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【見城徹】僕を鼓舞し、現実を動かす力を与える「戦いの書」
Nakayama Yujiro総合南東北病院外科、Yahoo!ニュース個人、日経ビジネスオンライン著者 医長
出版社社長である見城徹さんが、どんな本を読んできたか。その足跡が、たったいま書き上げられた原稿用紙のような生々しさで迫ってくるこの2本の記事だ。この記事はただの見城さんの読書日記ではない。読書とはなにか、本とはどう読むものなのか、それを伝えてくれた。
見城さんは実に多くの本や詩、映画を暗誦している。一つひとつの作品に出会うたびに熱狂し、己のすべてを投じて読む。記憶力が人より良いから覚えているわけではない。何百回も繰り返し読むから覚えてしまうのだろう。そうだ、見城さんの真似して熱狂してみよう、などと思ってできるものではない。病的なまでの作品への固執と、異常なにじり寄りは誰にも真似できない。脳が沸騰しているのだ。
そうして得た作品への激しい深堀りを、もう一方では遠くから冷めた目で見ている。その冷静さは以下のような言葉で形成される。
「自己肯定とは自己否定との戦いである」
「文学の原点は、想像力によって読者を鼓舞したり慰撫したりする点にある」
「旅の本質とは『自分の貨幣と言語が通じない場所に行く』という点にある」
こういう対象化の鮮やかさは、編集者という病いの一症状なのか。それともこれが教養なのか。
記事を読んで思ったことがあった。ああ、あの本をもう一度読んでみたい。そしてあの作者と対話をしてみたいーーー
フランクル「夜と霧」
茨木のり子「自分の感受性くらい」
石川啄木「一握の砂」
石川達三「青春の蹉跌」
何度同じ本を買ってもいい。私はすぐに購入した。
どうやって微笑しながら死ぬか
Nakayama Yujiro総合南東北病院外科、Yahoo!ニュース個人、日経ビジネスオンライン著者 医長
圧倒的な結果を出すことで見城さんが得た、金や名声。見城さんは今や、大臣クラスの政治家もスポーツ選手も、大物芸能人も、会えない人はいない。お金だって想像がつかない程お持ちだろう。そして、美しい女性たちからもモテる。モテまくっている!
けれど、そんなことはもうどうでもいいのだ、見城さんにとっては。
この世界で勝ち得たものに、執着も何もない。しかし、来世を信じている訳でもない。
見城さんの中にある、虚無への憧れのようなものを時折感じることがある。あの頃、革命への踏み絵を踏み切れなかった自分を否定し続けるために、この現実世界で勝ち続けて来た見城さん。見ていて、もういいのではありませんか、もうゆっくりなさったら、と声をかけたくなる。
もう一年も前の話になる。
見城さんと会食をしている時、私は一度自分の父へのサインをお願いしたことがある。見城さんは1分くらい、目をつぶって悩んでおられた。「うーん」と言いながら書いてくれた言葉が、
「人生は一夜の夢」
だった。
人生は一夜の夢、ならば狂いたい。
見城さんへの憧れを胸に、この連載への感謝を伝えたい。
人生は暗闇で跳ぶことの連続だ。幻冬舎を設立
Nakayama Yujiro総合南東北病院外科、Yahoo!ニュース個人、日経ビジネスオンライン著者 医長
見城さんはいつも、こうして暗闇でジャンプする。明るいところでジャンプをしても鮮やかな結果は出ない。
しかし暗闇でジャンプをすると大怪我を負うかもしれない。取り返しのつかないことになるかもしれない。それでも跳べ、と見城さんはいつも著書や755で言っている。その態度はこんな言葉にも現れている。「出来るか出来ないかではなく、やるかやらないか、それだけだ」
卑近な例で恐縮だが、私の話を。
今年1月の頭、存続の危機に陥った福島第一原発近くの高野病院のニュースを見た。私は、瞬間的に「自分が行く」と決めた。もちろん福島に縁もゆかりもないし、どんな病院かもわからない。それでも、僕は跳んだ。闇雲に跳んでみた。もちろん私が死亡するリスクもあったし、そうでなくても100人以上の患者を一人で診るという過酷な生活になることが予想された。
2ヶ月の院長生活を終え、今になって痛感する。私はあの2ヶ月で、36歳という歳では極めて得難い貴重な経験と、生涯忘られぬ思い出を得た。小さいジャンプだったが、着地に失敗したら大怪我を負ったかもしれない。
見城さんの起業と自分の小さいジャンプを同じにするのは失礼だが、それでも私が高野病院院長に手を挙げた背景には、「暗闇でジャンプ」という見城哲学が僅かなりとも著書や755での交流、リアルの交流で私の体に染み込んでいたのだとこの記事を読んで思った。
なぜ医者は「飛行機の中にお医者さんはいませんか」に手を挙げないのか?医師の本音(中山祐次郎)
Nakayama Yujiro総合南東北病院外科、Yahoo!ニュース個人、日経ビジネスオンライン著者 医長
この記事の筆者の中山祐次郎です。大変大きな反響をいただき驚いております。
この記事をアップするに当たり、正直なところ私はかなりの反発あるいは炎上を予想しておりました。
「医師たるものつべこべ言わずリスクを背負え、訴訟が怖いならやめろ」
「医師に労働者の権利は無い」
こういった意見が押し寄せるのではと思っておりました。おそらく10年前であったらそうだったかもしれませんし、今の40歳代後半より歳上の医師ならそう言う人も多いかと思います。
医師は元々その職の性格上、奉仕の精神を求められ、また医師たちも暗黙のうちにいわゆるnoblesse obligeを持つべしと考え教育されてきました。つまり労働者の権利など主張するな、リスクを取っていけ、萎縮するな、と。これは医師の美学であり矜持であった訳です。
ある程度は私もそうあるべきであると思っています。が、年を追うごとに色んなリスクが上がってきたことでこの矜持を保てなくなってきており、その最たる場面が記事にした「飛行機の中で手を上げられない医者」だったのです。
それについて書くことは医師の美学を毀損するタブーであり、背中から撃たれる可能性も多分にはらんでいました。
しかし医師としての本音をなるべく虚飾なく書くことで、医師の考えていることを知っていただき、我々のジレンマを感じていただきたかったのです。だから私はこれを書き公開しました。
これからも、医師と世間の間の大きな溝を少しでも埋められるような仕事をして行きたいと思っています。
NORMAL
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