全国最年少の市長誕生へ/高島崚輔、ハーバード大を7年で卒業した日本人

2023年4月23日
全体に公開

神戸新聞によると、統一地方選後半戦の兵庫県芦屋市長選は23日に投開票が行われ、無所属新人でNPO法人理事長の高島崚輔さん(26)が、現職ら3人を抑え初当選を確実にしたそうです。26歳2カ月の市長誕生となれば史上最年少。このニュースに際して、高島さんに1年前にインタビューした記事(2022年5月19日に公開)を載せます。

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2022年5月26日、米国・ハーバード大学を一人の日本人が卒業した。

髙島崚輔(たかしま・りょうすけ)さん。関西の名門校・灘中高で生徒会長を務め、2015年の春に東大に現役で入学すると、秋には海を渡ってハーバード大へと籍を移した。

日本ではいま、海外大進学への関心が高まっている。髙島さんは「東大よりハーバード」のパイオニア的な存在としてメディアで度々、取り上げられてきた。そんな彼も25歳(当時)を超え、3度の休学を経てハーバードを卒業した。

海外経験のなかった18歳の高校生が、米国に留学して7年間。何を学んだのか。これからどこで、何をするつもりか。海外大への進学について、改めてどう考えているのか。インタビューした。

Unsplash

「東大よりハーバード」のパイオニア

私が髙島さんの存在をはじめて知ったのは、髙島さんがハーバード入学から半年あまりたった後のことだ。朝日新聞の別刷り特集GLOBEの一面に写真付きで大きく載った。

特集「入試とエリート」(2016年3月)は、正対した髙島さんと、逆さまになった東大の女子大生の写真を対照的に掲載していた。そして、「『人』で入るハーバード大と『点』で入る東大」という見出しで、日本の大学入試制度改革の動きを取り上げていた。

髙島崚輔さん ©️Hidefumi Nogami

日本で海外大進学への熱が一気に高まったのは、この頃からだろうか。進学実績をあげてきた渋谷教育学園や広尾学園の評判や偏差値も上がった。地方の高校からハーバード大やスタンフォード大に受かった物語を取り上げるニュースも目にするようになった。

ただ、そうした留学生たちのその後を知ることは少ない。あの時に紙面で見た髙島さんがハーバード大で今も学び、間もなく卒業するらしい。そう聞いて、卒業式の準備が進むキャンパスを訪ねた。

ハーバード大 ©️Hidefumi Nogami

「ハーバードの1番の思い出は休学」

ーー「ハーバード大での7年間の思い出を話して下さい」と講演を頼まれたら、何を一番に話しますか。

髙島:休学ですね。僕がハーバードの7年間でほんとにやって良かったなと思うことは、ハーバードを去ったことなんです。

ーー衝撃的な告白です。どういう意味でしょう。

髙島:ハーバードは、ユートピアというとちょっと違いますが、「ハーバードバブル」(ハーバード大が創り出す魅力的な環境のことで、学部生はキャンパスから離れがたくなること)という言葉があるように、良くも悪くも狭い世界なんです。

例えばこの春学期の間、ハーバードの学生や学内関係者以外と会うことは、ほぼありません。これは日本の大学生との大きな違いです。日本では、インカレ(大学間の)サークルがあったり、通学していればビジネスパーソンを目にしたりします。一方でここは、そうした環境がほとんどありません。

ハーバード大を巡回するシャトルバス ©️Hidefumi Nogami

ーー確かに街が「ハーバード」で、学部生も寮生活がほとんどですよね。

髙島:「日本の大学と比べて、アメリカの大学は入るのが簡単で出るのが難しい」と言われますが、ハーバードは入るのが難しい。一方で入学後は、みんなと同じように普通に勉強していれば卒業はできます。ある時にふと、「自分、このまま卒業してしまうな」と思ったんです。

ハーバード大学の合格率(23年度)は4.6%だった。願書を送った4万3,330人のうち、大学が受け入れたのはわずか2,009人で、競争率がとても高いことで知られている。

ーー4年間で卒業していく道筋が見えたのですね。

髙島:それで卒業後の人生がつらくなることは決してないんですけどね。むしろ、まわりではそうして卒業して金融やコンサルティング業界に就職することは「王道」でした。

ハーバード大 ©️Hidefumi Nogami

友の問い「自分の興味を2時間、話せるか」

ーーただ、違和感があったのですね。きっかけはありましたか。

髙島:2年生の秋にエンジニアリングに専攻を決めました。その直後の春学期の1〜2月頃だったと思います。当時はオフキャンパスに住んでいましたが、ルームメイト同士の会話で、その場でTED Talkみたいなのをやろうよ、という流れになりました。

そこで「自分の興味あることを2時間、話せるか」という話になりました。ただ、そう問われた当時の僕は、2時間も話せることがありませんでした。理由を考えると、自分の興味あることを自覚的に勉強できていないのかな、と思いました。

髙島崚輔さん(右から2人目)と寮仲間ら=本人提供

ーー当時はどんなことに興味がありましたか。

髙島:自然エネルギーです。高校生の時に福島に行ったり、大学1年の時にはハーバードのケネディ行政大学院の仲間と福島第一原発にも視察に行きました。

人々の生活の基盤となり、文系と理系が融合した分野に関われるのは面白いと思いました。公共政策を学ぼうと入学したのですが、理転(文系から理系への専攻転向)して、エネルギー工学を学び始めました。ただ、何かしら話せはするけれど、2時間も熱量をもって話せるかといえば、そうではありませんでした。

ーーその気づきが、ハーバードを去る「休学」につながるのですね。

髙島:現場に行きたいなと思いました。当時は、カーボンニュートラルが今ほど盛り上がる前です。どちらかといえば、電子工学や機械工学の方が王道とされ、私が専攻した環境エネルギー工学は亜流的でした。

自分の興味がある分野で、実際に仕事をしている人たちは、どんなことを考えているのだろう。見てみたくなったんです。2年生の終わりの夏に、孫正義育英財団から奨学金をもらって、世界各地に視察に出るために休学しました。

(つづく)

野上英文著『朝日新聞記者がMITのMBAで仕上げた 戦略的ビジネス文章術』(BOW BOOKS)

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