Picks
40フォロー
8955フォロワー


シン・サッカー解説 馬渕明子
宇田川 元一埼玉大学経済経営系大学院 准教授
本田圭佑のワールドカップのサッカー解説は面白かったですが、それがなぜ通常の解説より優れているのか、また高校サッカーの解説がどう質が低いのか分析した内容です。色々な示唆が得られます。
本田圭佑は、勝つためにどうしたら良いかを分析し、問題点を指摘するのに対し、通常のサッカー解説は、何が起きているのかを述べている、と。この違いは、求める結果から逆算する思考の為せる技でしょう。一方、高校サッカー解説は、選手一人一人の家族など取り巻く環境のドラマを述べてばかりでどうすればここを打開できるかなどは全く分析されない、と。
これは企業経営にも通じるもので、勝つためにどうするのか、という視点が欠け、それ以外の尾鰭にばかり目を向けてしまう問題がよく見られます。どうしたら競合に勝てるのか、価値を作れるのか、そのために何が必要で実践する上での課題は何か、そこを考え徹底的に議論し、対話し、受け取った結果について考える。当たり前のことことが考えられなくなるのは、構造的な問題が背後に見え隠れします。
首相、同性婚に否定的な考え 「社会が変わってしまう」
宇田川 元一埼玉大学経済経営系大学院 准教授
以前、ハーバードケネディスクールでリーダーシップを教えるロナルド・ハイフェッツが、講義(NHK放送の「リーダーシップ白熱教室」)の中で、「アメリカの銃規制がなぜ進まないのか」ということについて説明をしていてなるほどと思ったので記憶を頼りにして紹介します。
確かこんな内容でした。
「人々は、自分の所属するコミュニティや先祖に対して忠誠心を持っている。銃規制に反対する人々は、銃を使う権利などと言っているが、実際はそうではない。
そうではなくて、子供の頃に、親から人を殺してしまうこともある銃を安全に使う方法について教えられた経験があり、それを親からの愛情と同じものとして受け取っている。したがって、銃を持つことを規制されるということは、親の愛情を否定されているような気持ちになるから反対するのである。
だが、仮にそうであるならば、相手の論理の内的矛盾を突いて行くことが変革において必要である。
内的矛盾とは、例えば、人を大量に殺すことができてしまう多弾数型の銃などは規制すべきだということは同意を求めることができるかもしれない。」
というような内容だったと思います。
このジェンダー多様性の問題についても同様のことがあり得るかもしれません。親からの愛情、家族と過ごした時間、そうしたものを否定しているのではない。そうではなくて、この制度があることで、そうした時間を持つこと否定されている人々を生み出してしまっていることは良くないことだということに同意してもらうことは、もしかしたら出来るかも知れない。親からの愛情や家族と過ごす時間を大切にする権利を分かち合うためのものだ、というように。
私の上記の内容は的外れかもしれません。
ですが、少なくとも大事な点は、人々は守りたい何かを脅かされていると思うから変化を拒むのだということです。
であるならば、変革するためには、その脅かされているもののうち、何を保持し、何を変えるか、ということについて考えなければなりません。言い換えれば、耐えられる痛みと耐えられない痛みが何であるかを峻別しなければなりません。そして、耐えられる痛みを広げていくために周到に戦略を考え、したたかに実行することで変革がはじめて可能であると思います。
怒りを表明することもその一つになりうると思いますが、そこにとどまってはならないとも思います。
高いロイヤルホスト、安いガストを圧倒の不思議
宇田川 元一埼玉大学経済経営系大学院 准教授
ロイヤルホストの客単価は2000円程度、ガストは800円程度、しかし、大きな売上の差がついています。これはなぜかということを論じている記事です。
色々書いていますが、ここで述べられていることももっとはっきり言えば、競争戦略論でいうところの戦略のポジショニングに対して、どれだけオペレーションやサービスラインナップが整合性が高いか、完成度が高いか、ということが問われているということです。
ロイヤルホストは一時期業績が悪い時期がありましたが、サービスと料理のクオリティを高めることで、単価が上がってもそれに見合う価値を提供するという形で業績を回復させました。
一方、ガストは、売上の低下(原価の上昇)に対して値上げやアップセルで対応をしようとしていますが、それがポジショニングと乖離するので、顧客の離反が起きているのかもしれません。
アップル共同創業者スティーブ・ウォズニアック「ネットが存在する前の時代に戻りたい」
宇田川 元一埼玉大学経済経営系大学院 准教授
私の尊敬する組織理論研究者で、ジェームス・マーチという人がいました。
彼は、インタビュー記事の中で、いろいろな経営のコンセプトはあるけれど、それが本当に有用なのか、実際のところはわかっていないものがほとんどだ。だけれど、どんな組織もトイレがなかったら機能しない、と述べていました。
それに近い読後感です。つまり、我々は色々とどうでもいいもの、どうでもいいことに沸き立ち、振り回されているけれど、大事なことを見失っていないか、それでいいのか、とウォズニアックは述べているのかなと。
「あなたのように特殊な立場だから言えるんだよ」と、途中までは卑屈に読んでいましたが、でも、考えてみれば、そういう立場だからこそ見えることを共有してもらうことにも意味があるよなと思いました。
「異次元」政策の前に必要な思考
宇田川 元一埼玉大学経済経営系大学院 准教授
「目先の効果だけでなく、経済全体の反応や将来への影響も考慮して、全体として辻つまが合うかどうかを考える」ことが、一般均衡理論的思考で、これがあるかないかが、政策の価値を決定する、という主張のコラムです。匿名のコラムですが、なかなか含蓄があります。
このコラムでは政府の政策への批判的視点が述べられていますが、しかし、もっと敷衍して考えれば、企業の変革・改革における施策なども同様のことがよくあります。「○○の数値を上げるためにどうするか」などで、それを上げる施策を展開して上がらないと、また別な施策が増え、現場の負担が増し、結果的に数値も下がる、といったように。
このような考えると、断片化された思考で、自分の領分からだけ施策を考えるということが、どれほど社会や企業組織にネガティブなインパクトを与えているかを考えなければなりません。
断片化を逃れるために基本的に必要なことは、オープンに議論すること、対話することです。もちろん、そういった議論や対話が、本人が考えることを回避するために行われるようでは論外です。
誰にとって、どういう姿を目指して、それに対してどれくらいの範囲の影響を視野に入れて施策を展開するのか、今、本当に必要な論点だと思います。

NORMAL
投稿したコメント