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気がつけば日本最大シェア。ミクシィのソーシャルネット「みてね」が浸透したユーザー層
テクノエッジ TechnoEdge
林 浩之フラー株式会社 執行役員 カスタマーサクセスグループ長
アプリには「LINEでも出来る」「Twitterでも出来る」でもこのアプリで、という動きが時折観測される。 Betweenと言うカップルSNSが一定に支持を受けていたり、ぴよログといった育児アプリが支持を受けていたりする。 どれもLINEやOSメモアプリで果たそうと思えば機能的には果たせるものばかりだ。 なぜそれが「専用のアプリで切り出されるだけ」でニーズを拡大し、 シェアを取れるのかのメカニズムこそがユーザー体験論に直結していく。 「プライベート空間を醸成できる」という側面は大きいように感じる。 上の二例も共に極めてプライベートであり、それ専用の空間の方が居心地が良く、心理的な安全性、フィット感が違うのは想像に容易い。 かつ「◯◯はこのアプリ」という一時想起も生みやすいため、ライフスタイルの中に溶け込みやすいという利点もある。 そしてプライベートに寄った領域はもう一つ特徴がある。 それは「人々のコミュニケーションはプライベートに寄れば寄るほど多くなる」という特徴だ。LINEも普段の会話も距離感の近い人の方が多いのがその裏付けにある。よってプライベートなコミュニケーションだけを切り出すのは理にかなったユーザー体験設計なのではないだろうか。
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DeNAの元執行役員が立ち上げ、エンジニアの給与DB「PROJECT COMP」運営が2億円をプレシリーズA調達
BRIDGE(ブリッジ)テクノロジー&スタートアップ情報
ユーザー1000万超の「ゲーム配信プラットフォーム」のトップは「メタバース」の未来をどう考えるか?
現代ビジネス
林 浩之フラー株式会社 執行役員 カスタマーサクセスグループ長
メタバースの定義は一時期のSNSの定義がブレたのと同様に感じる。 LINEはSNSなのか、YouTubeはSNSなのか。全く同じような議論だ。 メタバースとは「物理的な制限を受けない空間」と考えている。 メタバースは一般的にはセカンドライフやHorizon Worldsを想起させる単語であることは間違いないが、恐らく厳密な定義としては大きく異なる。というのも「アバターを用いた仮想空間」と言い換えられてしまうことが多いからだ。メタバースの本質は仮想空間なのか、アバターなのかは関係ない。 メタバースの本質は「物理の制限を受けない空間」と言う解釈が個人的には納得感がある。「現実で移動しなくても享受できる体験」とも言い換えられる。 現実世界の特性として「物理的な制約」がある。 人は自分の足で歩かないと移動が出来ず、物を持つのも四肢の限界があり、喋る時も近くに人がいないと声は届かず、ものを買ったら物理として手元に存在する。 全て物理的な制約の上で成り立っている。 その制約を受けずに生活、日常が成り立つ空間をメタバースと呼ぶのではないだろうか。 そこ物理的な制約というのは全ての根源にあり、その制約を受けなくなった時に人々の生活は一変する。なので多くの企業がそこに可能性を感じている。 移動しなくても店に来れる、目の前になくても物を見て感じられる、遠くにいる人とも目の前で会話ができる、空間上でリアルではない物体を持つことができる……… 「ARはメタバースなのか」 もはや無粋な問いに感じる。 目の前に無いものを視認できる時点で物理的な制約を明らかに撤廃している。メタバースであろう。 「Twitterはメタバースなのか」 これももはや無粋な問いなのかもしれない。 横にいない人の日常を知ることが出来るならばメタバースなのだろう。 結局のところ程度問題であり、より物理制約から離れるとHorizon Worldsのような体験が可能になる。 メタバースはインターネットそのものを指す可能性さえある。しかし、インターネットは仕組みの話であり、メタバースは体験を指す概念的な総称と考えられる。
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なぜ「つながり」を生み出すには、“信頼を育む場”が必要なのか 
林 浩之フラー株式会社 執行役員 カスタマーサクセスグループ長
行政の捌き切れる世の中では無くなってきた。 町会などの従来型の仕組みにも持続可能性が乏しい。 都心の大きな街は一旦置いとこう。 住んでる人と「それ以外」の比率で後者があまりに高く、街づくりの観点においては別種であるからだ。 焦点は都心、郊外問わず「人の住んでいる地域」だ。 直接人口比率の高い街。 昔のような自治が希薄になる一方であり、住民が「街に目を向ける機会」と「街を保つモチベーション」という観点において持続可能な形が見つかっていないのが問題の本質である。 なぜ一昔前は住民みなが街に目を向け、街を残そう、街を保とうとしていたかというと、生活の全てが自分の住んでいる街に依存しており、終始していたからに他ならない。街が衰えることは自分の生活を脅かすことに直結したからだ。 それが今はインターネットの普及、都心一極化を経て、自分の街以外に生活の依存度が移っていった。隣に住んでいる人の助けを得なくともインターネットと都会がどうにかしてくれるから。 では本当に街に目を向けなくて良いのかという論点が残る。様々な意見がありつつも、結論として自分の住んでいる街は生活の大半を未だに担っており、見えない中でも同じ地域の人に助けられていることはあるだろう。 もしくは「近くに住んでいる人にしか助けてもらえないこと」もあるだろう。街で倒れた時に助けてくれる人は誰か、Googleにも Twitterにも載ってないスーパーローカルな情報を持っているのは誰か、土日の余暇に街を歩く中で心地よさを感じさせてくれるのは誰か。資本主義と都心一極化で忘れてしまいつつある「自分の街」に目を向ける良い機会かもしれない。 昔を思い出せという話ではない。 今の世の中に合った形で、自分の住んでいる街に目を向け、新たな自治の形を生み出すべきなのだと感じる。
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