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【円満な二世帯住宅】同居前に介護はしないと宣言
北 麻理子お茶の水女子大学 舞踊学専攻 修士2年
我が家も完全分離型二世帯です。私は子どもの立場ですが、家族構成やお互いのスタンスは、このケースとほぼ同じ。
しかし我が家の特徴は、部分共用型二世帯 → 隣同士の家に別居 → 完全分離型二世帯と、この20年足らずで異なる三つの形を変遷してきていること。
私が生まれた頃は、祖父母の一軒家の二階にキッチンをつけて子世帯が住むという部分共用型二世帯。
小学校にあがる頃に、たまたま隣の家が空き、子世帯が移り住むことで、祖父母とお隣さん同士に。毎日帰りの遅い両親を、祖父母の家で夕食を食べつつ待つというのがこの頃の常でした。(祖父はこの頃に他界)
ただし、この制度も小学4年にあがるタイミングで終了しました。(1人で親の帰りを待てる年齢になったということで)
以来、祖母の家はいざというときの駆け込み寺に。(兄と喧嘩したときとか、自分の家の鍵を忘れてしまったときとか、1人だと雷が怖かったときとか…笑)
そして6年ほど前に現在の完全分離型二世帯へ。
きっかけは、家の老朽化。ついでに、独り身で高齢になった祖母を近くで見守ろう、という感じ。両家を一気に取り壊し、合わせた敷地に完全分離型二世帯住宅を建てた。
祖母は昨年80歳を迎えましたが、当初から私たちに介護を依頼する気はなく、週に2回ほど気の合うお手伝いさんを雇って、気ままに一人暮らしを楽しんでいます。(もちろん今のところ、ですが)
生活は別、いざというときだけノックして助け合う。
同居というよりは、すごく近所に親戚がいる感覚に近いかと。
我が家の場合は祖母の自立心(自分の生活リズムは自分で決めたい感)がそれを成り立たせている感はありますが、家族だから何かしてくれて当然!ではなく、親しい仲にも礼儀ありで、お互いが自らやってあげたいと思える範囲で助け合う心が重要なのでは、と思います。
「練習でできないことは試合でできない」日本スポーツの致命的迷信
北 麻理子お茶の水女子大学 舞踊学専攻 修士2年
本番で120%の力を出す力は、根性とは違う感覚な気が…
どちらかというと集中力、没入力、フローの感覚に近いのでは。(トップアスリートじゃないのでわかりませんが…)
ただ練習の練習をすべきでないのはわかる。
よく体育原理の教授が言ってた。
スポーツにおける習熟はハビトゥス化(習慣化)によるものではないのでは、と。
要するに、スポーツにおける習熟とは、自分の身体に最適な動きを叩き込み、ひたすら自動化させていく「慣れ」によるものではなく、身体をより精緻に分節化して動かせるようになることで動きの最適化のレベルを上げるような、身体を使う密度の濃さみたいなものによるものではないかと。
だから「慣れ」が練習のゴールになってはいけない、と。
ただ最も問題なのは、たとえ慣れようとはしていなくても慣れていってしまうのが人間の身体であるというところだと思います。
だから練習を工夫しないといけない…
NORMAL
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