キャラクトクラシー - AIの時代に人間に求められるのは人間性

2023年3月27日
全体に公開

こんにちは。今週はWBC、すごかったですね。準決勝の大逆転劇もですが、栗山監督に指導されたダルビッシュがチームをまとめ、最後は同じく栗山監督に指導された大谷に繋ぐ。大谷は自分で打ち、最後は14年前のダルビッシュと同じくスライダーで三振を取り、優勝を決め、MVPを得る。漫画のシナリオで書いたら、非現実的すぎるとして却下されそうです。

大谷選手などが象徴的ですが、スポーツ選手のキャラクターが昔とは変わって来ていると感じることがあります。例えばイチロー選手などは孤高の職人のイメージがありました。大谷選手はチームメイトとじゃれ合う様子などもよく報じられ、コミュニケーション力の高さが感じられます。

先週に引き続き、プロンプトからの画像生成を可能にするAdobe FireflyやBing Image Creatorなど、生成AIの製品発表が相次ぎました。生成AIの利用はもはや特別なことではなくなりつつあります。

AIが人間レベルの作業ができるようになってきた際に常に付きまとうのは、自分の仕事がなくなってしまうのではないかという不安です。AIによって〇〇の仕事がなくなる、といった見出しの記事などを定期的に見かけます。

人間がする仕事が筆者らが現役のうちになくなるといった見通しはありません。歴史が教えることがあるならば、仕事の仕方や、その中で人間に求められるスキルやコンピテンシーは、変化します。筆者は、今後人間に求められるのは、大谷選手のような「人間性」ではないかと思っています。

知的能力の蛇口

本記事の見出し画像は、画像生成AIを用いて作成したものです。本記事のテーマを思いついてから、まずはChatGPT(GPT-4)に「人間であること」を表現する画像のアイデアを聞いてみました。

What image do you think represents the concept of "being human"?
As an AI language model, I cannot create or visualize images, but I can describe one that may represent the concept of "being human."
One image that could symbolize the essence of being human is a diverse group of people holding hands or embracing each other, demonstrating the human connection across various cultures, ages, genders, and ethnicities. This image emphasizes unity, empathy, and the importance of relationships, which are key aspects of the human experience.

Another option could be an image of a person looking at their reflection in water or a mirror, as this could symbolize self-awareness and introspection, which are unique to human consciousness.

後者の「水、鏡に写っている自分を見ている人間」の画像は良さそうです。

そこで、M1 MacBook Airで、DiffusionBeeというStableDiffusionのディストリビューションで画像を作成することにしました。プロンプトを少し試行錯誤して、最終的に下記のようなプロンプトで生成した画像を用いています。

close up portrait photo of a beautiful woman, reflection in the mirror, monochrome photo, ultra high quality
StableDiffusionの生成画像

この「水、鏡に写っている自分を見ている人間」というアイデアは、筆者自身では思いつきませんでした。筆者は写真は趣味程度で、テーマに沿った写真を撮影しようと思ったらモデルの手配からロケハン、撮影など、大きな必要と手間がかかります。プロンプトの試行錯誤は必要なものの、実際にこのクリエイティブの工程を全て人間が行ったら、数十万円程度の費用はすぐにかかってしまうでしょう。そういう意味ではその仕事は確かに奪われたと言えるかもしれません。

こうした企画および制作といった能力は、これまでは適切な才能やトレーニングによって身につけた人間に固有のものでした。生成AIによって、まるで水道の蛇口のように誰もが安価にこのような能力を利用することが可能になりました。

機械化と身体的能力の価値

人間の能力には様々な種類があります。時代とともに、異なる種類の仕事を機械によって置き換えることが可能となって来ました。

人類の曙以来、ほとんどの労働は肉体労働でした。大きな事業を遂行するには優秀な企画者、設計者などのマネージャーは必要でした。しかし、実際に食料を獲得したり、道具を生産したりするのは人間の作業に頼っていました。自然と、力や手技などの身体能力の高い人間は高い社会的な価値を得ることができます。

ところが、蒸気機関などの発明以降、物理的な作業は機械が肩代わりできるようになりました。技術の進歩とともに、人間には不可能な大きな作業や、逆に微細で正確な作業なども可能となりました。しかも、人間よりも御しやすく、多くの場合コストも低くなりました。こうなると、身体的能力の価値は相対的に落ちます。変わって台頭してきたのが、分析や企画、設計などの、いわゆるホワイトカラー労働です。ホワイトカラー労働は、平均的にいうと肉体労働よりも高い報酬を得ることができます。これはホワイトカラー労働の希少性が故でした。

動機づけ(Why)の重要性

上の例のように、ホワイトカラー労働も、特別な専門性や個性の求められないものが大半です。ゆえに今後、知的作業の遂行、Howの部分は物理的な作業同様、早いペースでAIに置き換えられていくことが予想されます。

そうすると、テーマや問題(What)の設定、さらにはその背景にある動機づけ(Why)が重要になることがわかります。

ハーバードで政治哲学を教えるマイケル・サンデル教授は、著書「実力も運のうち」(原題:Tyranny of Merit)の中で、学歴に代表される能力主義(メリトクラシー)を批判しました。

ところが、AIによって知的能力が安価に供給されるようになれば、知的能力の差は、身体能力と同様に意味が薄れます。すると、その能力を何のために使うのかという動機づけが評価されるようになります。なぜならAIの恩恵は、使う人間の意図の良い悪いを問わず得られるからです。悪い意図を持ってAIを用いることは厳しく糾弾されなければなりません。

もちろん動機づけをAIの方に持たせることは技術的には公理としてのプロンプトを与えることで今でも十分に可能だとは思います。しかし、それをやるべきかどうかは別問題で、個人的にはそれが望ましいとは思えません。

ここまでの議論を表にしてみました。あらゆる能力は、持っているに越したことはありません。工業化の進んだ現代においても、身体能力が高いことのメリットはもちろんあります。しかし、機械化できる能力の拡大とともに、人間にしかできないことが変わっていくのがご理解いただけるかと思います。

動機づけというのはその人の人間性、キャラクターの基盤です。AIの時代の個人は、キャラクターによって評価されるようになります(キャラクトクラシー)。

身体能力の実用的な必要性が薄れた結果、身体能力を披露する場面は野球などのスポーツに限られてきました。今後は、人間の知的な能力を競うのも、数学オリンピックのような限られた場面になってくるのかもしれません。

みなさんはどう思いますか?このようなキャラクトクラシーの時代がやってくると思いますか?それとも知的能力の重要性は薄れないと思いますか?

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