに続いているからです。つまり、一定数の大口献金者が、共和党予備選で選択肢を残すことにこだわっていることにあります。
ウクライナを捨て、ロシアとうまくやり、多大な関税をかして中国をブロックする、これは伝統的な共和党の政策とはあいいれないものです。
大衆的な人気が圧倒的なために、トランプイズムが共和党をのっとっており、それに対する伝統的な共和党の勢力(特にビジネス界とかさなる)が抗っていることを示しています。
【下山進=2050年のメディア第19回】「セクシー田中さん」原作者の著作権は何よりも強い
下山 進ノンフィクション作家
クドカンが書いている『不適切にもほどがある』は阿部サダヲ演ずる昭和の体育教師、小川先生、が現代にタイムスリップして、現代のさまざまなコンプライアンスを考えるドラマです。
そのなかで、若者に迎合するあまりに本質を見失っている偽コンプラなどが浮き彫りになるんですが、芦原さん逝去にともなう小学館の編集部の声明をほめそやすむきに私は大きな違和感を感じました。
小川先生がいたらば「ばかやろう、リーガルチェックもうけて、会社のチェックもうけて、日テレとすりあわせして、先生寂しいですはないだろう」と叱ったと思います。
書きにくい話ですが、自分もドラマ制作に版元としてかかわった経験がある身としてはきちんと書いておこうと思いました。
小学館、芦原妃名子さん死去で新コメント 原作者の要望「誠実、忠実に伝え、制作された」 第一コミック局のコメント全文
下山 進ノンフィクション作家
唖然とした。
小学館の編集部の声明。
「弊社からドラマ制作サイドに意向をお伝えし、原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、ご意向が反映された内容で放送されたものがドラマ版『セクシー田中さん』です」
なぜ、芦原さんが、納得していたと、意向が反映されていたと、第三者の編集部が言い切れるのか?
日本テレビの声明にまったく呼応するもので、ドラマ制作に落ち度はなかった、編集部に落ち度はなかったと言い切っている。
だったらば、なぜ芦原さんは、9話、10話を自分で書いたのか?そして自死を選んだのか?
辻村深月さんが小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』のドラマ化の際に、やはり脚本と進行に危惧をいだいていた。その著者の気持ちを汲んでドラマを白紙撤回し、テレビ局から6000万円の損害賠償を提訴された講談社の編集部となんたる違いだろう。
ちなみに講談社に対する提訴の請求はすべて棄却された判決が出ている。
芦原妃名子先生のご逝去に際して
下山 進ノンフィクション作家
唖然とした。
小学館の編集部の声明。
「弊社からドラマ制作サイドに意向をお伝えし、原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、ご意向が反映された内容で放送されたものがドラマ版『セクシー田中さん』です」
なぜ、芦原さんが、納得していたと、意向が反映されていたと、第三者の編集部が言い切れるのか?
日本テレビの声明にまったく呼応するもので、ドラマ制作に落ち度はなかった、編集部に落ち度はなかったと言い切っている。
だったらば、なぜ芦原さんは、9話、10話を自分で書いたのか?そして自死を選んだのか?
辻村深月さんが小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』のドラマ化の際に、やはり脚本と進行に危惧をいだいたのをうけて、進行していたドラマを白紙撤回し、テレビ局から6000万円の損害賠償をうけた講談社の編集部となんたる違いだろう。
ちなみに講談社に対する提訴の請求はすべて棄却された判決が出ている。
エーザイ、中国でレカネマブ投与1500人目指す 25年は大幅増も
下山 進ノンフィクション作家
「 現状のエビデンスのみに基づき、当該薬剤を大幅に成長させる計画なのだとしたら、正直なところ収益のみが目的としか思えません。」
1700人規模の治験で統計的確かさをもって有効性を確認しているにもかかわらず、このコメントはアンフェアでしょう。十分にエビデンスを示していることは、米国や日本の規制当局、FDAやPMDAの審査報告書からも明らかです。
18カ月以降も進行を遅らせることができる、ということもオープンラベルスタディで、エビデンスは提示されていると思います。
また製薬会社にとってイノベーションにとって「収益」は大事です。それがなければそもそも、多大なリスクを負って創薬研究には挑まなくなる。
漫画家・芦原妃名子さんが死亡 「セクシー田中さん」など連載
下山 進ノンフィクション作家
議論を整理する意味で。
1、まず、著作権というのは大変強い権利です。この場合著作権は芦原さんにあって、ドラマは二次著作になり、著作権者は芦原さんになります。なので、気に入らないということになれば、変更を要求する権利があり、また自分がやったほうが早い、ということであれば、9話:、10話のように芦原さん自身が書くというのは、日本テレビ側は拒否できないわけです。
2、1について双方理解したうえで、版元も、原作者も、手を離して、ドラマ制作者側の翻案を信じる、そして本も売ろうという場合もある、ということなんです。
1についての意識が薄い場合に、えてしてトラブルになります。今回はその最悪のケースですね。
著作権を軽視して、脚本家の創意をみとめないのはおかしい、とか、テレビは視聴率をあげなくてはならない、とか、そういう趣旨のことを言っている人がいます。
しかし、著作権が軽視されれば、そもそも最初の作品を作ろうとする人がいなくなる。
そのことをよく考えてほしいと思います。
芦原さんのご冥福を心からお祈りもうしあげます。
NORMAL
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