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だから子供の能力がどんどん高まるシリコンバレーのエリート親子が休日に3時間かけて徹底的に話すこと
末永 幸歩美術教師 「13歳からのアート思考」著者
>ボブはいつも誰よりも先に帰った。4時半頃になると「次の仕事の時間だ」と言うのが彼の口癖で、いそいそと帰っていく。次の仕事というのは、子どものお迎えのこと。
このような考え方、あり方をしたいと思いました。
私自身は、2歳の娘とすごす時間を、それ以外の仕事をする時間と同様、大切にしています。
それは、フリーランスという働き方を選んだことの利点だと思っていますし、なにより教育者として、まずは自分の子どもの教育にちゃんと向き合うことが大切だと思うからです。
しかし、取引先から「どうしてもこの日程に」「どうしてもこの時間に」と依頼されると、「その時間は娘と過ごす時間なので」という理由で予定を変更してもらったり、お断りしたりすることがはばかられることがあります。
「その時間は別の仕事の予定がある」という場合は罪悪感はないのに。
そういうとき、私の中でも、子どもとの時間と、仕事の時間と、無意識に優劣をつけてしまっているのだと思います。
子どもと過ごす時間を「次の仕事の時間だ」と何よりもまず私が大切にしなければと感じました。
村上隆氏「美術史を射抜く」 米NYで個展 伝統からメタバースまで
末永 幸歩美術教師 「13歳からのアート思考」著者
>村上氏は「作品を手掛けるときに、デジタルとアナログの区別はしません」とし、「私は常に現代美術の文脈で制作をしており、その文脈とは認知的革命の引き金となるイベントに自分が関われるかどうかがすべてです」とギャラリーを通じて述べている。
デジタルか・アナログか、技法を決めかかって制作するのではない、というところに共感します。表現したいものに合わせて、フォーマットは変わって当然だからです。新たな表現形態を柔軟に取り込んでゆく姿勢に共感しました。
一方で、「認知的革命の引き金となるイベント」に関わるべく、それを追いかけている印象も受けました。もしそうであれば、表現の主な動機が「自分の外側」にあることになります。
私は、動機が自分の内側にあってこそ、「革命的なイベント」を追いかけるのではなく、生み出せるものと考えています。

【松田崇弥】障害が「ある」から描けるアートの可能性
末永 幸歩美術教師 「13歳からのアート思考」著者
とても素敵な事業だと感じました。以前も別の記事で拝見し、注目していました。
私が美大で学んでいた時、芸祭で、美大生の展示に混じって、福祉施設スタジオ・クーカhttps://www.facebook.com/studioCOOCA/ が企画展されていたことがありました。
福祉施設の出展だと気づかずに、大学生の作品だと思いながら観て、「こんなすごいパワーを持った人がうちの大学にいたんだ!」と大変感銘を受けたことを覚えています。
その後、知的障害をもつ人が生み出すアートに心惹かれていました。
なぜ知的障害のある人のアートが個性的なのかと思っていましたが、
>個々のルールが具現化され、羅列されたルーティンの面白い図柄になっている。
なるほど!と思いました。
現代アート市場が活況 ウクライナ情勢も影響
末永 幸歩美術教師 「13歳からのアート思考」著者
何を現代アートと呼ぶのかによっても「現代アート市場が活発」という状況の見え方が変わると思います。
・「目で見て、脳で見て、作品が投げかける問いに考えをめぐらせる」ような作品を現代アートと呼ぶのか。
そうであれば、20世紀(今から100年以上前)のモダン・アートも含まれる場合もあり、かなり対象が広くなります。そもそもアンディー・ウォーホルも全盛期から既に50年以上経過しています。
・または、同時代のアーティストの作品を現代アートと呼ぶのか。その場合、同時代のアーティストでも「脳で見る」ような作風ではない場合もあるので現代アート/非現代アートの線引が難しいです。

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