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「知らない言葉をスマホで調べてはいけない」平成生まれの脳科学者が小中学生1人1端末時代に訴えたいこと
PRESIDENT Online:プレジデント社の総合情報サイト
楠木 誠治寺子屋楠 塾長
では前頭葉を働かせながらスマホで調べることができないのか。ということが皆さんの疑問だと思います。そもそも紙の辞書で脳が働くのは、辞書で言葉を調べるという行為が、思っている以上に脳に負荷のかかる作業となっているからです。あいうえお順がわかっていないといけませんし、言葉の2文字目、3文字目が何かで順番も変わります。その後得られた情報は、ある種の報酬にもなります。それに対し、スマホで調べる場合は、何なら話すだけでも調べられるわけです。素早く調べられる代わりに、調べた後の作業を増やしてあげることで定着が図れます。また、スマホで調べたものは定着しないと、あらかじめ割り切ることも大事です。スマホで調べる行為と、記憶する行為を同一に考えるのではなく、調べる行為のあとに、覚えたい場合は記憶する行為が必要だということを親も子も知っておくだけでいいと思います。英単語も同じように紙の辞書の方が記憶には残りやすいですが、意味を調べるときにスマホのほうが調べやすいこともあります。単語の意味を覚えるには、単語アプリなどで繰り返し行い、定着を図ります。書けるかのチャックは、これもアプリで書かせるものがあります。このように、スマホなどを活用するときには、紙で行われていた様々なわずらわしさがカットされた分、やることが増えるし、細分化されることに注意が必要です。例えば、答え合わせも、自動で行ってくれるタブレットと、紙の答えを見る作業では、様々な点で違います。答えを横において左右の眼球運動を行いながら同じ解答に〇をつけるという一連の作業ですら、脳は動きますが、タブレットの答え合わせでは脳は働きません。 知らない言葉をスマホで調べてはいけないのではなく、スマホで調べるという行為を今までの「調べる」と混同してはいけないということです。
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【天才と考える】ChatGPT時代の子育て新ルール
NewsPicks編集部
楠木 誠治寺子屋楠 塾長
英語の先生に、英語は必要ですかと聞くと、必要ですと答え、 数学の先生に、数学は必要ですかと聞くと、必要ですと答えられる。 プログラムをやってきた人からすれば、プログラムの重要性は言わずもがなだ。 教育を考えるうえで、私が大切にしているのは、この個人の経験からくる重要度をいかに省いて、子どもの目線に立つことができるかということで、もちろんとても難しい。 未知のものだからつかっちゃダメというのが間違っていることは当然だが、英語くらいできないと就職できないなどと言っていた人は、今、英語などできなくても就職先はなくなっていない現状をどう考えているのか。 ChatGPTも同じようなもので、必要に迫られてからでも遅くはないツールに過ぎない。禁止する意味はもちろん感じないが、触れていないと終わるとも思わない。 あと、家庭での教育を考えるなら、禁止したくらいでさほど変わらないという視点ももったほうがよい。子どものころ禁止されたからといって、素直にきくだろうか。触れる人は触れるし、子どもの欲求たるやすさまじい。 大人は子どものことを考えて考えて、間違ったことをするし、 それに対して子どもは自分なりの尺度であらがっていこうとするものだ。 しかし、大人がぶれまくっていると、こどもにいい影響はないと思う。 そうなってくると、大切なことは、子どもに倫理観や尺度を問う前に、 親としての倫理観や尺度が統一されてますか?ということだ。 それが正しいか間違っているかは子供が判断するので、 とりあえず親としての指針はこうですということを明確にし、 しっかりと子供に伝える。 ChatGPTでも、使っちゃだめだと思うなら、親としてそう思う理由を伝えて、 子どもに話し、うちはこういう方針だということ。 そうやって親がしっかりと指針を示すためにも、親自身が使ってみて、考えること。 こういった物があふれた時代にこそ、そこまで心をつかっていかないといけない。そうして心をつかわずに、それこそChatGPTに、「子育てにChatGPTをつかってもいいですか?」なんてきいた日には、こころの通っていない言葉から何か子供が学ぶことはないだろう。 教育を考える上では、ChatGPTの使用を許すか、許さないかの違いよりも、 そこに家庭の「文化」があるのかということが影響すると考えたほうが良い。
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共通テスト新科目「情報I」を配点0 国立大の予告に識者「世界からのデジタル化の遅れが発生」
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楠木 誠治寺子屋楠 塾長
情報Ⅰはすでに高校1年で授業が始まっています。内容は、社会人ならわかるかなという内容。知っておいて損はないことばかりですが、これの配点が0点になったからといって、デジタル化の遅れがうんぬんというのは、あまりにも飛躍しすぎ。タイトルのミスリード。記事では、情報の内容は、基本的なことばかりで、こんなことがテストになるならラッキーと思えない人たちがいるということが、世界からデジタル化が遅れている原因といっています。0点でもいんじゃないか、点数つくならラッキーでしょ?ってこと。ちなみに現在の共通テストにも、簿記・会計と、情報関係基礎という科目があります。普通科の生徒がこれらを使って国立大学を受験することは一般的ではありません。 英語の4技能検査が共通テストではじまる、記述とマークの2種類行うなど、さまざまな迷走をしてきたわけですが、定まらない試験制度そのものに対して、配点でコントロールし、独自のほしい人材を明確にしていくことは、何ら問題ないかのように思います。もっと受験方法にも、大学の中身にも独自性をもって、生徒が自分の個性に合わせて大学を選択する時代になることのほうが、ゆくゆくは発展につながるのではないでしょうか。推薦制度の充実がすすんでいますが、一般試験であったとしても、各大学の独自性を打ち出すことがわるいとは思いません。 情報という科目が高校で必須科目になるのには意味があるでしょうし、受験で必要ないからとか、0点だからという理由で高校が科目を軽視するなら、それこそ問題です。 ・情報を科目化して、普通科でも教えること ・それを大学が指標とするかは任されること というのは、どちらもよいことかなと思います。
【新】いつの間にか、子どもに「呪い」をかけていませんか?
NewsPicks編集部
楠木 誠治寺子屋楠 塾長
ほとんどの親は、わが子のために一生懸命だと思います。 そのうえで、子育てに悩み、どうやって伝えたらよいのかと思えば、これらの言い換えも考えてみましょう。 そうではなくて、ただ方法論として、「あ、こうやって言えばいいのか」 と思うと失敗します。 親が本気で自分の子どものことで悩み、考えて伝えた言葉は、 どんな言葉も呪いにはなりませんよ。 むしろ、こうやって言っておけばよいという考え方になることこそ「呪い」です。 もちろん、言い換えによってずいぶん子育てが楽になることもありますし、 子どもが素直に聞いてくれるようになることもあります。 「人に迷惑をかけない」とても素晴らしい言葉だと思います。 「好きなことをやりなさい」とても素晴らしい言葉だと思います。 「周りの人がハッピーになるように行動して」とても素晴らしい言葉だとおもいます。しかし、すべて、呪いの言葉にもなりますよね。周りのハッピーよりも、自分のハッピーを考えるべきときもあります。 何度も言いますが、大切なのは言葉より思いです。その言葉の裏にある想いをぜひお子様と共有しましょう。そして、そういう思いからでた言葉はすべて大丈夫です。  ちなみに、ここで紹介されている言い換えを批判しているわけではありません。おそらく坪田さんも、何も考えずに「迷惑かけるな」だけ連呼するのはやめなさい。と言いたいだけだと思います。  ただ、このような記事をみて、反省しすぎる親御さんがいらっしゃらないことを祈ります。子育ては、それだけで大変です。お母さま、お父様自身の自己肯定感が下がることのないよう。
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